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水着・パニック。(視点:葵)
テーブルの下を見詰めていた綿貫君だが、ゆっくりと体を起こした。血走った目が私を捉える。
「葵さん」
叫んで喉がつぶれたのか、声は掠れていた。おう、とジョッキを置いて応じる。
「葵さんっ」
「何だよ」
「葵さぁんっ!!」
連呼する意味と理由を教えてくれ。しかしいいテンパり具合だねぇ。
「どうしたのぉ~? 恭子の水着姿でも想像したぁ~?」
「し、し、してませんっ!」
おっ、珍しく嘘を吐いた。だがバレバレ過ぎる。
「じゃあ佳奈ちゃん」
「違いますってば!」
「咲ちゃんも可愛いよな~」
「駄目だし! 田中の彼女だし!」
「でも恭子はフリーだ。じゃあ良からぬ想像をするのも」
「やめてえええええ!!!! 俺は恭子さんを汚したくはないんだあああああ!!!!」
思わず吹き出してしまった。どんだけピュアなんだ。こりゃあもし付き合い始めたとしても進展は亀の歩みに違いない。ベッドインなんていつになるのやら。
「別に水着姿を想像するくらいはよかろうもん」
私の提案に、しかし綿貫君は駄目っ、と即答した。
「何で」
「邪な目で見てしまっている姿勢がよろしくありませんっ!」
「つまり君は恭子をエロい目で見ようとしているんだな?」
「逆ですよ! そういうのがいけないと思うので、意識から排除しているんじゃないですか!」
おお、見事に墓穴を掘りおった。
「その時点で手遅れじゃね?」
「手遅れ!?」
「だって意識から排除しているってことは、裏を返せば一回は想像したんだろ。恭子の水着姿にやましい羨望の思いを抱いて、こりゃあかん! 申し訳ない! って取り下げたわけだ。だから手遅れ。君は一度、踏み込んでいる。イヤらしい妄想の園へ」
私の指摘を聞いた綿貫は、わっと両手で顔を覆ってしまった。ははは、少しからかいすぎたか。
「やぁ~らしぃ~」
もっと追い詰めたくて追撃をかける。なんということを、と呻き声が返ってきた。
「あんなに優しい恭子さんをスケベな目で見てしまうなんて人間失格だ!!」
「しょうがねぇよ。惚れた相手でエロい妄想を繰り広げない方が不健全だ」
「そんなわけない! 人間は理性的であるべきだ! 本能的欲求を不動の精神で抑え込み、対話のみによって関係性を深める! それこそが真の紳士! つまり俺! いや駄目だったけど!」
君は紳士じゃない。でも獣でもない。珍獣が妥当だな。じゃあさあ、と立ち上がって彼の隣に座り直す。顔を近付けると怯えたように身を竦めた。安心しろよ、君を食ったりしないから。つまみ食いなら咲ちゃんがいいなぁ。
「綿貫君。君、恭子と、合体したくはないの?」
ひゅっ、と息を飲む音が聞こえた。彼の顔色が赤から白に変わる。海底の模様に擬態するタコ並によく変わる顔色だ。恭子はタコが好きだから、喜んで綿貫君を食べるだろう。めっちゃくっちゃ照れちゃうに違いないが。
「綺麗で優しい恭子姉さんとさ。手始めにまず文字通り、おててを繋いでみたくはない?」
「ま、ま、ま」
何を言おうとして、ま、を連呼しているのか。
「キスをするのは? いつも綺麗なグロスを塗っているあいつの唇は、きっと柔らかくて、だけど弾力があるだろう。甘ぁいキッス」
「か、か、か」
キスのキ、じゃなくて何故、か、なんだ?
