思わぬ成長。(視点:葵)

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思わぬ成長。(視点:葵)

 よし、とパソコンの画面から顔を上げる。楽しみですね、と傍らで咲ちゃんが微笑んだ。 「シーパーク、サイトを眺めるだけでもわくわくします。シャチさん、大きいですねぇ」 「バスみたいなサイズ感だよな。あぁ、生きている内に触りたい。イルカさんの時みたいに」 「触れ合いツアーというイベントもあるのですね。残念ながら、時期が限られているので今回はお預けですが。いつか一緒に行きましょう!」  そうして両の拳を握り締めた。愛い奴、と頭を撫でる。 「さあて、調べるだけじゃしおりは出来ねぇんだよな。得た情報を纏めにゃならん。こいつが正直」  面倒臭ぇ、と言い掛け慌てて口を噤む。咲ちゃんは、その作成作業を楽しみにしているのだ。面倒臭いとかかったるいとか口にしたら、お付き合いさせて申し訳無いです、と落ち込むに違いない。ええと、何て誤魔化そうかな。 「……緊張するな。何度も言うように、私はしおり作りの経験が無いのだ」  私もです、と咲ちゃんが小首を傾げる。よし、セーフ。我ながらよく口が回るな。 「まあ取り敢えず、シーパークのサイトを見れば必要な情報は網羅されているとわかった。咲ちゃんの担当箇所の根っこは押さえたようなもんだ。あとは記事に起こしておくれ」 「ガッテンです」  あ、今かなりキュンと来た。ううん? でも田中君の口癖がうつっただけか。なんだ、無意識下の遠回しなノロケか。やれやれ。 「そんで、各々に任せたのは何だったっけか。自分が旅程表担当だったのは覚えているのだが」  ふっ、関心が無いとバレちまうな。すまん咲ちゃん。 「後は表紙と温泉施設が綿貫君、周辺観光施設と買い出し場所が恭子さんのご担当です。でもクリスマスの計画立案に集中いただきたいので、恭子さんの分も私達で調べましょう」 「んだな。しかし、まさかあいつが田中君に協力を依頼するとは思わなんだ。それだけ本気ってことだな」  そうですね、と咲ちゃんの応じ方が素っ気なく聞こえたのは、さて、身構え過ぎだろうか。悪いな、と口にする。 「え? 何故葵さんが謝るのです?」 「恭子の親友として、さ。あいつはね、自分が田中君と二人で会うと咲ちゃんが面白く無いってわかっているんだ。その上で、悪いけどって両手を合わせながら、力を借りるわ! って自分を貫き通しやがる。断られたらしょうがないけど取り敢えずお願いしてみよう! なんて、ちゃんと駄目だったら諦めると決めながら突っ込んでくるわけだ。そんでさ、やっぱ断り辛いじゃん。仲良しだから。流石にマジで相手の気持ちをぶち壊すような振る舞いはしない。その時は最初から頼んでこない。だけどセーフかアウトか判定が微妙だとなれば、ええい行ってしまえ! と振り切れてしまう。結果、今日残されたのは微妙な心持の咲ちゃんだけ。だから私は恭子の親友として君に謝る。悩ませて、ごめんね」  頭を下げると、そんな、と両手を振った。 「田中君への戒めのために厳しく振舞っておりますが、何度も言うように私はそもそも許可制など敷きたくありません。恭子さんが田中君とどうにかするわけないのもわかっております」 「でも困っていたじゃんか。どのくらい締め上げたらいいのかわからない、って。恭子が田中君を誘わなければ君が頭を悩ませる必要も無かったんだぜ」  私の指摘に、しかし咲ちゃんは静かに首を振った。 「田中君は必ず恭子さんの助けになります。何故なら綿貫君の親友だから。私達より綿貫君のことをわかっている。きっと的確なアドバイスをお伝え出来ます。恭子さんのプラスになるのですから、私も笑って送り出したいところなのです。ただ、まだ手綱を緩めるには時期尚早、慣れない厳しさを発揮しなければいけません。これは今日に限った話では無いのです。恭子さんがどうこうではありません。ましてや葵さんが頭を下げる必要も無いですよ」 「そりゃそうだがな、一応親友として一言詫びを入れておきたかったんだ」 「お心遣い、感謝致します。その上で、こうお返事をしましょう。お気遣いなく、と」  そうしてなんともまぁ穏やかな笑顔を向けてくれた。見ているだけでほっこりする。 「まったく、葵さんってば気を回し過ぎです。田中君と私の問題なのですし、今日の当人は恭子さんです。そんなところまでカバーしていたら葵さんが疲れてしまいます」  確信を突かれて鼓動が高鳴る。ちょっと休憩しようか、とダイニングチェアから立ち上がりソファへ腰を下ろした。咲ちゃんはトコトコと付いて来た。愛い奴。隣へ座った可愛い後輩の肩へしれっと腕を回す。 「君の指摘は尤もだ。私ってばさぁ、沖縄旅行の時に気を遣い過ぎて疲れてダウンしちゃったんだぜ。大水槽のところで座り込んでいたの、覚えている?」 「ご飯も食べずに行ってしまった時ですね。ほら、駄目ですよ。無理をしてご自分がダメージを負ってしまっては」 「な。昔の私ってばアホだよな。その上、最近もあっちゃこっちゃ首を突っ込んで余計なお節介を焼いて回って、まあ無理の無い範囲でやっているし楽しませて貰っちゃいるから問題は何も無いんだけどね。