田中にとっての救世主。(視点:恭子)

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田中にとっての救世主。(視点:恭子)

 十四時二十八分に、電車は東秋野葉駅へ滑り込んだ。足早に改札口へ向かう。咲ちゃん、怒っているかしら。でも許可は取ったし、葵といざこざと言うか、例の件があった時と違って私は綿貫君を好きだと宣言している。だから私と彼の間に何かが起こるわけはない。とはいえ咲ちゃんが面白くない気持ちもわかる。それでもごめんね、田中君を借りるわよ。今度、揚げ餅を差し入れてあげましょう。……それにしても恥ずかしい宣言ね。まあいいわ、こうなりゃ目的遂行のために恥も外聞も捨ててやる! 相手も自分も傷付けない程度にね!  田中君は既に到着していた。柱にもたれかかって、出て来る人達をぼんやり眺めている。私の姿を見付けると、軽く会釈をした。此方は改札機を突破し、手を振る。お疲れ様です、と再び頭を下げてくれた。 「お疲れ。悪いわね、折角の日曜日に呼び付けて」 「いえ、特に用事もありませんから」 「じゃあ行きましょうか。お昼は食べた?」 「はい、済ませました。恭子さんは?」 「私はまだ。喫茶店とファミレス、どっちがいい?」 「飯食ってないならファミレスの方がいいでしょ」 「ありがと。確か西口に一軒あったわよね。そこにしますか」 「承知しました」  早速出発する。しかし、今の短いやり取りだけで実感した。ただの後輩相手なら普通に会話が出来るのに、綿貫君相手だと本当に取り乱してしまうのね、私。よくわかった。 あの、と田中君が切り出した。何かちょっとおどおどしていない? 「本当に良かったんですか、俺が相談相手で」  む、またその話か。面倒臭いわね。 「まだ気になっているの?」 「だって恭子さんのこと、葵さんとの一件で激怒させましたから。こっちから申し出ておいてなんですけど、俺みたいなクソ野郎にしゃしゃり出て来られてもウザイんじゃないかなって思い直しまして」  溜息が漏れる。あのねぇ、と立ち止まり腰に手を当てた。 「そりゃあ葵に告白したことについては叱ったわよ? 私は葵の親友だし、咲ちゃんだって大事な後輩だもの。でもそれとこれとは別の話。私が君の力を借りたいから、咲ちゃんに睨まれながらもこうして二人で会っているの。今の私には田中君が必要なのよ。私の、く、クリスマス、デートを、成功させるためには」  うぅ~、どうしてもまだ恥ずかしさが勝るわね。葵と咲ちゃん、神様と武者門さんの前ではお酒が入っていたとはいえハッキリ宣言出来たのに、何でこんなに照れちゃうのかしら。男の子が相手だから? 「そうですか。そこまで言っていただけるのなら、まあ、最善は尽くします」 「うん。そもそもあの件については当事者の葵と咲ちゃんが許したんだから、今更私がぐだぐだ絡んだりしないわよ」 「あぁ、そうでした。恭子さんはそういう方でしたね。失礼しました」 「わかればよろしい!」  ぐっと親指を立てる。古臭いですね、と速攻で嫌味を返され蹴りを入れた。まったく、すぐ調子に乗るんだから。  足を擦る田中君を置き去りにしてファミレスを目指す。びっこを引きながら後をついて来た。ところで、と別の話題を振る。 「田中君は今度のクリスマス、咲ちゃんと何処へ出掛けるの?」  昨日、クリスマスについて自らの経験を語る咲ちゃんは割と不満げだった。さて、今年の田中君はどう考えているのかしら。参考と好奇心から問い掛ける。うーん、と彼は首を傾げた。 「今年は家でゆっくり過ごすのもいいかなぁと思っています」 「あら、そうなの? どうして?」 「咲は人混みが好きじゃないんです。