お前はウナギではなくナメクジ。(視点:咲)

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お前はウナギではなくナメクジ。(視点:咲)

 スピーカー受話にして橋本君へ電話を掛ける。二コール目で、もしもし、とすぐに出てくれた。 「もしもし。こんにちは、橋本君」 「やあ咲ちゃん。珍しいね、俺に電話なんて」  確かに彼の言う通り、あんまり掛けた覚えは無い。口説かれそうだからじゃねぇの、と葵さんが茶々を入れた。 「あれ、他に誰かいるの?」 「友達の声を忘れんなよ」 「その喋り方は葵さんですね。相変わらず咲ちゃんと仲良しだなぁ」  まあな、と返す葵さんの顔はちょっとだけ赤い。さっきの逆襲を思い出しているのでしょうか。私もやり返す様になりましたよ、うふふ。 「それで、何か用?」  橋本君の問い掛けに居住まいを正す。実は聞きたいことがあって、と私もお返事をする。 「あのね、恭子さんが綿貫君とクリスマスにデートをするのは知っているでしょう」 「うん。昨日、俺らの目の前でやり取りをしていたよ」 「そうなの。それでね、こっちは恭子さんと葵さんと私の三人が一緒にいたのだけれど、綿貫君へのプレゼントは何がいいかなって話になって。橋本君に訊くのが一番いいんじゃないかという結論に至りました」  あぁ、と彼はすぐに合点がいったらしい。 「田中はセンスが壊滅しているもんね。あのイルカづくめのトートバッグは酷過ぎる」  その言葉に葵さんが吹き出した。私の眉はついつい真ん中に寄る。 「それを実際に使う場面を想像して欲しいものなのですよ」 「全方向に対して彼は想像力が足りないねぇ。だから私に告白なんて出来るのさ」  肩を竦める葵さんに、まったくです、と頷きを返す。一方橋本君は、プレゼントねぇ、と間延びした声を出した。 「綿貫にでしょ」 「うん。恭子さんからあげるの」 「うーん、ちょっと順番に整理して絞り込んでみようか。メモ、取れる?」  待ってろ、と葵さんが席を外した。すぐに鉛筆と紙を持って戻って来る。 「オーケー。しかし一体どんな綿貫講座が始まるんだ? こないだはなかなか貴重な情報をくれたもんな」 「あぁ、佳奈と三人で飲んだ時でしたか」 「君も相当察しがいいね。おまけに口もよく回る。佳奈ちゃんに悟られず私へ綿貫君の情報を渡すとは大したもんだ。詐欺師とか向いていると思うぜ」 「失礼な」 「いやいや、褒め言葉さ」 「葵さんこそよく言いますね」  葵さんと橋本君は淡々と、だけど淀みなくやり取りを続けた。意外と仲が良いのですね。なんだか嬉しくなります。ただ、話を先に進めましょう。それで、と私は割って入る。 「何を選んだらいいのかな」  うん、と橋本君は一拍置いた。綿貫君講座、開始ですっ。 「まず飲食物は絶対に駄目。惜しくて食えない、って冷蔵庫につっこんだ上で腐り果てるまでそのままにするから」  葵さんが、『✕ 飲食物』とメモを取る。 「ちなみに腐り果てるって、具体的にはどこまでいったことがある?」 「チョコレートから酸っぱい腐敗臭が漂うまで」 「……初耳だな、チョコのそんな状態変化は」  確かに、カビが生えるのは知っているけれど腐敗臭がするなんて聞いたことがない。そして、それとは別に一つの疑問が浮かんだ。 「綿貫君、チョコをプレゼントして貰ったんだ」  まさか、と思ったのだけれど、バレンタインじゃないよと橋本君は心を読んだかのように否定をした。容赦が無いね……。 「バイト仲間がやめる時に貰ったの」 「捨てられない程、仲が良かったのか?」 「さあ? 知りません」  橋本君は素っ気ない。