刺身も無いのに何故醤油?(視点:恭子)

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刺身も無いのに何故醤油?(視点:恭子)

 ところでさぁ、と冷やしトマトを飲み込んだ私は口を開いた。喋りながらお皿に醤油を垂らす。何でしょう、と田中君は端的に応じた。 「本当にクリスマスは咲ちゃんとホームパーティをするわけ?」 「微妙に不満そうなのは気のせいでしょうか」  気のせいよ、と否定をする。実際、そんな思いは無いのだけど、声のトーンで変に捉えられちゃったのかしら。いや、でもさ。 「ただ、勿体無いかなって。折角のクリスマスなのに」  しかし田中君は小さく首を振った。 「言ったでしょ、咲は人混みが嫌いなんです。それなら家でピザでも食べながら、のんびり過ごす方がいいです」 「えー、夜ご飯くらい行けばぁ? 予約を取れば混雑も関係無いじゃない」  私の尤もな指摘に、ですから、と田中君は反論をしようとしたようなのだが。ぴたっと動きが止まった。しばし黙り込んだ後、眼球だけで天井を見上げ、次に腕組みをし、最後に首を傾げた。そして彼が発した言葉は。 「確かに!」 「バカなの?」  思わず口を突いて出る。そういやそうだ、と彼は手を叩いた。 「なにも家に引き籠る必要は無いじゃん!」 「……人混みを避けようってところまでは君の意図も理解出来たわ。だけどどうしてそこからホームパーティという反対側まで全力で舵を切ったのよ。全くお出掛けしないのも、それはそれで寂しいと思うわよ。まだ若いんだしさ」  いやぁ、と今度は頭を掻いている。妙におっさん臭いからやめた方がいいんじゃないかしら。 「お恥ずかしい限りです。よし、今年は家にいよう。それならのんびり過ごせるぞ。って、あまり深く考えず決めました」 「むしろ君、私のデート・プランを作る時の方が頭を遣ってくれた?」 「ははは、確かにそうです」  今のやり取り、咲ちゃんに聞かれたら田中君は鼻にわさびを突っ込まれるくらいのお仕置きを受けそうね。もしくは全ての鼻毛をサイコキネシスでいっぺんに引っこ抜かれるとか。 「ちなみに咲ちゃんにはまだホームパーティをしようって提案はしていないのよね?」  はい、と呑気に頷いている。この子、まともな一面とそれ以外の顔との落差が激し過ぎるのよ。だから三バカって括られるってわけ。田中君は駄目な部分が本当に駄目。橋本君は全体的に割とどうしようもない。綿貫君は思考回路がとっ散らかっている。うーん、三者三バカだわ。ま、それはともかく。咳払いをして、今度は私からアドバイス、と言葉を掛ける。 「クリスマスはこうしよう、って君が全部決めちゃうよりも、どうしたい? って聞いてあげた方が咲ちゃんは喜ぶんじゃない?」  その提案には、ううむ、と眉を顰めた。 「あら、不満?」  そういうわけではないのですが、と言いつつ表情を緩めない。 「咲はあんまりあれをやりたい、此処に行きたい、って主張をしないんです。例えばコスプレの撮影会とか、イルカとのふれあい体験とか、そういう自分が興味のあることに対してはばく進するんですけどね。俺と何処かへ出掛ける時は、田中君が行きたいところがいいな、私はその方が楽しいから、っていつも譲ってくれるんです」 「どんだけ健気なのよ……」 「いやちょっと引かないで下さいよ」  咲ちゃんに引いているわけではない。彼女がそんな風に想ってくれているのにも関わらず、葵にやらかした田中君に引いている。まったくもう、これだから困った君なのよ。そして、プランを任せられるのなら、せめて咲ちゃんの気持ちを汲んで行きたそうな場所を選びなさいよ。 「咲が気を遣ってくれているって、流石に俺にもわかります」  わかっているならやらかすのをやめんか。 「だから今回のクリスマスは、ホームパーティにしようって俺が一人で決めたのですが」 「やっぱり聞いた方がいいと思う。ホームパーティと外でディナー、どっちがいい? って。