去年、一昨年は張り切ってイルミネーションを見に行ったり、展示会を訪れたり、遊園地で観覧車に並んだりしたのですが、向こうは無理してテンションを上げている感が強くて。だから今年はホームパーティーにしようかって提案するつもりです」  あまりにも意外な答えで驚いた。咲ちゃんが語っていた通りなのだけど、田中君も気付いていたんだ、楽しんで貰えていないなって。プレゼントのセンスが無く、鈍感でバカちんのこの子もちゃんと咲ちゃんを理解していたのね。彼女には伝わっていないけど。ううん、だからこそ今年は家にいようかって提案されたら喜びもひとしおかしら。私の顔を見た田中君は、何でそんなにびっくりしているんですか、と眉を顰めた。 「いや、意外だったから」 「何がです?」 「咲ちゃんのこと、思い遣っているんだなって」 「失礼な。ちゃんと考えていますよ。まあどの口が言うんだって糾弾されたらそれまでですが」  その件について、葵からは一生いじられるだろうし咲ちゃんは最期まで根に持つでしょうね。 「ちなみにプレゼントはどうするの?」 「それも咲に訊きます。俺はどうやらプレゼントのセンスが壊滅しているらしいので、欲しい物を教えて貰って買いますよ」  ロマンもへったくれも無いわね。だけどイルカまみれのトートバッグや脈絡の無い低反発枕よりはよっぽどマシか。 「自分で気付いたの? センスが無いなって」 「あ、その口ぶりは咲から聞いていましたね? 俺が過去二年、何をあげたのか」  おっと、しまった。バレちゃった。まあ隠す話でも無いし別にいいか。 「うん、聞いた。普段使いのしにくいバッグと、咲ちゃんの首には合わない枕を貰ったって愚痴っていた」 「愚痴かぁ。悪いことをしたな」 「変なプレゼントだってあげる前に気付きなさいよ」 「いえ、そこじゃなくて。ありがとうって言わせたのが申し訳ないです」 「気を遣って嬉しそうな振りをさせたからか」 「そうです。こんな物、いらん! なんてクリスマスプレゼントを突き返すわけにはいかないでしょ。だから、貰っていいの? ありがとう! って咲も喜んだふりをしてくれたわけで。だけど恭子さんに愚痴を零すくらい嫌だったんだなってわかるとごめんとしか言えないですよ」  流石に喋り過ぎたかしら。悪いけど、と田中君に手を合わせる。 「私が咲ちゃんの本心をバラしたのは内緒にしてね」 「勿論です」 「ごめんね! セコイお願いで。君に負けず劣らずだわ! あはは」  開き直って笑ってみせる。確かに、と彼も笑顔を浮かべた。 「でも難しいわよねぇ、プレゼント。好みに合うと思って選んでもお互いのセンスがズレていたら喜んで貰えないし」  そうなのです、と田中君が勢い込んだ。どうでもいいけど今の言い方、咲ちゃんと一緒ね。夫婦は似るって聞いた覚えがあるけどまさに体現している。まだ結婚はしていないけど。……いいな。 「咲はイルカが好きじゃないですか。だからトートバッグをあげたんですけど、何かの折に橋本へ見せたんですよ。俺が咲にあげたバッグなんだって、なんなら我ながら自慢げに。そうしたら後日、死ぬほど馬鹿にされました。相当なイルカオタクじゃないとあれは使えない、例えば田中がカレー好きだとして大量のカレーがプリントされたバッグを持ち歩けるのか、って爆笑しながら指摘されました。その時初めて気付きました。俺、センス悪いかも、と」  カレーまみれのバッグを想像する。 「綿貫君には似合いそうね。何となくだけど」  深く考えず口にする。田中君は、それは、と言い掛け腕を組んだ。 「……確かに、やけにしっくり来ますね」 「それどころか美味そうだろって自慢して来そう」 「わかります。