可愛いじゃないの。(視点:恭子)

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可愛いじゃないの。(視点:恭子)

 パスタでお腹は膨れた。食後に暖かい紅茶を啜る。田中君はアイスコーヒーを飲んでいる。カップを置いた私は背筋を伸ばした。彼が少し目を見開く。 「待たせたわね。本題に入ろうと思うんだけど、いい?」 「勿論です。そのための集合ですから」  ありがとう、と伝えて咳払いをする。それで、と話を始めようとする。 「わ、私、綿貫君、で、で、デートを、いや! 疑似なんだけど! く、くくクリスマスに、クリスマス!! そう!! クリスマスにさ! 夜景がね!? 街、綺麗かなって!! 見に行こうかと!! 海辺で! それで! 雰囲気が、た、高まったら! こ、ここ、告白!? するの!? どう思う!?」 「いやどんだけ緊張しているんですか。息、止まっていますよ?」  指摘されて初めて気付く。大きく吸い込み、ぶへぇ~っと吐き出した。 「恭子さんと綿貫がクリスマス当日に疑似デートをするんですよね? そして夜景が綺麗だから海辺へ見に行くつもりで、雰囲気が良ければ告白をしようかと考えているのだけど、どう思う? と、言いたいのでしょうか」  黙って親指を立てる。伝われば何でもいいわ。しかし田中君は、本当に大丈夫なんですか? と顔を覗き込んできた。当たり前だけど全然トキメかない。 「俺に説明する時点でそんなにテンパるようですと、当日綿貫を前に告白をしようとしたらぶっ倒れそうですが」  あー、と我ながらだらしない声を漏らす。落ち着いて下さい、と静かに窘められた。 「綿貫を相手に緊張してくれるのは、好きだって証拠ですから嬉しいですけどね」  その言葉を聞き、更に顔が熱くなる。 「す、好きとか急に言わないでよ!」 「ともかく、少し冷静になって下さい」 「無理! 照れる! 恥ずかしい!」 「叫ばないの。告白なんて考えたら緊張するのもわかりますけどね。ほら、深呼吸をして、紅茶を飲んで一旦リラックスして下さい」  胸に手を当て呼吸を繰り返す。一瞬、田中君の視線が胸元へ向いた。好みに口出しはしないけど、せめてもう少しバレないように見なさいよ。 「落ち着きましたか?」  まだ顔面が火照っている。無理よぉ、と我ながら情けない声を上げた。 「えぇ……綿貫ですよ? よく考えてみて下さい。緊張する必要がどこにありますか」 「だってぇ……」 「いいですか恭子さん。はっきり言って、告白に引き摺られて好きって気持ちが前のめりになり過ぎています」  ……昨日、同じような指摘をされたわね。 「綿貫のことをもう一度思い浮かべて下さい」  屈託のない笑顔。どうしてそうなるのかわからない思考。ドストレートな誉め言葉。綺麗で素敵で魅力的って言ってくれたな。そして、案外引き締まった体。そう、観覧車を降りた時に、抱き止め、られ、て……!  テーブルに突っ伏す。無理、と何とか絞り出した。 「……一体、恭子さんには綿貫がどう見えているのですか?」 「…………」 「言葉にならない、と」  机を叩く。反動で顔を上げた。赤すぎ、と冷ややかに指摘される。 「うっさい! 本当に君ってば可愛げが無いわね」 「恭子さんがテンパり過ぎているから冷や水をぶっかけようと構えているんじゃないですか」 「嘘! 君、普段からそんな感じよ!」 「咲にはもっと素直に接しますもん」 「葵には?」 「そのいじりはやめなさい!」  咳払いをした田中君は、いいですか、と腕組みをした。偉そうね。 「もう一度、綿貫の現実をお伝えしますから頭を冷やして下さい。サバ缶と蕎麦とコーンポタージュを同時に食い、夜中にトイレへ行こうとして階段を踏み外し捻挫をした挙句その日も水を流し忘れ、また別の日には酔っ払って窓を開け離して寝ておきながらふと目を覚ました瞬間にはためくカーテンをお化けだと勘違いして絶叫し俺と橋本に怒られ、半年前に録画した番組なのに速報のテロップを見て二月なのに台風上陸だって! 