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「お背中、流しましょうか」(視点:葵)
椅子に腰かけシャワーを浴びる。咲ちゃんも隣に腰を下ろし、同じようにお湯を浴び始めた。私の視線に気付いたのか、少し汗ばんでしまいまして、と小首を傾げた。
「それ、冷や汗だろ」
「……お喋りの熱気にあてられたのです」
一概に否定は出来ない。あいつらの熱量は電気ストーブ並だからな。
手早く頭を洗いコンディショナーを髪に染み込ませる。しばらく放置し浸透させねば。その間に体を洗ってしまい、頭からお湯を被っていっぺんに流し、最後に洗顔をすれば完了だ。毎日毎日、同じ手順を繰り返している。生活において風呂ほど再現性のある領域も珍しい。まあ変えようもないんだが。せいぜい新しい洗面道具や石鹸を買うくらいが変化かね。
そんなどうでもいいことを疲れた頭でぼんやり考えていると、あの、と咲ちゃんに顔を覗き込まれた。
「お背中、流しましょうか」
え、と我ながらバカみたいに応じる。
「私は先程お風呂に入りました。もう一度、自分の体を洗うつもりはありませんので葵さんの背中を流しますよ」
「……別にいいよ。気を遣わなくて」
「いえいえ、遠慮なさらず」
「そうじゃなくて、ほら、私ってば後輩にそういうことをさせるのは嫌いだから」
苦手、ではなく嫌いなのだ。
「私がやりたいのです。葵さんのお背中、流させて下さい」
はっきりと戸惑いを覚える。私の背中を流したいなんてさぁ……。
「……咲ちゃんも随分変わり者だな」
「葵さんほどではありませんよ」
「ふふん、言うようになったじゃないか。わかった、そこまでの申し出を無碍にするのも失礼だな。手間ぁ掛けるがよろしく頼む」
泡塗れのタオルを渡す。喜んで、と笑顔で受け取ってくれた。ううむ、しかし他人に背中を洗われるなんて初めての経験だ。緊張するね。
そっとタオルが押し当てられた。肩甲骨と腰骨の辺りを中心に、念入りに磨き上げるが如く往復を繰り返す。回数に比例して体から徐々に力が抜けて来た。ふうむ、これは。
「咲ちゃんや」
「何でしょう。痛いですか」
「ううん。めたくそ気持ちいい」
正直に感想を伝えると、それは良かった、と柔らかい声が返って来た。自分では到底不可能だと確信出来るほど、丁寧に汚れを落とされる。なかなか手が届かないところにもしっかりと布地が押し当てられる。むしろ今日までの私の背中ってえらく汚れていたんじゃないのか? こんな風にされた経験、無いもんな。そして背中を預けられる関係というものに居心地の良さを覚える。相手が赤の他人だったら決してこんな風に気を緩められない。全裸という無防備極まりない格好であるのに加えて、後ろにいるから何を仕掛けられてもわからない状態だ。それでも任せられるのは、咲ちゃんとの確かな関係性があるから。そうか、気を抜くってこういう感じなのか。もしかすると、私はいつでも他人に対して身構えていたのかもなぁ。背中を洗い始めた直後は自分でもわかるくらい力が入っていたが、むしろあれが私の通常営業で今はようやく脱力出来たのかも。