やっぱし気を遣い過ぎだと思うかい」 「それはもう。もっとのんびりして欲しいです。だから今日も温泉へお連れした次第です」 「お心遣い、感謝しまさぁ。おかげで気分転換になった」 「……葵さん」 「ん?」 「でも気を遣わない、横暴になった葵さんは葵さんではありませんね」  その指摘にいたずら心が首をもたげる。そんじゃあさ、と肩を抱く腕に力を籠めた。ずずいっと顔を寄せる。 「たまには肉食系でいってみようか。嫌だって言っても食べちゃうぜ」  そうしてチューするふりをする。きっといつもより慌てふためくに違いない。そんな咲ちゃんの愛しい反応を期待しつつにじり寄る。……しかし。  そっ、と咲ちゃんは目を閉じた。え、何この反応。受け入れ態勢、バッチリじゃんか。 「……本当にチューしちゃうぞ」  戸惑いつつ断りを入れる。一瞬、目が開けられた。やけに潤んでいる。そしてほっぺは薄っすら赤い。あ、また閉じた。 「……はい」  え。え? えぇっ!? 何だよ、はい、って! チューしちゃっていいの!? 奪っちゃうぞ!? 咲ちゃんの薄くて桃色の食べごろな唇を、チューっと、チュィーっと、私が! 奪って! 「いいわけないだろ!!!!」  弾かれるようにソファから飛び退く。荒い息をつく私を見て、あら、と咲ちゃんは緩やかに小首を傾げた。 「肉食ではないのですか?」 「冗談だっての! 食べちゃっていいわけないだろうが! 君、田中君と結婚するんだろ!? 何を私のチューを受け入れているんだよ!」 「しようとしたのは葵さんです。私は、いつも袖にするのも申し訳ないので葵さんが本気だったらコッソリ受け入れてもいいかなぁ、と」 「咲ちゃんのおバカ! もっと自分を大事にしなさい!」 「でも一緒にお風呂へ入った仲ですし」 「それじゃあ銭湯で遭遇した人とは皆とチューしていいって意味になっちゃうでしょ!」 「肉食系はそのくらい平らげるのかと思いました」 「私を何だと思っているの!? そんな性欲魔人じゃない!」 「葵さんがご自分で仰ったのに。食べちゃうぞって」 「拒否しなさい! 照れる貴女を見たかっただけ!」 「だけど恭子さんは食べちゃったじゃないですか」 「あれは恭子の振る舞いがあまりにひどかったから、罰を与えたの!」 「足腰、立たなくなっていましたね」 「何で目をキラキラさせているの!? 咲ちゃん、怖い!」 「今日はとうとう私も食べられちゃうのかなぁって」 「受け入れちゃ駄目! 田中君に顔向け出来ないじゃない!」 「そうです」  咲ちゃんが笑顔で頷いた。また予想外の返しだ、言葉に詰まる。そして気が付くと素の喋り方になってしまっていた。咳払いをして腕を組む。 「そうですって、どういう意味だよ」 ですから、と咲ちゃんはのんびりと立ち上がり歩み寄って来た。 「真面目で気遣いの塊である葵さんが、婚約者のいる私に本気でチューをするわけがないとわかっていました」 「……つまり、私を信用して受け入れるふりをしたってことか? 目ぇ瞑って、どうぞお好きにって感じを醸し出して?」 「びっくりしましたか?」  くすぐろうと構えた瞬間、身動きが取れなくなる。くそっ、サイコキネシスか! 「四年も一緒にいるのですから次の行動くらいお見通しです」 「ワンパターンで飽きられたみたいだな」 「今後も私をからかいたければ、新しい方法を考えて下さい!」  びしっと人差し指を突き付けられる。同時にサイコキネシスが解除された。そのまま私は床に膝まづく。完敗だ、と呻いた。 「チューするふりをしてむしろこっちがからかわれた上に、反撃のくすぐりすらも読み切られているなんて」 落ち込んでいると、顔を上げて下さい、と頬に手を添えられた。 「これに懲りたらしばらくは大人しくして下さい」 「穏やかな顔でキツイことを言うね……」 「約束ですよ」  当てられた手が、うわっ、耳をそっと撫でおった! 背筋に寒気が走る。勝手に声が漏れる。身を竦ませると咲ちゃんは目を細めた。 「や、やめて。耳は駄目なの」 「葵さん、可愛い」  その恍惚とした表情に、初めて咲ちゃんへ恐怖を覚えた。食べられちゃう怖さってこれなんだな。 「……」  無言でにじり寄って来る。え、怖い。怖い! 後ずさるが、あぁ! またサイコキネシス! 超能力を悪用すんな! 「お耳にふーってしていいですか」 「駄目!」 「ほっぺにチューは」 「……ギリセーフ! 田中君にちょっと悪い気もするが!」 「ぎゅってするのは」 「セーフ!」  固まったまま空中へ持ち上げられる。ソファへ座らせられると同時に拘束が解かれた。咲ちゃんはトテトテ歩いてきて、私の膝へ頭を乗せる。 「少し疲れてしまったので、癒させて下さい」 「嫌だって言ったら」 「サイコキネシスをフル活用します」  溜息を吐き、頭を撫でる。背に腹は代えられない……。しかし咲ちゃんがいつも私にやられていることをやり返されただけなんだよな。いつもごめんねぇ、と囁きかける。んふふ、と笑うその表情にまたしても背中へ冷たいものが走った。
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