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佳奈の恋愛事情。①(視点:葵)
「まずは、そうだな。佳奈ちゃん、どう思う?」
疑問を投げかけると、うーん、と首を捻った。佳奈ちゃんみたいな恋愛経験者でも悩むのか。
「友達と恋人の差、ですか。難しいなぁ。ただ、一個はっきりと言えるのは、好きになっちゃった瞬間って確かにあります。友達どころかただのクラスメイトだと思っていた相手にドキっと来た時が」
「そのお相手が橋本君なのか?」
はい、と小さな声が返って来る。今更恥ずかしがる必要も無いとは思うが、初心な恋心を語るのは照れちゃうのかね。うん、そうだよな。私も照れ屋だから恭子に対する恋については茶化しながら話したもんな。
「君から告白したのかい」
「……私達の付き合い始めは、結構ややこしいんですよ」
ほお、と缶のハイボールを口に含む。三本目も半分くらい飲んじゃったかな。
「そういや君らの馴れ初めって知らないや」
「え、葵、聞いてないの?」
何故か恭子が反応した。あぁ、と頷きを返す。すると、むふふ、と面倒臭い笑い方をした。あかん。
「私は知っているわよぉ。佳奈ちゃんと橋本君も相当特殊な付き合い始めをしたのよね!」
意気揚々と身を乗り出した。何故お前がはしゃぐのか。……他人の恋バナだからか。本当にお好きでござんすな。だけどさぁ。
「何でお前が語ろうとしている。こういう話は本人の口からするべきだ」
「だって面白いんだもん」
理由が率直過ぎる。
「人の恋路を面白がるなっての」
しかし、いえ、と佳奈ちゃんは首を横に振った。
「ちょっと、自分では話し辛いので、恭子さんに説明して貰えるとむしろ助かります」
おや、歯切れが悪いじゃないか。
「出会い頭に押し倒したん?」
こちらは率直な思い付きを述べる。途端に、違いますよ!? と声を張り上げた。元気やんけ。
「人を犯罪者扱いしないで下さい!」
「うふふ。まあそこまではいかないけど、なかなかひどい切っ掛けなのよ。ねっ」
恭子は恭子で明らかにうずうずしている。落ち着け、お前は当事者でもなんでもない。ただの一軍仲間だろ。
「見て来たように語ろうとするなっての」
「別にいいじゃない。佳奈ちゃんたっての希望だし、私がお話致しましょう!」
「舞台役者か。芝居がかり過ぎ」
呆れる私を他所に恭子は咳払いをした。マジで語り部を引き受けるらしい。大丈夫か。
「佳奈ちゃん、もし間違っているところがあったら訂正してね。では。……あれはそう、佳奈ちゃんと橋本君が、高校……何年生の時だっけ」
全員がずっこけた。お前って奴はさぁ!
「のっけから忘れてんじゃねぇか!」
めんご、と片手でこちらを拝み右目を瞑って舌を出した。イマドキ、そんなに露骨な仕草をする奴も珍しい。残念美人、という四文字が私の脳内を駆け巡る。
「二年の夏です」
気を取り直した佳奈ちゃんが答えてくれた。だってさ、と恭子が一つ頷く。
「じゃ、ねぇだろ。ったく、大丈夫か。幸先、悪すぎ」
「ま、まあ、歳なんて当事者じゃ無ければ覚えていませんよね。その続きの部分が大事なんで、恭子さん、改めてお願いします」
佳奈ちゃんが何とかとりなす。そうね! と恭子は勢いよく親指を立てた。こっちは溜息が漏れる。
「あのね、当時の佳奈ちゃんは橋本君にドッキリを仕掛けたの。いわゆる嘘告白ってやつ。クラスメイトの友達と、橋本君をからかおうって共謀して決めたんですって。結果、じゃんけんで負けた佳奈ちゃんが、実は貴方のことが好き、って言ったのよ。放課後の教室で、二人きりになれるよう誘った上でね。そして橋本君が本気になったところで、実は嘘でしたってバラそうとしたんですって。ね」
おいおい、聞き捨てならない話だな。