……他人っていうか、人間関係が苦手だからな。傷付けられるのが怖い。掛けられる言葉、目に入る態度、そういうものに対していつも意識を張っている。成程、そりゃあ力も入るしくたびれるわ。そのくせ寂しいのも嫌いって、私ってば我儘だね。でもいいんだ、決して一人にはならないから。だって咲ちゃんは我々がお互いに地球上の何処にいようとも必ず駆け付けてくれるもの。この子が超能力者であり、そしてこんなにいい子だから、私がどれほど救われたか。指折り数えても到底足りない。
そりゃあこの子相手なら気も抜けるか、と、すっかり弛緩した私だったが。
「ひゃっ!!」
急にタオルが脇腹を掠めた。咄嗟に身を捩る。
「あ、すみません。手が滑ってしまいました」
「お、おい咲ちゃん! 脇腹は駄目なんだって」
「失礼しました。泡立ちが良くて葵さんのボディラインが隠れてしまいまして……おまけに、まさかこんなに細いとは思わず。ごめんなさい」
「う、まあわざとじゃないならいいけど」
次の瞬間、また脇腹をタオルが掠めた。おいっ! と流石に咎める。
「今のは絶対、意図的だったろ!」
「はい。反応がとても好みだったので再現しました」
「何だ好みって!」
「普段、クールなお姉さんが背中を預けて脱力した後、弱点を擦られて悲鳴を上げるなんて、なんて言うか、その……」
「変態か! もういい、何も言わんでくれ!」
振り返ってタオルを取り戻す。えへへ、とスケベな後輩が照れ笑いを浮かべていた。ったく、とこっちは唇を尖らせる。
「折角気持ちが良かったのによぉ。やっぱり咲ちゃんはいい子だな、ってしみじみしていたのにくすぐりやがって」
「一度目は事故です。二度目はわざとです」
「やかましいわ!」
「でも葵さん、可愛かったです」
「誰でもくすぐられたら同じような反応をするっての」
「ですが、色白で華奢な体を捩って悲鳴を上げられている様はですね……」
「いい。語るな。私は自分のエロスを晒した覚えは無いし、そもそもそんなものは存在しない」
「……」
「背後からじっと見詰めるな。鏡に映っているんだよ、君の姿は」
やれやれ、と頭を振る。そんなやり取りを交わしつつ、体も洗い終わった。シャワーでコンディショナーごと全身を洗い流し、最後に洗顔をする。と、次の瞬間。
「ぷあっ!」
両脇腹を掴まれた! こんにゃろ、すっかり調子に乗りやがって! だが顔を洗っているから目も開けられないし喋れない! むしろ悲鳴を上げた拍子に洗顔石鹸がちょっと口に入った! うむ、苦い!!
急いで顔を洗い終えて再び振り返る。エッチですねぇ、と全裸で腕組みをした超能力者がうんうんと頷いていた。
「このおバカ!」
そう言い放ち、拳骨で軽く咲ちゃんを小突く。失礼しました、と舌を出した。
「随分態度がでかくなったのぉ」
「仲良くなった証拠です」
「だからってお前、背後や洗顔中に仕掛けてくるのは卑怯だって」
えへへ、と頭を掻きおった。よし、わかった。これは牽制が必要だな。
「あーあくすぐられるんじゃあ咲ちゃんとは今後一切一緒に風呂へ入れないなぁ。隙あらば人の弱点を攻撃してくる人とじゃあ、落ち着いて入浴出来ないもんなぁ」
半分冗談、半分本気で諫めると、ごめんなさい、と深々と頭を下げた。
「私、葵さんとまだまだあちこちの温泉に行きたいです。こうやって泊まった先でも一緒にお風呂へ入りたいです。これからはたまにしかやらないので、どうか許して下さい」
「いやたまにはやるんかい!!」
駄目じゃねぇか!!
「だって、葵さんの反応には私が凄くドキドキさせられましたから……」
「お前がドキドキしてどうするんだよ!?」
プレッシャーを感じているのはこっちだっての!