意地悪なんじゃなくて、本当に興味がないのだろう。葵さんも察したのか、さいですか、とあっさり流した。 「次に、普段使いの出来るもの。これもあいつへのプレゼントには向きません」 「ハンガーとかか?」  葵さんの例えに、それは元々プレゼントに向かないのでは、とツッコミを入れる。 「私は恭子にあげたぞ」 「それはお二人の仲だからです。もし、葵さんが好きな人からクリスマスプレゼントにハンガーを貰ったらどう思いますか?」  少しの間考えた葵さんは。 「ありがたく使わせて貰うが意図がさっぱりわからん」 「貴女が例に出した物です」 「そういやそうだ」  ……このやり取りは、私をからかっているのかな。新しい方法を考えて下さいとは言ったけど、今は真面目にプレゼントの相談をしたいのですが。いや、葵さんはその辺の空気はちゃんと読んでくれる方だ。つまりズレた発言はただの天然なのか。……可愛いですね。ほっぺにチューをしたくなってしまいます。そんな内心をひた隠しにして、受話器に向かい話を続ける。 「じゃあ、ハンカチとかネクタイとかかな。腐ったりはしないと思うけど、どうしてあげたらいけないの?」 「使ったら消耗するじゃん。汚れたり、穴が空いたりする。鞄だったら壊れるし、ベルトだったら切れたり色褪せたりする。そういうの、あいつは滅茶苦茶嫌がるんだ。だからタンスやクローゼットに仕舞い込む。本人が望むなら別にそれでもいいけどさ、使わない奴にあげるのも勿体無くない?」  ……何て身も蓋も無い意見なのでしょう。葵さんも返答に詰まったらしく、唇をもにょもにょ動かしているけれど言葉が出て来ない。 「やっぱ使ってなんぼだよ。だから日用品はあげない方がいい」  橋本君がきっぱりと言い切った。そっか、とだけ返す。葵さんは黙って『× 使う物。ハンカチとかネクタイなど日用品』とメモを取った。 「そうなると随分限られてくるね。使って消耗するものでなく、食べ物や飲み物でもなく、それでいてプレゼント出来る物……壁掛け時計とか?」  葵さんから貰ったうちの時計を思い浮かべた。傍らの御本人が、このこの、と照れたように鉛筆で腕をつついてくる。 「そうだねぇ。あとは綿貫の好きな漫画家の原画集とかかな」  おっと、と葵さんが手を止めた。私はさりげなく腕をさする。ちょっと痛かったのです。 「あんまり綿貫君の好みを押さえすぎるのもどうかね」 「え、何でです? あいつの好きな物をプレゼントした方が恭子さんの好感度も上がるじゃないですか」 「そりゃそうなんだが、実は今、恭子は田中君にデート・プランの立案を手伝って貰っていてね。そうなりゃ確実に綿貫君が気になっている店やスポットを予定に組み込むだろう。ただでさえ彼の嗜好へ寄せて一日を過ごすのに、最後に貰うプレゼントまでツボを押さえていたらむしろあからさま過ぎないか?」  おぉ~、と声が漏れる。流石葵さん、そこまで考えるとは思慮深いです。尊敬。 「いいんじゃないですか? あからさまで。告白、するんでしょ。好きだって伝える前に散々あからさまをぶつけまくれば、むしろ多少なりとも綿貫に、もしやって意識をさせられて空気が整うと思います」  おぉ~、と再び声が漏れる。橋本君の意見は恋愛経験が豊富って感じだ。いいか悪いか、あと佳奈ちゃんへの同情は一旦置いておくとして。こちらもある意味、尊敬。 「まあそのくらい逃げ場を無くした方が恭子も最後の一歩を踏み込めるかも知れんが」 「あ、でもやっぱやめた。面白くない」  唐突に橋本君が意見を翻した。あぁ? と葵さんがチンピラみたいな戸惑いを見せる。 「どういう意味だ」 「言葉通りです。