別に、大層なお店じゃなくてもいいじゃない。それこそ咲ちゃんはノドグロを扱っている回転寿司屋での晩御飯を希望するかもね。ま、それはともかく、いつも譲られるから最初から決めちゃえってのは乱暴じゃないかしら? 君達の関係性の深いところまでは知らないからこれ以上は口出ししないけど、一応私の意見を伝えたわ」  確かに、と田中君は素直に頷いた。 「恭子さんの仰る通り、俺、独りよがりになっていたかも。咲と相談してクリスマスの予定を決めてみます。なんだ、結局俺がまた世話になっちゃった。ありがとうございます」 「別に、役に立つかどうかもわからないアドバイスだけどね」 「いえ、勉強になりました」  そうして深々と頭を下げた。そんな大袈裟な、と手を振る。ちょっと偉そうだったかしら、と気になり、紛らわせるためにメガレモンサワーを流し込んだ。美味しい! 最高! 「しかし人混みねぇ。田中君の意見のおかげで要予約の場所だけをプランに組み入れたから、クルージングや映画やお店で席取りの苦労はしないだろうけどさ。街中自体にも人がいっぱいいるのかしら」  どうでしょう、と言いながら田中君が軟骨の唐揚げを摘まむ。それ、触感がいいわよね。あと塩気が強くてお酒が進むわ。 「場所によるんじゃないですか」 「そりゃそうだ」 「ちなみに例年、クリスマスは如何お過ごしだったので?」  あら、田中君には話していなかったのだっけ。 「毎年、葵と二人でそれこそホームパーティを開いていたわよ。ピザとチキンとワインを楽しみながら、一晩過ごすの。映画やアニメ、あと動画サイトで適当なものを観て、喋りながらだらだら過ごす」  葵、今年は一人でやるのかな……二十四日の日曜日は葵のところへ行こうかな……。 「じゃあ、お出掛けはしなかったのですか」 「あの子も人混みが嫌いだからね。ただ、イルミネーションは大好きなの。結構綺麗じゃんって澄ましているけど電飾よりも目をキラキラさせているんだから! 可愛いのよぉ」 「……あんま、俺に向かって葵さんが可愛いって言わないで下さいよ」 おっと、私としたことがうっかりしていた。ついさっきまで、田中君のやらかしを咎めていたのに今の発言は人の心が無かったわね。お酒が回って来たのかしら。ただ、本当にいい表情をするのよぉ。ちょっと待って、とスマホを操作する。やがて一枚の写真を見付け出した。田中君に画面を向ける。 「可愛くない?」 d799ccab-8508-49de-842e-2c8ae6ab6f9f  去年、秋野葉駅前のイルミネーションを見に行った時に撮った写真。人が多いんだよ、とぶーたれながらも明らかにはしゃいでいた。そんな葵を思わずカメラに収めちゃったわ。 「……可愛い、です」 「狙うなよ」 「だからやめて! 恭子さん、絶対酔っ払っている!」 「酔ってきてはいる。だけどまだ序の口よ」 「明日も仕事でしょ!」  スマホの時計を確認する。 「まだ六時半じゃないの。あと三時間飲んだとして、家に帰って十時過ぎ。化粧を落として、着替えて寝れば明日の朝お風呂に入るのだとしても七時間以上寝られる」 「ちょっと待って! 九時半まで飲むの!?」  んん? やけに慌てているわね。 「なによぅ、もっと早く切り上げる気? 門限なんて無いでしょうが。いや、咲ちゃんに決められているの?」  夜遅くまで外出させると何処で誰と何をしているか怪しいから? いやいや、田中君は性的にだらしないわけではない、はず。ただ葵を好きになっちゃっただけ。……だけ? だけですって!? とんでもないことよ! 気持ちがわーっとなった私に、いや、と彼が言葉を返す。……何の話をしていたっけ。あぁ、門限か。 「流石にそこまでは締め付けられてはおりません。ですがあと三時間飲みたいならペースを落とした方がいいですよ。今の勢いと酔い具合ですと、絶対に恭子さんは潰れます」  ほっほぉ、見くびられたものね。べー、と唇に触れないようにしながら舌を出す。 