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はりきりガールと真面目君の思考。(視点:綿貫・咲)
ん、と小さな声が聞こえた。そして目を開けると、ふえぇ~い、伸びをした。寝ちゃった、と恭子さんが右手で口元を隠し欠伸をする。
「おはよう。ごめんね、待たせちゃって」
そう言って繋いだ方の手を軽く振られる。おはようございます、と返しつつ、さっきまでの俺と葵さんの攻防、と評するにはあまりにも一方的だったが、ともかくやり取りを恭子さんは知らないのだと思うと申し訳がなくなった。隠し撮りなんてするもんじゃないし、それを人に送り付けると痛い目に遭うと痛感した。俺も相当はしゃいでいたな。反省。
「あー、でもスッキリした! まだまだ遊ぼうね」
昼寝の前にも元気そうに見えていたが、案外お疲れだったようだ。
「大丈夫ですか? 無理にスケートを続けなくてもいいですよ?」
「平気! ちょっと足から疲れが上がって眠くなっちゃっただけだから。って言うかごめん! 流石に昼寝は我儘だった!」
片手で俺を拝んだ。いいですよ、と笑顔を浮かべる。
「ではリンクへ戻りましょうか」
「了解っ!」
そうしてお互い、まずは缶コーヒーを飲み干した。ええと、缶とシューズを持たなきゃいけないから、必然的に手が離れる。残念だ。
「リンクに戻ったらまたよろしくね」
そう言って恭子さんが片目を瞑る。内心を読み取られたようで恥ずかしいな!
シューズに履き替え、三度リンクへ舞い戻った。お客さんが入れ替わったかはわからないが、恭子さんは辺りを見回した。そして、大丈夫よね、と呟く。
「どうでしょう。割と注目が集まっていたりして」
「不吉なことを言わないでよ! 今日の綿貫君は意地悪なんだから」
「すみません、はしゃいでいます」
正直に内心を吐露すると、わかるわ、と深々と頷いた。
「アイススケートは楽しいもの」
そうですね、と俺も頷く。それだけが理由じゃないけど、そこまで白状するわけにはいかないから。さて、と恭子さんは手を叩いた。
「いよいよ一緒に滑りましょうか。上手く出来るかわからないから、サポートをお願いね!」
「どうしたらいいのかわかりませんが、頑張ります」
「あはは、そうよね。別にコーチじゃないものね。まっ、転ばないよう気を付けるわ! じゃあ、レッツゴー!」
えいっ、といきなり滑り始めた。慌てて後に続く。しかし開始は突然だったけど速度はあまり出されなかった。気持ちいいわねぇ、と呑気な呟きが聞こえる。すぐにカーブへ差し掛かるが、此処も危なげなく恭子さんは滑り抜けた。マジか。
「すっかりマスターされましたね」
そう声を掛けると、駄目よっ、とチラリと横目で伺われた。
「言ったでしょう、好事魔多し。気を抜かないようにしないとね」
「でも直線も曲線も問題なく滑れていますし、基礎は完璧に見えますよ」
「ありがと。それはそれとして集中!」
ピシっ、と宣言して恭子さんは前を睨んだ。おっと、親子連れがゆっくり滑っている。俺はブレーキを掛けてスピードを緩めた。恭子さんも減速し、慎重に避ける。成程、もしお喋りに夢中になり過ぎていたらぶつかっていたかも知れない。或いは調子に乗って手を繋いで滑っていたらパニクって大事故に繋がっていた可能性もある。
「理解しました。気を付けましょう」
「ねっ! そして手繋滑りは無しにしましょう。二人きりで遊べる時があったらチャレンジするわよ!」
「貸切ですか? めっちゃ金掛かるでしょ」
「お互い、頑張って稼ぎましょうね」
「諦めないんだ!」
「勿論! 一回は約束したのだから、楽しみに待っているわ。その時のために、今日はこのまま基礎練習ね! 滑るわよぉ~!」
再び恭子さんがスピードを上げた。根っこが体育会系なのがよくわかる。もしくは、高校のバレー部のジャージを着ているのでスイッチが入ったのかも。俺も足に力を込めて後に続く。お供しますよ、恭子さん。貸切に出来る日が来るかはわからない。また、隣にいるのは俺じゃないかも知れない。でも、その時が来てもいいように、今日は練習へお付き合いします!
一時間後。上がりましょう、と恭子さんがリンクの出入り口からフロアへ戻った。わかりました、と俺も続く。そうしてまたもや手を伸ばされた。バリバリ滑れるのに歩くのは駄目なんかい。無視するわけにもいかないので手を取り歩く。無言でベンチを指差すのでそちらへ連れて行った。
腰を下ろした恭子さんは、えっちらおっちらシューズを脱いだ。直後、ヤバい、と小さな声が聞こえる。
「どうしました。何処か痛めましたか」
「……違う」
低音の返事に不安が募る。怪我じゃないなら他にどんなまずいことがあるのか。
「……滑り過ぎた」
「え?」
恭子さんはじっと自分の足を見ていたが、おもむろに靴下を脱いだ。おぉ、凄い!