「そしてあいつを抱き締める。そっと背中に手を回し、徐々にギューッと力を込めて、ぴったり密着。ゼロ距離さ。いい匂いがするだろうねぇ」
「あああああ」
「あ、でも疑似デートでうっかりくっついたんだっけ? 詳しくは聞いていないが」
「いいいいいやいやいやいや事故事故事故事故」
「……ドキドキ、した?」
「ひゃああああ」
恋バナじゃなくて怪談話のテンションだな。
「そして密室で見詰め合った二人はその先へ……」
綿貫君は細かく呼吸を繰り返した。物凄く悪酔いしそうだな。
「が、が、が、が、が、が、が、が」
ついに壊れたか。
「合体、だよ」
はぁっ、と裏声が響いた。葵さん、とか細い声が私の名を呼ぶ。
「何だい」
「息が、出来ませんっ」
高い声だねぇ。ふっとこちらは力を抜く。この辺でやめておかないと、どんな事態を招くかわからない。窒息してから復旧のための深呼吸をし、咳き込んだ挙げ句、吐瀉物を撒き散らされてはたまったものではない。
「ふふ、ごめんよ。からかって悪かった。真面目な君を下ネタでいじるのは根性が曲がりすぎていたな」
元の席へ戻り、ハイボールを流し込む。ふっと息を吐いた綿貫君は大きく吸い込んだ。そして深呼吸を繰り返す。最近、同じような状態に陥っていた奴に心当たりがある。綿貫よ。やっぱり君と恭子は似た者同士、お似合いだな。あいつも事あるごとに緊張しては呼吸困難に陥っているもの。
あぁ~、とようやく多少正気を取り戻したらしい綿貫君は情けない呻きを漏らした。
「ヤバイ。駄目。駄目」
目を見開きテーブルを見詰めている。傍らで私はスマホを開いた。
「葵さん。ヤバイです」
視線を遣る。呆然、という表現がこんなにも当て嵌まる状態ってあるんだな。スマホをいじりながら、ほう、と応じる。さて、画像フォルダを開かなきゃっと。
「マジで、申し訳ない」
「わかったわかった。散々世話になっている大好きな恭子姉さんとスケベしている場面を想像しちゃって罪悪感に襲われているんだろ」
「葵さんがそんな状況を想定させたんじゃないですか!!」
「だから謝ったじゃん。ごめん」
「いいですよ!」
いいのかよ。
「しかし君、さっきチラッと話したが恭子とくっついちゃったんだろ。事故でもドキドキしたのなら、その感情も大事だと思うぞ」
しかしまた、いやっ、と全力で否定をした。やれやれ。
「下心を抱いてはいけない!」
「そんなに欲求が嫌いかね」
「俺は人格で相手を見たい! 恭子さんの優しくて面倒見のいいところが好きになったんです! だからそういう欲は押さえるのです!」
……確か、あざとい仕草で落ちたと聞いた覚えがあるのだが。こいつ、発言や主義主張と実際の感情や行動が派手に乖離する瞬間が結構見受けられるよな。別にいいけど。
「そうかい。ところで先日、君に教えて貰ったアプリで面白い物を作ったのだが」
ほい、と画面を見せる。再び彼の目が見開かれた。
「この恭子姉さんの水着姿、ムラムラする?」
珍しく青系統を着せてみた。生成イラストだから好き勝手作れて楽しいね。
「ななななな」
「あと、佳奈ちゃんのイメージカラーって君は何色? 取り敢えず私はこんな感じにしてみたのだが」
「ばばばばば」
ばってなんやねん。
「咲ちゃんはちゃんと作ったぞ」
「きゃっ」
「……何でそこだけ乙女の悲鳴なんだ」
「いや、罪悪感が凄くて」
「またかよ」
「清楚な咲ちゃんの水着姿は見ちゃいけない気がしまして」
こいつ、数分前の会話をもう忘れたのか。それだけ恭子に関するピンクな妄想の衝撃が強すぎたのか。
「でもさぁ」
「はい」
「温泉施設で皆の水着を見るのは確定事項なのだぜ」