「お生憎様、潰れないわよー。それに、もし怪しくなったら葵を呼んで」 「コラ、葵さんにお世話して貰う前提で飲むんじゃありません」 「へーきへーき! 私達、大親友だもーん!!」  君達三バカに負けないくらいに仲良しだもーん! 「その発言、フラグにならないといいですね……」 「カエル」 「それはフロッグ」 「凄い! よくわかったわね! お見事! 乾杯!」 「そうやってまた飲むんだから……」  ぶつぶつ言いながらも、ジョッキを差し出すとちゃんと応じてくれた。かんぱーい、と発声をしてお酒を飲む。あー、美味しい。あ、無くなっちゃった。 「同じの、お願い」  メガメガ~。目は見えているけど、メガ~、メガァ~っ! なんちゃって。 「駄目! 通常サイズにして!」 「どーせ飲むペースは変わらないわ。だったら注文の回数を減らしたい」 「いや通常とメガをほぼ同じ時間で空けてますから! ペース、倍早くなっているんですよ!」  田中君の指摘に、まっさかぁ、と手を振る。笑けちゃうわよっ、あはは! 「そんな飲み方をしたら酔っ払っちゃうじゃないのぉ! 流石にそんなハイペースで飲まないわ。もぉ~、田中君ってば、酔ってる?」  ちょっと色っぽい見上げ方の練習! んふふ、下から覗き込むのである。そして目を細めたら、あー、一瞬目を逸らしたー。綿貫君にも効果はあるかしら。……いや、こんなあざとい仕草、彼相手にはドキドキしちゃって出来ないに違いない。 「それは貴女! 駄目ですよ、通常サイズで注文しますからね!」  そうしてタッチパネルを操作し始める。むっ、そうはさせるかっ! 「パネル、寄越せ」 「駄目!」  再びテーブルに手を付き腕を伸ばす。彼があからさまに顔を逸らした。最早見えようが見えまいがどっちでもいいわ。あざといとかじゃなくて、お酒が欲しい。それに見られたって減るもんじゃないし。 「はいっ、もう通常サイズで頼んじゃました! あと水も!」  ちっ。 「いらないわよ、水」 「飲みなさい! 飲まなきゃお酒も飲んじゃ駄目です!」 「あんたは私のお母さんか」 「後輩ですよ! 割とポンコツのね! そいつに諭されるようじゃ恭子さんもポンコツです!」 「だぁれがポンコツ……いや、恋愛が絡むとポンコツになるわ……」  今も田中君にはあざとく攻めて、からかえたけど、綿貫君には全然出来る気がしないし……緊張しちゃうし……。 「情緒の揺れ方がひどいな」 「今日、助けてくれてありがとうね……」 「恩返しだからお気になさらず」 「本当に、本っっ当に助かった。ありがとう」  丁寧に頭を下げる。感謝の気持ちはきちんと伝えなきゃ! 「あぁっ、髪に醤油がつきそう! って言うか刺身を頼んでいないのに何で醤油を準備しているわけ!?」  彼の指摘にテーブルを見回す。あら、確かに醤油が小皿に注がれているわね。いつの間に……? 「何でって……何で?」 「水飲め水! 既に大分酔っ払っていますね!」 「あ、そうか。逆に考えればいいんだ。刺身、頼みましょう。タコとマグロをお願い」 「ホッケが食べたかったんじゃないんですか」 「あと、いかそうめんも。葵が好きなのよ」 「でも今日は葵さん、いませんけど」 「じゃあ何で頼むの?」 「頼むから一回落ち着いて!!」  そこへ普通サイズのレモンサワーと水が運ばれてきた。お酒を受け取ろうと手を伸ばす。だけど。 「レモンサワー、こっちにお願いします!」  田中君が店員さんへ強めに頼んだ。いやこっち、と口を挟もうとしたけど、あぁっ、空中でインターセプトされてしまった! 「水はこの人に渡して下さい!」 「ちょっとぉ、私はお酒をぉ」  言い終わる前に店員さんは水を差し出して来た。うっ、邪気の無い笑顔を浮かべている。仕方ない、大人だから受け取るとしましょう。まだ宵の口だってのに水を飲んだら冷めちゃうじゃないのよさ。勿体無~い。
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