多分、田中は全力で綿貫の好みを恭子さんに伝えます。何故ならあいつは日頃から恭子さんを恩人と崇めているから。つまり間違いなく丸一日、綿貫はデートを満喫出来るでしょう。その上でプレゼントまで好きな物を貰えるなんて、綿貫が恵まれすぎている。面白くない」  葵さんがこっちを振り返る。子供か、と受話器に入らない程度の声量で囁いた。私も深々と頷く。そして、橋本君はそうだよね、とやけに納得もした。 「あー、でも妙な物はあげたくないぞ。君は綿貫君ばかりにいい思いをさせたくないようだが、恭子の告白がかかっている。我慢して好みを教えておくれよ」  葵さんの説得に、誤解なさらず、と変わらない調子で橋本君がお返事をする。 「ちゃんとしたプレゼントはあげましょう。ただ、さっき言ったような画集なんかは嫌です」 「まあ、そうか。別にいいけどさ、私らが悩むより君に聞いた方がツボは押さえられるから。実際、ネクタイあたりかなぁ、なんて何となく考えていたくらいだし」 「私もハンカチとかどうだろう、と思っていました」 「そうなのか? 奇遇だね、咲ちゃん。チューしていい?」  黙ってお耳へ手を伸ばす。悪かった、とすぐに謝ってくれた。恭子さん、素晴らしい弱点を見付けてくれましたね。 「しかし話は大分戻っちまうが、結局何をあげたらいいんだ? 食わない、使わない、だけどプレゼントとして成立する物。それこそ観賞用のツボでもあげるかぁ?」 「それなら壁に掛けられる絵の方が良いのでは」 「綿貫に似合わないよ」 「うーん、あ! 掛け軸なんてどうでしょう! 腕組みをして、格好いいな、よくわかんないけど、なんて綿貫君は言いそうじゃないですか!?」  途端に二人が口を噤んだ。静けさが部屋に満ちる。ややあって、あの、と私は自ら切り出した。 「駄目ですか? 掛け軸」 「……俺はいいと思う」  橋本君の調子は変わらない。だけど空いた間が意味深です。あのなぁ、と葵さんは私の肩に手を置いた。 「疑似デートとはいえまがりなりにもクリスマスなんだぞ。そこに掛け軸はそぐわない。強制はしないが和より洋の方がいい。ついでに言うなら咲ちゃんよ。君、クリスマスプレゼントに田中君から掛け軸を差し出されたらどう思う?」  想像してみる。咲、メリークリスマス! これ、プレゼントの掛け軸! 咲が眺めている姿が頭に浮かんでさ。良ければ家に飾ってよ! 「……すみませんでした。何も聞かなかったことにして下さい」 「夫婦は似るって言うけどさ。君のプレゼントのセンスまで壊滅してどうすんだよ」 「血迷っただけです……私のセンスは普通です……」 「普通の奴は掛け軸を提案しねぇ」  容赦なく指摘する葵さんに、まあまあ、と橋本君が声を掛けた。 「ただ、観賞物っていうのはいい発想だと思います。綿貫だったら貰った物は大事に仕舞うか飾るかするでしょう。あ、そういや田中って咲ちゃんから貰ったハンカチをまだ飾っているの? ほら、付き合う前に君からあげたってやつ。前の家では自室の壁にぶら下げていたけど今はどうしているんだろう」  急にバラされて顔が熱くなる。ほほぉ? と葵さんの顔に悪魔の笑みが浮かんだ。 「付き合う前から随分あからさまだったんだな。なんだよ、私にはそんな話をしてくれなかったじゃんか」 「いや、あの、ただのお礼の気持ちだったので」 「恋愛相談に二年も乗ったのに、寂しいもんだねぇ。私を信用してくれていなかったのかい」 「そんなことは無いです! 葵さんだからいっぱいお話したのです!」 「でも教えてくれなかった。葵、さみしー」 「違いますって! いえ、確かに教えませんでしたが、深い意味は無くてですね!」 