「足の爪にもマニキュアを施しているのですね! 可愛いなぁ」
「こっちは色を塗っただけだけど」
「いやお洒落ですよ。隙が無い!」
「ありがと。ただね、よく見て」
そう言われて、失礼します、と足を見詰める。あれま。
「ひょっとして、震えています?」
うん、と一つ頷いた。
「冷えちゃいましたかね」
「ううん。これはね、疲労よ」
「あぁ、だから滑り過ぎた、ですか。え、大丈夫ですか? 歩けます?」
恭子さんは唇を噛んで黙り込んだ。ちょっと、と顔を覗き込む。
「さっきまでバリバリ滑っていたのに、今度は歩けないって、やっぱり何処か痛めたのではないのですか? 隠さないで下さいよ。痛いなら取り敢えずドラッグストアで湿布とか買いましょう!」
しかし首を振った。痛くは無いの、と呟きが耳に届く。
「本当に? 隠さなくていいんですよ? むしろ無理して欲しくないので」
「……本当に、怪我は無いの。ただ、歩けない……いえ、もう立つのも厳しいかも……」
「やっぱり負傷を」
「してないんだってば。ただ、張り切り過ぎちゃった……足に力、入んない……」
「……それで震えているのですか」
「復活出来るかな……また君を待たせることになるわね……ごめん……」
「いえ、お気になさらず。怪我でなくてむしろ安心しました!」
ふと気付くと恭子さんの顔は真っ赤になっていた。めっちゃ恥ずかしい、と言うのが聞こえる。
「何がです?」
「だって、二十六にもなって立てなくなるまで夢中になるって馬鹿そのものじゃない……」
「そんなことは無いですよ。一生懸命練習した結果です! 本当に真面目なんだとよくわかりました!」
「部活じゃなくて遊びに来ているのに、何でここまでやっちゃったのかしら……」
あ、マズい。これは落ち込みモードに入っているぞ! 元気いっぱいだったのに、いきなりへこまないでいただきたい!
「それこそ久々の運動で張り切っただけですって。むしろ大人なのだから疲れてしまうのは仕方ありませんよ」
「自制しなかったばかりか君に迷惑を……」
「真面目に考え過ぎですってば! あ、そうだ! 二階にマッサージチェアがありましたよ! 十五分百円でした! あれで休憩すれば復活するのでは!?」
恭子さんが潤んだ瞳で此方を見詰める。
「泣かないで!」
「だってぇ……」
「ほら、マッサージチェア、試しましょう!」
「……二階なのよね」
「はい!」
さっきふらついている時に見掛けたから間違いない!
「階段、上れない……」
あぁ、そっか! 足が震えるほど疲れて立てない人に二階を勧めるなんて俺もひどいな!
「えっと、ええっと」
……そういやさっき、何気なく交わした約束が頭を過る。こっちの顔も赤くなりそうだよ、まったく!
「あの。さっき、万が一負傷したらその時はですね……」
あー、恥ずかしい! 口に出し辛い! うん? と涙目の恭子さんが首を傾げた。一応、言い出しっぺは貴女ですからね!
「おんぶします、って約束したから……その……しましょうか。歩けないのでしたら、マッサージチェアのところまで」
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!! おんぶ!? 女性を、好きな人を、俺が、おんぶ!?!? 口に出したら余計にヤベェ気持ちになった!! 出来るわけないだろ!! いや出来るけど! 気持ちが、心が、感情でパンクしそう!!
「……いいの?」
上目遣いはやめてくれ! 心臓が爆発しそうだよ!
「まあ、約束、したので。恭子さんが構わないのであれば、ですが。あ、もしあの発言が冗談だったのだとしたらすいません! 俺、額面通りに受け取っちゃって! 気持ち悪いですよね!? し、失礼しました! 調子に乗り過ぎました!」
速攻で頭を下げる。そうだよ、マジの発言なわけないじゃん! 付き合ってもいないのに女性をおんぶなんてする奴がいるか!? そんなの下心に塗れた変態くらいしかおるまい! あぁいや、例えば体調が悪くなった人を介抱したり病院へ連れて行くために必要があってすることもあるかも知れんが、緊急事態でもないのに申し出るなんていやらしい目的としか思えないわな!!
「ううん。……じゃあ、ごめん。お願い」
え、と顔を上げる。恭子さんが両手を合わせて俺を拝んでいた。
「あ、えっと、おんぶですか」
「うん。重いとは思うし、君も疲れているところ申し訳ないのだけど、頼らせて貰えると助かります。あ! 勿論、君の分のマッサージ代は出すから!」
「いや百円くらい別にいいですが……」
おんぶ。マジか。マジでやるのか。
「じゃ、じゃあ、えっと、取り敢えずシューズを返却してきます! もう滑らないですものね!?」
「流石に無理……」
「ではまずは手ぶらになってから向かいましょう! お預かりします!」
返事も待たず、シューズを二組手に取りダッシュで受付へ向かった。おんぶ。これから俺が恭子さんを、おんぶ。
マジか。マジかマジかマジか! え、えらいことになってしまった! ありなの!? 付き合ってもいないのにおんぶしちゃうなんて、そんなのいいの!? 鼓動が、血流が、爆速になる。俺、今からおんぶするの!?
マジか!?!?
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