恭子、田中と内緒話に勤しむ。(視点:恭子)

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恭子、田中と内緒話に勤しむ。(視点:恭子)

 咳払いをして紅茶を飲む。一息ついてから田中君を手招きした。 「隣に座ってよ」  そう言うと目を丸くした。 「もし咲ちゃんに見付かったら、私が密かに聞きたいことがあったからってちゃんと伝えるからさ」 「いや今日は来ないとは思います。だって葵さんと温泉に行っているのですから。ただ、良心が痛むなぁ」 「今更、何言ってんの? いいから、他の人には聞かれたくない話なの。大丈夫、当たり前だけど君に手を出したりはしないから」 「血迷った発言は大概にしなさい」 「あんたにだけは言われたくないわね」  やれやれ、と首を振りながらようやく私の隣へやって来た。何ですか、と彼がテーブルに頬杖をつく。その耳元に口を寄せた。うん、見事なまでにドキドキしない。そういえば少し前に、咲ちゃんへプロポーズをしないまま結婚式の話を進めていた田中君に引っ付いて動揺させたっけ。あの時は葵も彼を別に何とも思っていなかった。私は今も昔も田中君を意識なんてしたことは無い。だからあの日も今日も全然ドキドキなんてしない。これが、綿貫君相手だと途端に心臓が爆発しそうになるのだから恋って物凄いエネルギーを持っているのね。 「ちょっと、息がかかってこそばゆいんですけど! セクハラですよ恭子さん!」  おっと、また考え事をしてフリーズしちゃった。誰がセクハラよ、と眼前の田中君にデコピンをかます。 「耳に息を吹きかけておいて指摘したらデコピンって、流石にひどくないですか?」 「それで、訊きたいことっていうのはね」  強引なんだから、と呆れられる。構わず話を先に進めた。 「咲ちゃんに告白をした時は緊張したのよね」 「え、今更その話? まあ、そりゃあ滅茶苦茶緊張しましたよ。さっき、話した通りです」  そっちはやっぱりそうよね。じゃあ、と耳元で囁く。 「葵に告白をした時は?」  途端に彼が体を離した。ソファから落ちるギリギリのところまで下がっている。 「……何でそんなことを訊くんですか。いじりだとしたらやめて下さい。俺が元凶ではありますが、被害者である葵さんがいじる以外ではもう触れるべきじゃない話です」  睨む彼に、いじりじゃない、と首を振る。 「気になったの。つい口を突いて出た、って君は言ったわよね。葵に対して告白をする気なんて無かったの?」 「……どうして恭子さんが蒸し返すのですか」 「葵の親友だから」  その返答に田中君は唇を噛んだ。 「純粋な疑問なの。私は綿貫君を前にするととてもドキドキする。君も咲ちゃんへ告白をする際、とても緊張したのよね。じゃあ、葵に告白をした時はどうだったの? 気が付いたら、葵さんが二番目に好きです、って口から零れていたのよね。その時はドキドキしたの?」  田中君はふてくされたように腕を組んだ。聞いてどうするのです、と鼻を鳴らす。 「知りたい。ただ、それだけ」 「どうしたんですか恭子さん、貴女らしくもない。こんなデリケートな話題へ無神経に踏み込んでくるなんていつもの恭子さんじゃないですよ」 「君が相手だからよ、田中君。周りから注意されるような不用意な発言の多い君だから、こっちも踏み込んでもいいかなって」 「……因果応報って言いたいので? もしくは自業自得」 「不躾はお互い様ってことでさ。たまにはノーガードで殴り合ってみましょうよ」  田中君が息を吐き、腕組みをやめた。わかりました、と目を細める。 「しかし何でまた、そんな気になったんですか」 「言ったでしょう。知りたいの、どんな感情の動きをしたのか」  首を傾げられた。そりゃそうよね。あのね、と切り出し直す。 「私、綿貫君を気にしているって自覚してからたくさん迷い、悩んだの。