「最低な振る舞いじゃねぇか、嘘告白のドッキリなんてよ。はっきり言ってクズの所業だぜ。貴様ら、人の心とか無いのか? そんなもんが楽しいのか? 人を傷付けて笑える人間なのか? クラスのそういう、明るいツラをしているくせに中身は死ぬ程陰湿な奴らを、残らずグラウンドへ生き埋めにしてやりたいと願うくらい私は大嫌いだった」
淡々と、率直な感想を口にする。佳奈ちゃんはみるみる内に縮こまった。髪で顔が隠れる。一方、まあまあ、と今度は恭子が私を宥めた。
「高校生の頃の黒歴史じゃないの。あんたもちょっとくらい、心当たりはあるでしょ? 誰かを傷付けちゃった経験の一つや二つくらいさ」
少なくともここまでひどい仕掛けはしていない。だが、ちょっとくらい、ねぇ。
「そりゃあ全く完全に欠片も無いとは言わないけど。意図していようがいなかろうが、他人を傷付けたことは間違いなくあるだろう」
具体的な記憶が一つも出て来ないけど、それは恐らく私が加害者側であるからだ。被害者はきっと忘れていないに違いない。生きる上ではどうしたって誰か他人を傷付けている。
「じゃあ佳奈ちゃんを責めないであげて」
「いや、いくらなんでも咎めるわ。やってはいけないことの一線を越えている」
「女子高生の悪ノリなんてそんなものよ。大人になった今、反省しているのだから蒸し返さなくてもいいじゃないの」
まあ見るからにやっちまったって顔はしているけど。
「そりゃそうかも知れんが……」
「今の佳奈ちゃんがとてもいい子だって葵もよく知っているでしょ。そんなにカリカリしないの。若気の至りだと思ってあげなさい」
そう言われて少し冷静さを取り戻す。確かに佳奈ちゃんはいい子だ。ちゃんと反省をしているみたいだし、あまり責め立てて空気が悪くなるのも嫌だ。
だがな。もう少しだけ、攻撃してやる。私自身の価値観故に。
「しかし合点がいったぜ。本人の口から語りたくないってのは、こんな風に語り部の恭子が庇ってくれるからだったのか」
とうとう佳奈ちゃんは首を竦ませた。
「やめなさいよ、ひどい嫌味ね。葵らしくも無いじゃない」
「けっ、恭子が優し過ぎるんじゃ」
まあまあ、と膝の上の咲ちゃんも私を宥める。ケツ、揉むぞ。
「佳奈ちゃんは悪いことをしましたが、続きのお話も聞いてあげて下さい」
ううむ、優しくて私と同じ側の人間である咲ちゃんに諭されてしまっては、意地を張り続けるのも余計に大人げなく見えてしまう。ちっ、この辺で勘弁してやるか。それにしてもそんなクソみたいな接触から、橋本君ってばよく付き合う気になれたな。やっぱあいつも変人だ。三バカは全員、頭のネジがどっか飛んでいやがるね。綿貫君は言わずもがな。橋本君も割とヤベェ奴。田中君は、あのひねくれ者の大バカ者は、常識人ぶっているくせに一番人の心が無い。とんだトリオだぜ。さぁて、ともかく出した拳は上手く引っ込めないと余計に妙な感じになる。
「へえへえ。んじゃ恭子、とっとと話せ」
だが考えるのも面倒になって親友にぶん投げた。後は頼まぁ。
「あんたが怒って遮ったんじゃないの……」
「嘘告白とかいう特殊で最低な心象から、一体どうやって橋本君と付き合う羽目になったんだ。あ、ハメってそういう意味じゃないぞ」
適当な冗談も散らしてみる。
「あんたそればっかりか!」
「誤解無きようにな。大事だろ?」
まったくもう、と溜息を吐いた恭子がすぐに咳払いをした。それでね、と続きを語り始める。よし、場が収まった。サンキュー恭子。
「実際、実行したのよね。放課後の教室で、佳奈ちゃんは橋本君へ嘘告白を」
鼻を鳴らしたくなるがぐっと堪える。しつこくキレるのも大人じゃない。腹は立つが、八年前の話だから、と自分に言い聞かせて無理矢理納得させた。いや全然出来て無いけどさ。黙るくらいには、ね。