あとはカレーを食ってる王子様のバッグとかを懸賞で当てて誇らしげに見せ付けそうだな」 「ありそうね。ふふ、小学生みたい」 「せめて男子高校生くらいにしてあげて下さいよ。まあ男なんて一生男子ですけど」 「可愛くていいじゃない」  するっと本音が口から出てしまった。すぐに気が付き頬が熱くなる。そういうところですか、と田中君は見逃さなかった。 「恭子さんが綿貫を好きな理由」 「……うん」  素直に認める。クソ生意気な後輩とはいえ今日は私が助けを求めた。相談に乗ってもらうのに、建前で塗り固めるなんてただ邪魔なだけ。物凄く恥ずかしいけど、私が自分で選んだ助っ人なのだから曝け出していきましょう! あと、もしもあまりに彼の態度や物言いがひどくなかったら叱るし。さて、田中君から何を言われるかしら。からかい? それとも皮肉? 少しだけ身構えていると、ありがとうございます、とこれまた意外にもお礼を口にした。 「どうしたの、急に」  いえ、と彼は再び薄い笑みを浮かべる。 「前にもお伝えしましたが、嬉しいんです。親友を好きになって貰えて。あいつは橋本と並んで俺の無二の親友ですから、そいつを好きだと言われると、めっちゃいい奴だからね! って誇らしくなります。ましてや恭子さんみたいに素敵な方とはうまくいって欲しいんです。だから今日は何でも訊いて下さい。出来るだけ、お役に立てるよう頑張ります」 「……本当に、仲が良いのね」  はいっ、と明るく返事をした。親友って宣言して憚らないだけある。そういえばさぁ、とポーチを持った手を後ろで組んだ。 「私も君に言ったわね。葵を好きになってくれてありがとうって」  途端に田中君の表情が暗くなる。責めるわけじゃないのよ、と慌てて付け加えた。 「今はフラットな感情で聞いて頂戴。ほら、親友を好きになって貰えて嬉しいって気持ち、わかるわよって伝えたかったの。大丈夫、心配しないで。私から話題を振っておいて叱ったりはしないから」 「いや、恭子さんからその話題に触れられると怖いですよ……怒られるんじゃないかと身構えます。申し訳ないなぁってどんよりするし」  遅まきながらも、ちゃんと反省しているのだとよくわかった。それに対して今の私の発言は、大分配慮に欠けていたわね。 「ごめん! 軽率だった! 気持ちを共有したかっただけなの。だからそんなに暗くならないで」  それでもまだ田中君の表情は暗いまま。ね、と微笑み掛けてみせる。あの、と固い声が返って来た。 「恭子さん。ついさっき、電話でのやり取りを聞いたでしょう。当たり前だけど咲は俺がやらかさないよう大分きつく取り締まっています。咲とは葵さんも交えてもう一度話し合って、ちゃんと仲直りをしました。それどころかプロポーズも受け入れてくれました。だけど、いや、だからこそ、例の件に関する事には非常に厳しく接して来ます。勿論、当然の対応だってわかっています。俺に出来るのはただただ反省をして、繰り返さないよう気を付けるだけ」  ふっ、と自虐的に表情を緩めた。 「あぁ、でも普通は気を付けなくてもやらかしたりはしないんだろうなぁ。何故なら普通、相手の気持ちをちゃんと慮っているから。その点、俺は気遣いに欠けていました。咲に怒られるのも当然です。泣かせたり怒らせるよりも笑わせたいのですが、なかなか道のりは険しいですね。まあ、全部自己責任ですけど」  虚空を見詰める彼に、そりゃそうよ、と深く頷いてみせる。 「でもね、田中君。さっきも伝えた通り、駄目を自覚するところから進歩は始まるわ。二十四歳にして、遅まきながら君は自分のいけない部分を理解した。そしてそんな、軽率で思い遣りに掛ける上に嫌味だらけのへそ曲がりな君でもね、好意を寄せる人はいるのよ。咲ちゃんと結婚するのでしょう。