「願わくば動画に収めたい……」
「おい、おいこのおバカたれ。こちとら全裸だっての。十八禁動画を録らせる気はねぇ」
「私も裸です」
「ならよし、となるわけねぇだろ。何を言っているんだ」
「ごもっともですね。さあ、洗い終わったのでしたらお湯に浸かりましょう」
とてとて歩いて湯船へ向かって行く。その丸い尻、蹴っ飛ばしてやろうか。なんて呆れながら後に続く。まったく、困った後輩だぜ。
並んで浴槽に身を沈める。あぁ、と勝手に声が漏れた。気持ちいいですねぇ、と咲ちゃんは目を瞑って……いるのか? いないのか? 湯気で眼鏡が曇っていてよくわからん。
「おい、それ、前が見えないんじゃないのか」
私の指摘に、あら、と意外そうに応じた。
「ひどい曇り具合です。ちょっと失礼して」
ってことは目を瞑っていたらしい。眼鏡をお湯にくぐらせ解消している。これでバッチリです、と此方を向いた。
「バッチリ裸を見られます、って宣言されたみたいで嫌だな」
「大丈夫です」
何が大丈夫なのか。
「しかしデカい風呂はいいな。手足がゆっくり伸ばせてさ」
「そうですねぇ。おうちでこのサイズは無理ですものねぇ」
「そりゃそうだ」
下手な一軒家より広いからな。
「……当たり前の発言をしてしまいました。凄く恥ずかしいです……」
そこが引っ掛かるのかよ。
「素っ裸ではしゃいでいた奴が今更何を言っているんだか」
やれやれ、と伸びをする。咲ちゃんは対照的に膝を抱えていた。熱が籠りそうだね。
「あー、それにしても部屋に戻ったら一軍女子のお喋りが待ち受けているのかぁ」
私のぼやきに、ええ、と小さな声が返って来た。どんだけ恥ずかしがっているんだよ。君の発言は割とどうでもいい内容だったと思うぞ。
「そもそも今日は佳奈ちゃんが恭子の恋愛話を聞きたかったんだろ。二人だけで盛り上がればいいじゃんか」
「仕方ありません。何故ならこのホテルの女子会プランは四人からしか受け付けていなかったのですから」
「佳奈ちゃんも変なもんを見付けてくれたね。しかも別に飯が付くわけでもなし」
「朝食バイキングはつきます。あと、サービスで赤ワインも一本いただきました。そして割安にお泊りが出来ます」
「さいでがんすか。だがなぁ、恋バナがしたいんだったら飲み屋でダべって当日解散でいいじゃねぇか」
「それはそうですが、身も蓋もありませんね……葵さん、乗り気ではないのですか?」
「泊まりはいいけど、ノリが面倒臭かった。せめて我々のようなローテンションキャラに合わせて喋って貰いたいもんだ」
延々愚痴ると、駄目ですよ、と顔を覗き込まれた。いつの間にやら照れは解消されたらしい。……何か、咲ちゃんもちょっと変だな。あ、そうか。酒が入っているからか。私だけ素面だから振り回されているんだな。
「あの二人にとって丁度いい勢い、楽しいお喋り、そういう調子があるのです。それをこっちに合わせろ、なんて言うのは横暴です」
「でも咲ちゃんだってくたびれていたじゃんか」
「そりゃあもうくたくたでした」
あっさり認めるんかい。
「じゃあ大人しくなれって思わない?」
「むしろこっちが頑張らないとなぁ、と」
真面目か。
「無理無理。少なくとも私はパス。だってあっちは一軍、私はベンチの外だもんよ」
「またそんなことを仰る。恭子さんとは親友同士、佳奈ちゃんもお友達じゃないですか。普通に接すれば、そうすれば……」
話ながら、咲ちゃんの視線が水面に落ちた。そして、私の普通とはズレていた、と呟いた。
「普通とは。常識とは。自分一人の物差しで測ってはいけませんね……」
「おい咲ちゃん。君は私に、一軍女子のノリにもついていきましょう、って説得をしたいのか? それともやっぱ、あいつらやかましいな、って文句を言いたいのか?」
「……一軍女子のお喋りをガッツリと体験出来て満足しました。ですが、私の身も心も口も思考も付いて行けなかったが故の疲労なのだと身につまされました」
「結局、君はどうしたいんだ? 君自身も、私のことも」
「わかりません。私は何を主張しているのでしょうか」
それこそわからんからこうして質問をしているのだ。
「咲ちゃん、結構酒を飲んだだろ」
「飲んでません」
「会話に付いて行けなくて、焦りと手持無沙汰な感じから飲酒に逃げていたとみた」
「逃げてません」
「酔っ払っているな」
「酔ってません」
酔ってないって主張する時の咲ちゃんは危ない。経験則からよく知っている。
「酒が入った状態で風呂に来たから酔いが回ったんだ。暖まって血が巡ったせいでな」
「酔ってません」
「湯船でゲロを吐いたりするなよ。出禁を食らうに違いない」
「……それは、嫌ですね」
ちょっと危ないのか? んだな、と私はもう一つ伸びをした。今度は脇腹へ手が伸びて来たりはしなかった。やれやれ、今日も今日とて可愛い後輩だよ。
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