結局話が逸れるのです。(視点:恭子)

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結局話が逸れるのです。(視点:恭子)

 それはともかく、と田中君が頬杖をやめる。 「スタートとゴールは決まりましたね。十一時半過ぎくらいにクルーズの乗り場へ集合する。昼飯を食いながら東京湾を一周し、十四時半に帰って来る。そこから海浜公園の最寄り駅へ移動し、映画でも観るのはいかがです? 十五時台に始まったら、終わるのは十七時から十八時頃でしょう。十八時半に夕飯の店を予約して、二、三時間堪能したらいい具合に夜の海浜公園へ行けますね。そこで夜景を楽しみ、あとは流れと感情にお任せってことで」  流れるようにプランを述べた。見事ね、と私は髪をかきあげる。 「じゃあ次は観たい映画があるかどうか調べなきゃ」  今度は映画館の上映スケジュールを検索する。すぐに一つの作品名が目についた。これよこれ、と田中君に画面を見せる。 「来週から上映の始まるこの映画、丁度観たいと思っていたの! 昔の推理小説をね、アクション満載で映画化したんですって! こないだたまたま見掛けた情報番組で宣伝していて、興味を惹かれたのよ」 「ほほぉ。アクションものなら綿貫も割と好きだから乗り気になるのではないでしょうか」 「肝心の上映時間はっと。えー、十四時四十分開始ぃ? 間に合わないじゃないの。その次は十七時!? 最悪じゃないの!」  折角、完璧なプランになると思ったのに! そこへ田中君が、ちょっと失礼、と手を伸ばしてスマホをいじった。 「あ、やっぱり。恭子さん、同じ映画館でもう一つのスクリーンでも上映するみたいですよ。ほら、下に時間が載っています」  嘘、と確認をする。あら、本当に載っているじゃない! ええと、時間はっと。 「やった、十五時二十五分開始の回がある! 移動も含めて丁度いいわね!」 ようござんした、と田中君は背もたれに体を預けた。 「でもよく気付いたわね、もう一つあるんじゃないかって」 「テレビで宣伝するくらいだから、割と大規模に公開する気がしたんです。それならスクリーンを二つ割くかもって。あそこの映画館、かなりデカいし」 「成程。ナイスよ田中君!」  どういたしまして、と素っ気なく応じた。だけどその表情は柔らかい。本当にへそが曲がっているけど、誉め言葉には案外照れちゃうのよね、こいつ。咲ちゃんはそういうところが可愛いと思っているのかしら。そして葵は本当に似た者同士だわ。あの子も真っ直ぐに褒めると照れるもの。ま、それはさておき。 「映画も予約しちゃおうかしら。空き状況はっと」  サイトで調べるとすぐに出て来た。二十三日はガラガラだ。 「そっか、まだ公開されていないから評判もわからないのか。超駄作かも知れないので、予約も取られていないのね」 「言い方、ひどいな」 「だってそういう意味でしょ」 「その通りではありますが」 「じゃあ映画はこれを候補に据えて、予約は後でもいいか。綿貫君に確認してからでも十分間に合いそう。あとは夕飯のレストランよ! これも検索してみましょう!」 「しかし本当に便利な時代ですねぇ。何でもスマホで調べられるんだもんなぁ」  急に年寄りみたいなことを言い出した。どうしたのよ、とやや戸惑いを覚えたので問い掛ける。 「いや、ふっと思っただけですけどね。昔は当然、スマホなんて無かったわけで。検索も予約もこんな簡単に出来なかったんでしょ。雑誌でお店を見繕って、電話を掛けて予約をしたんでしたっけ? それこそ映画や小説みたいな創作作品の中でしか見たことはありませんが、その頃に比べて便利になったなぁって過りまして。座って指を動かすだけで、一歩も動かないまま情報が手に入り、予約を取れる。そして当日、お店へゴー。うん、恐ろしく楽ですよ」  妙なところに感心している。何と返したものか困っている私をあまり気にした様子も無く、彼は話を続けた。 「昔は昔で手間が当たり前だったから、不便なんて当然感じなかったのでしょう。むしろ雑誌で探して電話で予約が出来るなんて便利になった、と思われていた時も必ずあったわけで、じゃあその人達が今、便利なスマホを否定するかというとそういうわけもなく、ただ昔の方が味があったよね、なんて笑っていそうな気もするわけで。……結局俺は、何が言いたいんだ?」  思わずずっこける。知らんがな、と応じると、とにかく便利になりましたね、とジンジャーエールを飲み干した。 「その恩恵にあやかってお店を検索するわ」 「そうですね。あの辺ってお店が多そうだけどどうなんだろう」 「それも検索すればわかるわよ。えいっ」  グルメ系のサイトを開く。最寄り駅を条件に打ち込み検索をかけた。さて、件数はっと。 「げっ、二百件以上ある!」  はぁっ!? と田中君も素っ頓狂な声を上げた。 「多いな! そんなに飯屋がひしめき合ってんの!?」 「いやいや、歓楽街じゃあるまいし!」 「でも二百件でしょ!? 最寄り駅も指定しているわけだし、やっぱりみっちみちに飯屋が続いているとしか思えない」 「そんな街じゃないでしょ。ちょっと条件を見直してみるわ」  詳細設定を開く。あ、と声が漏れた。 「何ですか」 「駅から半径一キロ以内が対象になっていた。ちょっと広過ぎよねぇ」 「うーん、歩いて片道二十分くらいですか。不可能じゃないけど割とかったるいくらいの距離ですね。もっと狭めていいでしょう」 「あ、地図上にお店を表示させられるみたい。