「そうしたら、何と庇われたんですって! あの橋本君が、佳奈ちゃんを庇ったのよ!? 意外よね!」
……一瞬で話が見えなくなった。
「庇う? 何から? 野生動物か? 或いは学校を占拠しに来たテロリスト?」
「違うわよ。あんた、何を言っているの?」
絶対に私は悪くない。
「お前の説明が下手なのが原因だろ」
「だからぁ、佳奈ちゃんを橋本君は庇ったんだってば」
「だからぁ、じゃねぇよ。何から庇ったんだ?」
「何からって言うか、佳奈ちゃんの自尊心を橋本君は尊重したの」
頭が痛くなってきた。さっぱりわけがわからない。佳奈ちゃんに目を遣るが、唇を噛んで俯いている。どんだけ気まずい過去なんだよ。
「おい咲ちゃん。佳奈ちゃんのお友達の君ならば、過去も知っているんだよな? 悪いが解説をしてくれないか。我が親友の説明が、さっぱりこれっぽっちも、一ミリたりとも私には理解が出来ないんだ」
「葵、酔っ払ったの?」
「その台詞、そっくりそのまま返してやる」
「失礼な。私はまだまだ元気よ!」
そう言いながらもいつの間にか泥酔しているのが恭子だからなぁ……。ええと、と咲ちゃんがおたおたした。腕を離すと、失礼しました、と膝から降りる。温もりが離れて寂しくなった。もっとずっと傍にいておくれ。
「橋本君は佳奈ちゃんに、こう言ったそうです。話したことも無いようなよく知らない相手に告白するなんてよくない。それは君自身を傷付ける行為だ。君が俺に告白したのは、きっと勘違いからだ。だから俺は付き合わない。君は俺みたいなどうでもいい人間のことも見てくれている、とてもいい人だ。だから、俺が振るような形になってしまい本当に申し訳ない。でも自分を傷付けるのはもうやめた方がいい。クラスの中でも華やかでいる君に憧れる俺だからこそ、余計にそう思う。そして、だからこそ、今日、此処では何も無かった。明日からまた、クラスメイトとして過ごそう。そんな風感じ、だよね?」
うん、と佳奈ちゃんが頷く。
「咲、よくソラで言えたね。八年前に聡太が私に伝えた言葉、そのものだよ」
「だって佳奈ちゃん、惚気る時には絶対にこの話をするんだもん」
「あっ、それは先輩達にバラさないでよ!」
「可愛いですねぇ。橋本君の自尊心ゼロな、それでいて優しいところが垣間見えて好きになったんだっけ?」
「もうっ、そうだよっ! 咲ったら今日は意地悪だな!」
ふっふっふ、と小柄な超能力者が悪そうに笑う。さっき、超能力者なんて有り得ない損じ、と評されたのを地味に根に持っている気がする。
一方で、私は頭痛が加速する気がした。何なんだ、と眉間を揉み解す。
「咲ちゃんの言う通り、どんだけ自尊心が低ければそんな台詞が出て来るんだよ。っていうか、元々橋本君も佳奈ちゃんに憧れていたのか? だからむしろ眩しくて見てられないとか? いやでもだったら告白されたら舞い上がるよな。うーん、わけがわからない。取り敢えずあいつの自己肯定感が引く程低かったことは理解出来たが」
その言葉に、あんたが言うな! と恭子が人差し指を突き付けた。お前は好きだな、そのポーズ。
「確かに私は自分の価値を低く見積もってはいるがな。相手に共有や強制はしたりしない。気を遣わせるってわかっているからな」
「……じゃあ逆に、私にはちゃんと教えてくれたのって」
「お前を信用しているからに決まっているだろ。わざわざ確認するな、恥ずかしい」
「……そうね。野暮だったわ」
恭子に隠し事なんて……たまにはするけど、基本的に私を全部曝け出している。
「んで? 橋本君はそんなにも自己肯定感が低かったのか? 流石にその辺から先は君が話しておくれよ、佳奈ちゃん。我々三人は高校時代の彼を知らないんだ」
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