「で、そのハンカチとやらは今どう扱われているんだ」  それは、改めて田中君のアパートの壁に提げられている。恥ずかしいよと言ったのだけど、咲から初めて貰ったプレゼントだから、と微笑みを返された。だから未だに扱いは同じだ。でも葵さんには教えづらい! 橋本君ってば、まさか私が困っちゃうのを見越して話題を振ったのかな!? 「わ、わかんない」  誤魔化そうとしたのだけど。 「嘘吐け」  葵さん、即答! 「咲ちゃん、下手っぴー」  橋本君、ひどい! 「田中の家に行っているに決まっているんだからわかんないわけないじゃん」  凄い正論ですね! まあいい、と葵さんが頭を掻いた。 「二人の淡い思い出は大事に取っておくといいさ。観賞品、出た案は壺、絵、一応掛け軸。だが、どれもピンと来ない。あ、そうだ。フィギュアとかどうだ?」 「でも俺、綿貫の好みを教えませんよ」 「何のために君へ電話を掛けたと思っている!」 「えー、だって至れり尽くせりはずるいですよー」 「橋本君が、あからさまに雰囲気を作った方がいいって言ったんじゃないか!」 「それはそれ。これはこれ」 「お前、本当にのらりくらりとしているところは変わってないな。佳奈ちゃんに告げ口してやろ。アドバイスを求めたのに自分の気持ちでぬるぬる躱しやがったって」 「俺、ウナギですか」 「そんな美味いもんじゃない。せいぜいナメクジあたりだな。佳奈ちゃんに塩でもぶっかけて貰え」 「葵さん、やっぱ俺の扱いがひどくありません?」 「このくらいが丁度いいだろ」  お二人のやり取りの傍らで、葵さんのおうちを見回す。何かヒントになりそうな物はないかな。リビングにはダイイングテーブルとチェア、あとはテレビと作業机。その上にはパソコン。うーん、シンプル。そして参考になりませんね。立ち上がり、お邪魔します、と寝室を覗き込む。こちらにはタンスと本棚。見覚えのある背表紙がたくさん並んでいる。あの中には恭子さんのお写真が大量に保管してある。寝る前に眺めているのでしょうか。きっといい夢が見られますね。ものによっては大分ピンク色の世界へ飛んで行ってしまいそうですが。  そして本棚の上には小さな酒瓶が置かれていた。近寄って見詰める。泡盛の空き瓶だった。沖縄旅行の時に買った物なのかな。葵さんは散々気を遣ってくれた旅行だったけど、思い出の品として寝室に飾ってくれているのかな。 「ベッドに押し倒していい?」  不意にすぐ後ろから声を掛けられた。反射的に身を竦ませる。気配も足音も一切無かった。 「全然気付きませんでした……」 「事を始めるなら俺は関わらなかったことにしたいので通話は切って下さいね」  葵さんの手元から橋本君の声が響く。本当にちゃっかりしているよ……。 「そんで、我が住処から発想は得られたかい、咲ちゃん。しきりとあちこち見回していたが」 「いえ、物が少なすぎて参考になりませんでした」  まあな、と肩を竦めている。 「あと、このお酒の瓶を飾って下さっているのは個人的にとても嬉しいです。沖縄旅行の際に買われたのですか?」 「そうだよ。空港で買って、後日恭子と二人で飲んだんだ。捨てるのも忍びないから本棚の上に飾っている」  そこは思い出に浸りたいって言って欲しかったけど、葵さんは照れちゃうからそんな物言いはしませんよね。 「あ」  唐突に橋本君の声が響いた。どうした、と葵さんが応じる。なあに、と私も受話器に話し掛けた。 「葵さん、咲ちゃん」 「ん?」 「はい?」 「綿貫の写真、持ってる?」 「は?」 「えぇ?」  一体何を言い出すのでしょう?
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