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超能力者もお湯には負ける。(視点:葵)
葵さん、と突然掠れた声が聞こえた。何じゃ、と咲ちゃんを見下ろす。
「不思議なことに、体が動かなくなってしまいました。すみませんが助けて貰えませんか」
即刻、両脇の下に腕を突っ込み羽交い絞めにする。お湯から引っ張り上げると、ありがとうございます、といつもの調子でお礼を言われた。
「だから大丈夫かって言ったんだ! 湯あたりか!? 熱中症!? 水、ぶっかけようか!?」
矢継ぎ早に問い掛ける。いえ、と咲ちゃんは寝転がったまま普通に受け答えをした。
「いやどういう状態なの!?」
「とても気持ち良く暖まりました。火照ってはいますが、気分が悪かったり眩暈がするわけではありません。ただ、体に力が入りません。困りましたね、どうしたらいいんだろう」
普通に話しているのがむしろ危険な気がする。
「ど、どうしよう。どうしたらいい!?」
「あ、そうか。それっぽく動かすだけなら出来るんだ」
よいしょ、と突然立ち上がった。
「動けるんかい!」
途端にテレパシーが繋がった。今度は何じゃ。
(取り敢えず、サイコキネシスで体を動かしています)
(あ、やっぱ補助に使えるんだ)
(やっぱ? やっぱ、とは?)
(坂道を上る君があまりに元気だから、もしやサイコキネシスで体を支えているのではないかと疑っていたのだ。当たりだったか?)
(いえ、全然。普通に自分の足で歩いて来ました)
(……そうか)
(葵さん、もう少し運動をして下さい。そうでないと長生き出来ませんよ)
(気が向いたらね)
(向かなそうですね)
(よくわかっているじゃないか。そんで、結局体は自力で動かせないままなんだな? あ、いやサイコキネシスで動かしているという点では自力なのかも知れんが)
(ややこしいですね。でも意味はわかります。そして答えはイエスです。全く力が入りません)
(やっぱ脱水症状とかじゃねぇの? 取り敢えず上がって水分を取ろう)
(そうします。ちょっと浸かり過ぎちゃったのかなぁ)
(私は君より大分早い時点で上がっていたよ。のぼせそうだったから)
(あら、そうだったんですね)
(それくらいは気付けよ……)
(此処のお湯の前で、そんな器用な真似は出来ません)
器用て。そうツッコミを入れようとしたのだが、その前にテレパシーは切れた。行きましょう、とさっきと変わらない様子でぺたぺたと出口へ歩いて行く。私は心配でしょうがない。だって体が動かないなんて異常事態にも程がある。咲ちゃんが超能力者じゃなかったら床に寝転がったままなわけで、私はバスタオルだけを体に巻いて受付へ走っていたことだろう。そして今は平気そうだが、これから体調が悪くなるかも知れない。これが心配せずにいられるかってんだ。頼むから元気なままの君でいてくれよ。田中君との結婚を前に、湯あたりで万が一のことが起きるなんて認めないからな。
取り敢えず脱衣所で着替えを済ませ、休憩スペースへと向かう。腰を下ろした咲ちゃんに、ペットボトルの水を渡した。ありがとうございます、と素直に受け取る。そして細い喉を鳴らして一気に半分ほど飲み干した。ふう、と息をついている。
「やっぱ脱水か」
しかし、いえ、と首を振る。その動きもサイコキネシスでやっているのかね。
「違う気がします。お酒を飲み過ぎて二日酔いになった挙句、脱水症状を起こした経験はありますが、その時の感覚とは異なりますから」
「でも喉は乾いていたんかい」
「まあ割とガッツリ浸かりましたからね」
ふむ、と傍らに腰を下ろす。咲ちゃんの右手を私の両手で包み込んでみた。少し体温は高いけど、滅茶苦茶熱が籠っているというわけでもなさそうだ。
「握り返せる?」
そう囁くと、むむ、と顔を顰めた。ぴくりと指先が動く。
「あ、ちょっといけました」
「おぉ、その調子だ。頑張れ」
むむむ、と再び力を込めている。少しずつ、本当に少しずつだが指が内側に曲がって来た。その手は震えている。だがやがて、確かに私の手を握り返した。よっしゃ、とその手を上下に振る。
「よかった、少し安心した。やっぱ脱水症状だったんじゃねぇの?」
私の指摘に、うーん、とそれでも首を傾げている。そして、あ、と口元を押さえた。……その動きは自力とサイコキネシスのどっちなんだ。喜んでいいのかわからなくて微妙にもやもやするんだが。
「ちょっとお手洗いに行ってきます。お水、ありがとうございました」
唐突に立ち上がると、私の手を振り解いて行ってしまった。何故にトイレ? 催したのか? まあ生理現象は仕方ない。私も水を口に含む。間接キスになっちゃった。きゃー。
アホなことを考えていたら咲ちゃんはすぐに戻って来た。治りました、と力強く親指を立てる。え、と私は間抜けな声を上げた。
「さあ、お風呂は満喫しました。葵さんも疲れは取れましたか?」
いや私の疲労なんてどうでもいいだろ!
「それより君の体調が心配だっての」
「もう大丈夫なので出発しましょう」
(此処の従業員さんに余計な心配を掛けたくないので、歩きながらお話します)
突如テレパシーで補足が入った。一瞬体が硬直する。だが、そうか。成程ね。咲ちゃんなりに気を遣っていたのか。……下手っぴ!