異常気象だな! とびっくりし、なんなら未だに社会の窓を閉め忘れたまま居酒屋をうろつくアホですよ。目を覚ましなさい。惚れていただくのはありがたいですが、恭子さん、意識し過ぎ」 「……」 「恭子さん?」 「……」 「聞いています?」 「…………か」 「か?」 「可愛いじゃないの……」  俯きつつ、率直な感想を述べる。凄くキュンと来ちゃった。田中君は目を瞑った。おもむろに拳を握り、自分の額を軽く叩いている。しばしの沈黙が訪れる。そして、まあ、と彼は再び口を開いた。 「そのくらいの度量が無いと綿貫とは付き合えないとも思いますが、盲目にも限度があります」 「ちゃんと見ているわよ。その上で」 「可愛いし照れちゃう、と。っていうか、そんな調子でよく疑似デートが成り立っていますね。綿貫も恭子さんの前では緊張するでしょ?」  それに対し、ふふん、と私も腕組みをした。顎を引き、田中君を見下ろす。何故勝ち誇る、と捻くれ者は首を傾げた。 「君の見立てが間違っているから。いいこと、耳の穴かっぽじってよく聞きなさい!」 「お下品な」 「ふーんだ。何とでも言うがいいわ。なんと、綿貫君は慣れたのよ! 私にね!」  田中君は黙って反対方向へ首を傾げた。 「初回の疑似デート、その出だしは確かに大変だったわ。彼も私も合流から十分間、何も喋れなかった。だけどお昼を一緒に食べて、映画を観て、感想を話し合ってってする内にどんどん仲良くなったのよ。夕飯の時には人生観まで語るくらい距離が縮まったの!」 「……真っ当なデートじゃないですか」 「疑似デート!」 「悲しい訂正だなぁ」 「うっさい! 事実よ! そして二回目は最初からバリバリお喋り出来たの。打ち上げられたクラゲを眺めたり、水族館でマグロを見ながらマグロを食べたいって笑い合ったり、途中で奇跡的に遭遇した葵に茶々を入れられながらもその日は観覧車にまで乗ったんだから!」 「お二人らしいやり取りです。その割に、何でまだ付き合ってないんですか?」 「こっちが聞きたいわよ!」 「てっぺんでチューでもすれば良かったのに」 「あんた、また葵と発想が被っているわよ! 全く同じことを言われたわ!」 「いちいち教えてくれんでいいです!」 「そんでもってチューなんてするわけないじゃない! 付き合っていないのよ!?」 「真面目ですね。それこそ雰囲気ができあがっていたら全然アリなのに」 「バカ言ってんじゃないわよ!」  だけど何だか癪ね。こうなったら打ち明けちゃえ! 「でも抱き止められたわよ! 降車の時に私が蹴っ躓いたせいだけど!」  それを聞いた田中君は目を見開いた。マジっすか、ともう一度胸元に視線が向く。 「胸ばっかり見ないで!」 「げ、バレてた」 「あんた、あからさまなのよ。そして、別に押し付けたりはしていないから」 「綿貫は俺と違って、そういうトラップを仕掛けられても引っ掛からないですよ」 「誰がトラップよ! 本当に転んだだけ!」 「お怪我が無いどころか抱いて貰えて何よりです」 「いちいち引っ掛かる言い方をするわね」 「あいつ、結構鍛えてあったでしょ。体を動かすの、好きですから」  ぐあっ、さっき考えていたことを当てられたみたいでちょっと気まずい! 「とにかく、疑似デートはちゃんと成り立っているわ! 彼が私に慣れるという一定の成果もあげられたしね!」  ふむ、と田中君が顎に指を当てる。 「それは恭子さんにも綿貫にも前向きな傾向です」 「でしょお? 頑張っているのよ、私も彼もさ」  ドヤ顔を見せ付ける。しかし捻くれ者は無表情のまま。え、何よその顔は。ちなみに、と田中君が先を続ける。 「恭子さんとは仲良くなったんですよね。いや元々あなた達は気が合っていましたけど」 「仲良くなった」 「あいつ、恭子さんには慣れたわけだ。じゃあ女子への苦手意識も克服出来たのかな」  出来たでしょ、と言い掛け口を噤む。私には慣れた。私個人とは仲良くなった。