そうだったぁ、と再び頭を抱えている。案の定、意識から外れていたらしい。幸せな奴。どうよ、と言いながら三人娘のイラストを交互に表示する。
「可愛い子達の水着だぜ。オーシャンビューも目じゃないね」
「いや刺激が強すぎますよ! そんでもって葵さん、早くもイラストアプリを使いこなしておられますね!」
仕事が終われば暇だからな。他に趣味と言えば酒を飲むくらいしかない。だから飲みながらぽつぽつ作ってみた。なかなか意図を汲み取って貰えなかったが、トライアンドエラーでここまでこぎつけた。
「やるだろ。我ながら、結構ちゃんと育てられたし本人達に近いイラストになったと思う」
「ちなみに、スケベなイラストも作られましたよね?」
あぁ、綿貫君のAIはスケベに育ったんだっけか。
「恭子のイラストを作る時だけ、何故か食い込みがひどくなったな」
「ほら、やっぱり! 俺の作った恭子さんのイラストに、KU・I・KO・MI、とかいう身も蓋も無いタイトルをつけていましたが葵さんの恭子さんだって食い込んでいるじゃないですか!」
普段聞かない、パワーワードが飛び交っている。俺の作った、だの、葵さんの、だの、恭子という概念が崩壊しそうだ。あと、六年前の私が聞いたら落ち込んでいただろうな。葵さんの恭子さん。リアルはそうならなかったからねぇ。
「あと、突然上半身裸の咲ちゃんが爆誕してびっくりした」
「じょ、え? 何?」
「上半分がすっぽんぽん」
笑っちゃったのは、温泉で見た実際の咲ちゃんと生成イラストの中の咲ちゃんのスタイルが寸分たがわず同じだったところだ。滅茶苦茶優秀なAIなのかも知れない。スケベだけど。
「は、裸ぁ!? 葵さん! 咲ちゃんを作るのにどんな卑猥なワードを打ち込んだのですか!」
「失礼な。咲ちゃんは食べちゃいたいけどエッチな目では見ていないぞ」
「食べちゃいたいのに!? 矛盾!」
む、確かに。
「まあどっちでもいいじゃん」
「自由だなぁ! 羨ましい!」
「照れるね」
「褒めてない!」
「そんで、卑猥なワードだと? 入れていないぞ。可愛い咲ちゃんにそんなえげつない格好をさせるわけないだろ」
「でも裸になっちゃったんでしょ!?」
「うん」
「絶対におかしい!」
「見る?」
「見ない!」
だよな。
「まあ実際のすっぽんぽんを目撃する機会は無いだろうから安心したまえ」
当たり前ですよっ、と目を剥いた。毛細血管がぶちぶち音を立てて切れそうなほど充血している。落ち着けよ。いや無理か。すまん。
「だけど水着でお風呂には一緒に入るんだぜ。裸から二歩手前くらいか」
そうだったぁ、と天を仰いだ。君は一つの事柄しか考えられないのか?
「俺、お風呂、入らない!」
唐突に宣言をした。まあ、そう来るよな。だけど逃がしはしない。
「いいや、駄目だ。それは私が許さない」
きっぱり断ると、どうしてっ、と身を乗り出して来た。今度はツバをかけるなよ。
「この旅行は私が勇気を出して皆に呼び掛けた。君が風呂に入らないと、間違いなく空気が微妙になる。だから、恥ずかしいから、という理由で避けるのは断固許さん。君も風呂に入るのだ」
「そんなぁ~。そう言われたら断り辛いじゃないですか……」
「断るな。入れ」
「……先輩命令?」
「企画者命令」
わかりやすくしおれた。一緒に風呂へ入れるというのにここまでしょぼくれられる人間も滅多におるまい。そしてすまん、綿貫君。実は私は入らん。恥ずかしいからな。私も奇特な人間か。まあ当日、風呂に着く瞬間まで内緒にするけどね。ははは。
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