釈然としないながらも温泉を後にする。恐らくは、とすぐに咲ちゃんが口を開いた。
「湯船でリラックスし過ぎたのが原因かと」
どういうこっちゃ。
「何でそれで体が動かなくなるんだよ」
「自分の体を推測するのも間が抜けておりますが、多分力を抜き過ぎてしまいました。完っ全に脱力・弛緩した状態で長湯をしたため、筋肉に力が入らなくなったのではないでしょうか」
「……あるのか? そんな現象」
「わかりません。後で検索してみます。ですが、復活した方法はですね。ただ思いっ切り全身に力を入れる、という単純なものでした」
「そいつが出来ないから身動きが取れなくなったんだろ」
「はい。逆に、意識して力を込めたら葵さんの手を握れました。もしや同じように今度は全身で力んだら動くようになるのではないか。そう思い、じゃあ人はいつ最も力を入れるかなと考えまして」
「……トイレで気張って来たわけか」
「もし何かが漏れてもいいように……」
「咲ちゃんから聞きたくなかったなぁ」
「詳細は省きますが、思った通りでした。弛緩し切った筋肉を力んで何とか硬直させることにより再び動かせるようになったと思われます。ご迷惑とご心配をお掛けしました」
ぺこりと頭を下げられる。軽く手刀を振り下ろした。すみません、と割とちゃんと謝られる。だけどちゃんとこっちの気持ちも伝えておかなきゃね。
「したよ、心配。焦ったよ、マジで心の底から。もし脱水症状や熱中症で咲ちゃんに万が一のことがあったらどうしよう。田中君と婚約したってのに、その前にもしもが起きたらやり切れない。そんな風に滅茶苦茶焦った。君が体が動かせない以外は普通に振舞ったからパニックは起こさなかったけどさ。びっくりさせないでくれ。頼むよ咲ちゃん、私は君が大事なんだ」
思いの丈を全て口にする。すみません、と咲ちゃんは唇を噛んだ。
「いつもと同じように入浴をしていたのですが、まさかこんな事態に陥るとは。葵さんがいてくれて助かりました。ありがとうございます」
「今まで、運が良かっただけじゃねぇの。入り方、考え直した方がいいと思うぜ」
その時、もしかしたら、と咲ちゃんは手を叩いた。
「今日はいつもよりも更にリラックスしていたのかも知れません」
「そうなのか? お湯がいつもと違ったとか?」
いえ、と微笑みを浮かべて此方を覗き込んだ。
「大好きな葵さんと一緒に来たから、心身共に力が抜けたのだと思います」
その言葉に、バカ言ってんじゃない、ともう一発手刀をお見舞いした。痛いです、と額を押さえている。そりゃそうだ、照れ隠しだからあんまり手加減しなかったんだ。そんでもって今、顔が赤いのは湯上りなせいだ。まったく、お風呂上りは隙が多いですわね。やれやれ。
「……ありがとう」
ただ、大事な咲ちゃんがそう言ってくれたのだから、私もちゃんと答えないといけない気がした。だから、聞こえるかどうかの本当に小さな声で呟いてみる。いえいえ、と笑顔で腕を絡められた。ちぇっ、聞こえてやんの。
「あとは何処を訪れる?」
強引に話題を変える。ひねくれ者は恥ずかしい顔を見られたくないのだ。
「取り敢えず私がご案内したい場所は一通り回りました。どうします? また街の中を散策しますか?」
「うーん、でも坂ばっかりだしなぁ。あれ、そういや確かに疲れが取れている。すげぇなあの温泉!」
「ふっふっふ、実感していただけましたか。そうなのです、凄いのです」
咲ちゃんが鼻高々なのも良しとしよう。私にあそこを教えてくれたのだからな!
「よし、じゃあ帰ろう」
「えっ、折角疲れが取れたのだからもう少し見ていこう、とはならないのですか?」
軽く腕を引っ張られた。うん、と躊躇なく頷く。そうですか、と残念そうに咲ちゃんは応じた。
「もう少し、一緒に遊びたかったですが葵さんが帰りたいのであれば仕方ありません」
「一緒には過ごすぞ? 帰って二人でやることがあるだろう。あ、ベッドインじゃないぞ?」
「当たり前です!! しかし、何を……あ」
今日の咲ちゃんは察しがいいねぇ。……いや、そうでもないか。でなきゃ弛緩するまでリラックスし切ったりはしない気がする。
「さ、元気な内に帰って打ち合わせをするとしようか。しおり作りのさ」
途端に目を輝かせた。はいっ、と明るい声を上げる。
「やったことの無いもの同士、意見を交わすとしようじゃないか」
「わかりました! わぁ、昨日に引き続きで嬉しいな」
「君が嬉しいなら私も嬉しい」
「ありがとうございます、葵さん。えへへ」
咲ちゃんは咳払いをし、では帰り道へご案内します、と私の腕を引いた。
「あれ、そういや来た時は延々坂を下って来たよな」
嫌な予感が過る。はい、と咲ちゃんは頷いた。
「……ってことは、帰りはやっぱり」
「延々上り坂です」
指差した先には聳え立つ坂。げ、と声が漏れる。折角温泉で回復したのに、これじゃあしおり作りの体力なんざ根こそぎ奪われるんじゃないのか?
頑張りましょー、と張り切る咲ちゃんとは対照的に、私の顔は引き攣っていた。
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