ただ。 「それは……わかんない」 「ですよね。まあでも別にどうでもいいか。恭子さんと付き合えたら、他の女子と仲良くする必要なんて無いもんな。すみません、野暮な質問をしました」  しかし今度は私が引っ掛かる。 「ねえ。今、唐突に不安が過ぎったんだけどさ。綿貫君、疑似デートを重ねても女子への苦手意識が克服されていなかったら、もういいですってやめちゃうかな。私の時間を取るのは悪い、とか理由を付けて」  心中を隠さず吐露する。すると田中君は黙ってスマホを取り出した。 「ちょっと! 人が真面目に相談しているのに失礼よ!」 「いや、恭子さんの不安はカレンダーを見ながら話をした方が払しょく出来ると思いまして」 「カレンダー?」  言葉通り、スマホに十二月のカレンダーを表示して私へ見せた。 「いいですか。クリスマスまで、週末は三回訪れます。そして四回目はクリスマス当日、と」  二・三日、九・十日、十六・十七日、二十三・二十四日の土日ね。 「その内、一回はしおり作りの打合せのために集まる予定なんですよね?」  咲ちゃんから聞いたのかしら。うん、と頷く。 「また、別の日には綿貫とアイス・スケートをしに行くんでしょ。昨日、あいつが恭子さんを誘っていたはずです」  うん、ともう一度頷く。 「あとはクリスマス当日です。この日に告白するなら、二人がどうなるか。結論は出るじゃないですか。疑似デートを続ける、続けない以前にもう日がありません」 「……あえ?」  微妙にピンと来ない。ですから、と田中君は背筋を伸ばした。 「クリスマスの日に告白するのでしょう。それまでに訪れる週末は三回。その内二回は予定が入ると確定している。あと一回は空いていますが、無理矢理疑似デートをぶち込まなくてもいいでしょ。月に二回もするのだから」  カレンダーを指差し数えてみる。そしてゆっくりと顔を上げた。田中君、と尋ねる声が震える。 「はい」 「あと、三回しか無いの? クリスマスまでの週末は」 「はい」 「きっかり四週間後に、私、告白するの? 綿貫君に」 「はい」 「その内、一回はアイス・スケートをしに行くでしょ」 「はい」 「しおり作りの打合せ、多分また集まると思うのよ。そこでも綿貫君に会うじゃない」 「はい」 「来週告白するんだよなーって。再来週告白するんだよなーって。そんな風に思いながら、スケートをしたりしおりを作ったりするの?」 「はい」  目の前が真っ暗になる。よろめき、衝立に寄り掛かった。マジか、とついつい漏れる。ただですね、と田中君は意外にも優しい声を発した。 「無理はしなくていいじゃないですか」 「……え?」  僅かに頭をもたげると、捻くれ者の素直な微笑みが目に入った。 「何が何でもクリスマスの日に告白しなきゃ! って意気込む必要も理由も、実のところ無いんですよ。恭子さんが張り切っているだけで。こりゃあかん、心がもたない。そう感じたら、やっぱ告白は今度にするか! って切り替えてもいいじゃないですか。そうしたら、しおり作りやスケートをしに行った時、綿貫に会ったとしても意識し過ぎたりはしないでしょう。ね、あまり力を入れ過ぎないでもうちょい気楽に行きましょ」  その意見と表情に面食らう。ただ、これも昨日神様から言われたわね。肩の力を抜きなさい、恋って楽しいものでしょう、って。  息を吸い込み、長く吐く。ゆっくりと、肩が下がる。そうね、と私も自然と笑みを浮かべていた。 「ありがとう、田中君。しゃかりきになって構えなくてもいいのよね」 「そうですよ。最悪、クリスマス当日のデート中に大喧嘩をして告白どころじゃなくなる可能性もあるんです。一か月前から緊張したってしょうがないでしょ」  私はテーブルに手を付き、身を乗り出す。調子に乗るな! と田中君の脳天に手刀を繰り出した。すみません、と呟く彼の頬は何故か赤かった。
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