それに葵も結果的に心がズタボロにはなったけど、一瞬とは言え君を好きになったじゃない。そして二人とも、変わらず傍にいてくれる。大したものよ、あの子達はさ。だったらこっちも明るく振舞いましょ。ここから俺の第二の人生が始まるんだ! って船出をするくらいの気概で頑張るのはどう? まあ咲ちゃんは当分の間、君に厳しく接するでしょうね。それもこれも、田中君を好きだから変わって欲しい一心での行動だと思う。そして、そうされる自覚を君は持っているのよね。だったらバッチリ応えて、安心出来る旦那様になって、咲ちゃんを惚れ直させてやりなさい!」  ね、とガッツポーズを作る。田中君は目を見開いていたけど、そうですね、と肩の力を抜いた。 「ありがとうございます。今日もまた恭子さんに励まされちゃいましたね。俺が相談に乗るはずだったのに」 「そっちはこれからよろしく頼むわ。ま、いいじゃない。持ちつ持たれつお互い様で」 「いや、大分救われました。気合が入り直したし、ネガティブじゃなくポジティブに捉えようって思いました。そうですね、ちゃんと変わって咲を安心させますよ」 「しばらくは怖いだろうけどね、やらかした後始末ってことで受け入れなさいな」 「仰る通り。信頼を取り戻せるよう頑張ります!」 「その意気よ! あと、婚約おめでとう!」 「ありがとうございます! 沖縄で恭子さんから背中を押して貰ったおかげですよ。本当に貴女には、感謝してもし切れません」 「あの時の私はまさか君達が結婚まで至るなんて想像もしなかったけどね。素敵な未来を迎えられてなにより!」  本当に、二人がここまで来られて嬉しい限り。そして偉いわよ、二年前の私。田中君の尻を蹴り上げたのはこの上ないファインプレーね! 「いずれちゃんとお礼をさせて下さい」 「ふふん、甘んじて受け入れるわ」 「使い方、合ってます?」 「わかんない」 「何スかそれ」  笑い合いながら、お礼って、と少し意地悪をしたくなる。 「田中君一人から私に対して? それとも咲ちゃんと二人から?」  彼はちょっとだけ考え込んだ。 「どっちも、したいですね」 「どっちも?」 「俺は俺個人として、背中を押してくれたお礼をしたい。それから咲と二人で、おかげさまでここまで来られましたって伝えたいです。あぁ、その場には葵さんも呼ぶだろうな。咲は葵さんにずっと相談していたそうですから」  ふうむ、と腕組みをする。 「じゃあ一次会は田中君と私、咲ちゃんと葵でそれぞれ一対一のやり取りをして、二次会から四人で合流っていうのはどうかしら」 「何で飲み会みたいなノリなんですか」  若干の呆れを見せた田中君だったけど。あれ、と首を傾げた。 「恭子さん。その案、めっちゃ良くないですか」 「でしょ? これならそれぞれの相談相手にお礼をちゃんと伝えられるし、田中君が私と一対一になっても咲ちゃんに睨まれずにすむと思う。そして四人でフィニッシュよ。思い付きにしては悪くないでしょ?」 「っていうか実現したい! やりましょう、その会!」  あら、こんなに乗り気になるとは予想外ね。 「俺、咲に話してみます。年内は厳しいかも知れないけど、結婚式の前には絶対にやりましょう!」 「おおう、ノリノリじゃない。そんなに受け入れて貰えて嬉しい限りよ」 「ありがとうございます! まったく、恭子さんはどこまで俺を助けてくれるんですか!」 「助けたつもりはないけどねぇ。でもプラスになったら何よりよ」  その時、ファミレスの看板が目に入った。いい案だぁ、と喜ぶ田中君を尻目に私のお腹が鳴るのであった。ぐぅ。
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