一人じゃどうしようもなくて、葵と咲ちゃんに何度も相談に乗って貰った。まあ詳細は咲ちゃんから教えて貰うといいわ」 「いや、多分咲は恭子さんのプライバシーを尊重して秘密にすると思います」 「その辺りの判断は各々に任せる。そして、迷っているのは今も変わらない。今日、見て貰ってわかったでしょうけど、告白だとか綿貫君本人とのやり取りなんかに直面すると、とても緊張してしまうの。真面目に気持ちへ向き合っている証拠だとは言われたし、私はそういう人間なんだと自分でも受け入れてはいる。だから一層、頑張らなきゃいけないんだけどさ。一方で、気になったの。他の人はどうなんだろうって」 「それで、俺が告白した時は緊張したのかって訊いたのですか」  うん、と頷く。咲の方はともかく、と彼の眉がまた少し顰められる。 「葵さんとのことは、聞かなくてもいいじゃないですか」 「そっちはね、私個人が知りたいのもあったけど、君が葵にどういう感情を向けているのか改めて聞きたくなったの」 「……そういう蒸し返すようなやり取り、恭子さん、好きじゃないでしょ」 「そうよ。相手を傷付けかねないから。事実、私は葵に対してこの話を掘り返したりはしない。あの子の傷を抉るとわかっているもの」 「だけど加害者の俺は傷も無いだろう、だからどんな心境だったか聞いてやろう、と」 「否定はしない。ただ、君は葵にドキドキしたの? 緊張、した? 咲ちゃんの時と違って、地盤固めをしたわけでなく、会話の流れで伝えたのでしょう。どういう、気持ちだった?」 「……それを聞いた後で、人でなし、と殴るのは無しですよ」 「勿論。せがんでおいてキレたりはしない」  田中君の口から、溜息が一つ漏れた。 「答える前にもう一度、訊きます。恭子さんが個人的に興味があるから俺が葵さんへ告白した時の心境を知りたいのですね」 「そう。教えて」 「……嫌なら答えなくていい、とは言わないのですか。珍しい」 「あ、そうね。よっぽど嫌なら無理はしなくていいわよ」 「忘れていたんかい。いえ、答えます。此処まで来ておいて逃げ出したりはしませんよ」  ありがとう、と微笑み掛ける。 「……ただし、葵さんにも、咲にも、何も言わないで下さい。それだけは約束してくれますね」 うん、と深く頷く。田中君の表情は流石に固いまま。それでも、あの日は、と話を始めてくれた。 「本当に、そんなつもりは無かったはずなんです。恭子さんにもお伝えしましたが、数日前に葵さんから優しくされて気持ちが揺れていました。ううん、それ以前から人として惹かれてはいたのです。捻くれ者の似た者同士、価値観や考え方があの人とは同じだから。咲と俺がジグザグ同士のピースがピッタリと噛み合うような相性だとするならば、葵さんと俺は同じ形のピースが綺麗に重なる感じです」  真剣な話の中、ちょっとだけ頭を過ってしまった。咲ちゃんと田中君の方の例えは、何かエッチだな、と。ううむ、葵と咲ちゃんと長く一緒にいる影響かしら。私、スケベじゃないはずなんだけどな。当然、表情に出すことも無く真剣に頷いてみせる。 「咲が一番、葵さんが二番、か。改めて口に出してみるとあまりにひどい言葉です。恭子さんの叱られた通り、咲も葵さんも傷付けているだけだ。それでもあの日の俺は、伝えなきゃ、って思っていたのでしょう。俺は咲と結婚する。だから葵さんへの気持ちは精算しよう。馬鹿な考えですが、あの時は本気で大事なことだと捉えていた。ただ、葵さんに伝えてしまう直前まで、そういう思考は一切していませんでした。それでも、ふっと言ってしまった。葵さんが好きですって。それで、初めて自分が何をしたかったのか、どういう感情を抱いているのか、自覚しました。ドキドキはね、しましたよ。言っちゃった。口に出しちゃった。もう引き返せない。だけど先へ進むために必要なんだ。