どうせだったら海浜公園の近くにしちゃいましょ」 「それがよろしいかと」  マップに切り替える。お店のマークが数えきれないほど表示された。 「あれ、でもほとんどがショッピングモールの中のお店ね。うーん、混むだろうからこの一帯は避けた方がいいかしら。だけど外すと居酒屋が二軒くらいしか引っ掛からない! どうしよう!」  田中君がまた頬杖をついた。どうしてだろう、そこはかとなくイラっと来る。わざと神経を逆撫でするような態度を取っているのかしら……。 「夕飯のお店は予約出来るんだから、混雑は気にしなくていいでしょ。そりゃあ店までの道中は混んでいるかも知れませんが、すし詰めになって動けないような状態のわけも無し。気にしなくていいと思います」 「そっか、警戒すべきは風邪やインフルエンザの感染くらいね!」 「そんなに罹りたくないですか?」  その言葉に、コラっ、と人差し指を突き付ける。眉を顰める彼に、当たり前でしょ、と追撃をかけた。 「そりゃあ誰しも病気にはなりたくありませんが」 「それだけじゃないわ。だって五日後は皆で旅行だもの。インフルエンザなんかに罹っている場合じゃないのよ!」  あ、と彼は手から顔を離した。そして、失礼しました、と小さく頭を下げた。うむ、謝れるのは偉いわ。だけど可愛くないから責め立てようっと。 「駄目よ、軽々しく発言をしては」 「同じことを昨日、高橋さんにも注意されました。あー、俺、やっぱバカだ」 「うん、知っている。ちなみにあんた、今の旅行をすっかり忘れていたかのような発言、葵の前で絶対にするんじゃないわよ。理由はわかっているわね?」  はい、と大人しく頷いた。 「葵さんが折角、そして恐ろしく珍しく、皆を誘ってくれました。おまけにしおり作りやボドゲの選定まで割り振っている。つまり旅行を楽しみにしているのですね」  それだけじゃない。あの子が大きく変わるチャンスでもある。今まで、先頭に立って旗を振るのを嫌がっていた。皆に対して、集まろうって呼び掛けたことなんて一度も無かった。流石に私は一対一で誘われるけど、あの子は他人に対してどこかまだ、遠慮をしているように私には見える。理由はわかっている。葵は自分の価値がゼロだと認識していると二年前に教えてくれた。そして、私達から大事に思われていると気付いたから、自分の身を投げ出すような真似はもうしない、と二人きりの公園で約束を交わした。以来、あの子は少しずつ変わって今では痛みを一人で背負おうとしなくなった。一方、私は少しだけ引っ掛かっていた。あの子が得た存在意義は、自分が他人に大事だと思われているから、というものだ。じゃあ、葵にとっての自分自身の価値は変わったのか。ゼロではなくなったのか。それは気になっている。ただ、今は丁度良く変わったので、わざわざつつく疑問でもない気もした。折角最近は目の前のバカに派手な傷を負わされた以外はとても楽しそうなのだから、水を差すのも悪いと思う。だけど、未だに他人の時間を自分が奪いたくはない、と主張するあたりに根柢にある価値観の変わらなさが滲み出ている。そんな葵が勇気を振り絞って集合を掛けたのだ。そして七人の内、一人残らず旅行への参加を決めてくれたこと、返答が三時間以内に揃ったこと、皆からお礼や楽しみだって言葉を掛けられて、嬉しくて泣いちゃった辺りから、少しだけあの子も自分自身を肯定的に捉えられるかも、と傍らで見ていて私は感じた。何より、皆と一緒に楽しむって口に出してくれたのよ。全員揃って全力で遊ぶ義務があるとすら思っている。ただ、これは親友たる私だけが気付いているであろう話なので田中君には教えない。彼と橋本君と綿貫君の間で交わされるやり取りが私には理解不能であるのと同じように、私と葵しか抱けない秘密があるのも当然だ。  だから、そうよ、と深く頷くだけにとどめた。 「これ以上、葵さんをズタボロにしたら流石に罪悪感がヤバいです」 「それだけじゃないわ。葵ラブな咲ちゃんにぶっ飛ばされかねないわよ。勿論、次に君が葵に対してやらかしたら、私は踵落としをかます気でいるから忘れないように」 「はい。不用意な発言を減らせるよう努力します」  うむ、ともう一度頷く。 「で、何をしていたんだっけ」  すっかり忘れちゃった。 「夕飯のお店を選んでいたんですよ」 「あぁ、そうだった。じゃあモールの中のお店でもオッケーね。ちなみに綿貫君ってどういう系の料理が好きなの? イタリアンのレストランと居酒屋には一緒に行ったけど、実は中華が一番好みだったりする?」 「特にこだわりは無いですよ。その日の気分で食べたい物は変わります。そして好き嫌いは無いからどの店に行っても文句は言いません。酒はビールをよく飲みますが、焼酎もハイボールも日本酒もワインもいけます」 「奇遇ね。私もお酒は何でも飲めるわ」  田中君が何か言おうとして言葉を飲み込んだ。 「見ればわかる、とでも言いたいのかしら?」  私の指摘に、げ、とまたも困惑を浮かべた。 「あんたね、発言には気を付けますってぇのは口に出さなきゃセーフって意味じゃないのよ。そのもう一段階前のところ、言おうとすらしていない時点で止めなさい」 「……頑張ります」 「今までどれだけ好き勝手な物言いをしてきたか、そしてそういう根性の曲がった発言をするって見透かされているか、少しは身に染みた?」 「参りました」  テーブルに頭を擦り付けて来た。パフォーマンスより実態を伴わせなさいとぶった切る。やれやれだわ。
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