だから、ちゃんと二番目に好きだって伝えて、俺は咲と進みますって宣言をして、俺の気持ちだけは全部精算して、ありがとうございました、と終わらせた。あぁ、最低だなぁ。ねえ恭子さん。貴女の言葉は正しかったです。スッキリしているのは俺だけだ。咲も葵さんも被害者だ」  自嘲する笑みを浮かべた。私は口を挟まない。ただ、黙って耳を傾ける。 「その後は、ご存じの通りです。恭子さんに叱られた。葵さんとよく話をした。咲にお説教をされ、そして咲は、凄いな、プロポーズを受け入れてくれたのですから」 「婚約指輪、昨日見たわよ」 「ちゃんとプロポーズをしてきましたよ。……葵さんの気持ちを踏み付けにして」 「まあ、その辺は大丈夫。もう皆自分の中でどう消化するかを決めているから。そして君も目論見通り、気持ちを清算出来たのでしょう。咲ちゃん一筋って言い切ったものね」 「勿論です。これだけ周りを振り回しておいて、実はまだ葵さんに未練が、なんて有り得ません」 「結局、葵に好きだって伝えた時は恋のドキドキはあったの? さっきの話だと、本当に言っちゃった! って緊張感みたいに聞こえたけど」 「……しましたよ、ドキドキ。だって二番目とはいえ好きな人に告白をしたのですから」 「ふふ、君って本当に人の心が無いのね」 「ちょっと! 恭子さんが包み隠さず話せって言うから!」 「冗談よ。そっか、ドキドキするか。咲ちゃんの時もドキドキ。葵の時もドキドキ。二年前は皆の手を借りて、こないだは弾みとはいえ自分一人で、君は二回も乗り越えたわけだ」 「二回目は明らかに越えちゃいけなかったのですが、あぁ、俺はやらかしてしまったのです」  手を伸ばし、私の傍らに置いてあったジンジャーエールを手に取った。田中君はそれを一息に飲み干した。 「咲も葵さんも恭子さんも、優し過ぎます。今頃、皆から軽蔑されて放り出されてもおかしくなかった」 「そんなの、楽しくないじゃない。少なくとも、叱りはするけど関係を壊そうとは思わないわ。私はね」 「そういうところが優しいのです。さ、俺のやらかしの振り返りは以上です。ドキドキしましたよ。しちゃ駄目なんですけど。この話を聞いて、何か参考になりましたか」  うーん、と首を傾げ髪をかきあげる。 「君がひどい男だって改めて認識したわ」 「んなこと再確認するまでもないでしょ」 「そして私だけじゃないのねって安心もした。君もドキドキするんだ」 「そりゃあよっぽど人の心が無い奴じゃなければしますよ」 「そうね。今、君の話を聞いて何か参考になったかは明言出来ないけどさ。きっと私の中でプラスにはなったと思う。ありがとう。そして、やっぱりごめんなさいね。蒸し返して喋らせて」 「別にいいですけど。そういう恭子さんも珍しいですから。ただ、話した身としては何かしら得るものがあって欲しいと思います」 「そうね。あると、いいわね」  ふと顔を上げて時計を見る。時刻は午後五時を回っていた。 「さて、デートプランを立てるという目的も達成したし、色々話も聞かせて貰ったわ。お礼に奢るから飲みに行かない?」 「奢らなくてもいいですよ。この会自体が俺からの恩返しなのですから」 「じゃあ割り勘にしようか。その分飲ませて貰うわよ」 「何でそう極端なんですか! まったくもう、困った先輩です」  ぶつぶつ言いながら田中君が席へ戻る。私は内心、咲ちゃんに手を合わせながら田中君へ改めてお礼の気持ちを抱いていた。  ありがとう、葵を好きになってくれて、と。結果は残念だったし、あの日は物凄く怒ったけど。親友を好きだと言われてどうしても嬉しいの。そして君も綿貫君を好きになってくれてありがとうと言ったわね。どうやら気持ちは同じみたいよ。私と君は似た者同士じゃないけどさ。友達想いって点では一緒ね。
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