嫁のいぬ間に三バカ。(視点:田中)

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嫁のいぬ間に三バカ。(視点:田中)

~一方数時間前、某居酒屋にて~  もう一杯! と綿貫がグラスを差し出した。黙って受け取り焼酎を注ぐ。そして炭酸水を注ぎかき混ぜた。そっと返すと、あんがと、とややろれつの回らない返答を寄越した。 「大丈夫かよ。飲み過ぎじゃね」  今日は咲、高橋さん、恭子さん、葵さんの四人でお泊り女子会とのことで、俺達も男三人で飲もうということになったのだが。綿貫はあまりよろしくない酒になっている。一応注意したところ。 「……緊張するんだもん」  ウブすぎる返事を寄越した。中学生か。 「クリスマス・デートを来週に控えたから、ねぇ。前からわかっていたことじゃん」  橋本が頬杖をつき、呆れたように応じる。全くだ、と俺も深々と頷いた。 「……お前ら、こんな凄まじい関門を乗り越えて咲ちゃんや高橋さんと付き合っているのか」  そうだよ、と即答する。 「俺が咲へ告白するまで、どれだけ悩み、考え、勇気を振り絞ったか」  その答えに、ちょっと待った、と橋本が異議を唱えた。 「田中は恭子さんに助けて貰ったから何とかなったんじゃん。お前自身はうじうじしていただけだね」  何てひどい指摘だ。 「おい、失礼だな! 恭子さんがいなければ告白は出来なかったに違いないけど、うじうじしていただけ、ってのは言い過ぎ!」 「じゃあ恭子さんがいなかったら今頃咲ちゃんとはただの友達だったわけ?」 「それどころか、関係が断絶していたかも知れん」  大学を卒業してから、気まずくて会わなくなっていた可能性もあるもんなぁ……そう考えると今は本当に幸せだ。一方橋本は、ほら、と芝居がかった様子でこっちを指差した。 「やっぱり田中一人じゃ何も出来ないんだ。恭子さん頼りだね。咲ちゃん、可哀想」 「あ! お前、そういう方向に話を進めるのはズルいだろ」 「でも友達ですらいられなかったかも知れないって思うんでしょ。駄目じゃん」 「うるせぃ。いいんだよ、実際はもう結婚するところまで来たんだから。プロポーズはちゃんとしろって、その時も恭子さんに怒られたけど」 「恭子さん様様だね」 「あぁ、そうだよ! 恭子さんには頭が上がらないよ!」  わあぁ、と突然綿貫が大声を上げた。すだれで区切っただけの簡易なものとは言え、個室の居酒屋を指定しておいて良かった。どんな奴らが騒いでいるのか周りから睨まれているに違いないから。そんな視線に耐えられるほど俺の心は頑強では無いのだ。 「どうしたの、奇声を上げて」  橋本の遠慮ない指摘に、名前を出すなぁ、と一転して弱弱しい返答を寄越した。 「恭子さん、って?」 「ああぁっ」  大丈夫かよ。……駄目か。 「そんなに緊張する必要、ある?」 「だってぇ……」  半泣き状態で酒を煽っている。悪酔いするぞ。 「いいじゃん。こないだ、めっちゃ接触したんでしょ。いいなぁ、恭子さんをおんぶしたなんて。羨ましい」 「橋本、今の発言を高橋さんにチクってもいい?」  俺の質問に、駄目に決まっているじゃん、と即答した。悪いことだとわかっている上で発言出来るのが橋本の恐ろしいところである。 「ちなみに俺も恭子さんをおんぶしたぞ」  何となく、綿貫をいじる材料になる気がしてそう口にする。え、と橋本は声を上げた。 「田中も? よく咲ちゃんに八つ裂きにされなかったね」 「不可抗力だ、俺は悪くない」 「どうせ酔い潰れたんでしょ」  当たりだけどつくづく失礼な奴だ。 「お前、本人がいないと口が悪くなるねぇ~。その通りだけど」 「恭子さんと田中の二人で飲んだの?」 「そうだよ。綿貫とのクリスマス・デートのプランを決めるのに知恵を貸してくれって頼まれたから」 「そして無事に計画が決まって嬉しくなってはしゃいで飲み過ぎて潰れちゃった、と」 「ご名答。流石橋本、性格が悪い」  関係無いでしょ、と肩を竦めた橋本だが、でもさぁ、と口元を歪めた。割と怖い。 「田中、ちょっとだけそのまま潰れちゃえって思わなかった? そうしたら合法的に恭子さんに触れるから」  アホかこいつは。 「そんな悪巧みをするのはお前だけだ」 「本当にぃ? 田中の浅知恵っぽい気はするけどなぁ。放っておいても飲んで潰れるし、そうしたら介抱の名目で触れるなって」 「だからお前と一緒にするなっての。俺には咲がいるもん。他の女の人にうつつを、抜かし、たりは……」  喋りながら失言に気付いた。そっと口を噤む。黙って溜息を吐かれた。しかし綿貫の手前、どうやら口を噤んでくれるらしい。恩に着る橋本! そしてこっちの事情に気付く様子も無く、お前もおんぶをしたのかぁ、と綿貫はがっくり肩を落とした。 「そりゃそうだよなぁ。俺だけが特別なわけじゃないよなぁ。勘違いしないよう自分に言い聞かせてはいるけどさぁ、どうしても過るんだよ。恭子さんと仲良くなれたから、多少は気を許してくれているのかなって。だけど田中もしたのかぁ。そうかぁ。そうらよなぁ。俺もお前も同じ後輩だよなぁ」  あ、やべっ! また妙な落ち込み方をし始めたぞ! 酔っ払っているし、ここは慰めておかねばなるまい! 「いや、ほら、俺の場合はしょうがなかったんだよ。酔い潰れた恭子さんを店に置いて行くわけにはいかないだろ。だけどとてもじゃないけど生半可な支えじゃどうしようもなかったんだ。恭子さんがおんぶしてくれって言ったわけでもないしさ。それに比べてお前は頼まれたんだろ。明確に恭子さんの意思で指名されたわけだ。自信を持て綿貫、俺とお前では状況が違う」 「だけど、酔い潰れても大丈夫、ってくらいには田中へ気を許しているのか」  あぁもう、変な落ち込みスイッチが入っちまった! クソ、いじるつもりが完全に余計な発言をしてしまったな! そんでもって我ながら、また後悔している! 学習しないな、俺! 「でも綿貫だって恭子さんと飲みに行って泥酔された経験くらいあるだろ」 「ある」  即答した。じゃあ落ち込む必要は無くないか!? 「じゃあお前にも気を許しているんだって。な、比較してみたらお前の方が恭子さんと仲良しだよ」 「まあ、仲良し止まりだけどな。だって俺、告白しないもん」  一体話を何処に着地させたいんだよ!! 「本当にいいのぉ? 意固地になってない?」  今度は橋本が綿貫の話に乗っかった。その言葉に、俺よぅ、と急に綿貫が半泣きになる。情緒不安定化。 「マジで恭子さんには告白しないよ? 絶対にフラれるってわかっているから」  いや絶対に成功するんだよ。何故なら恭子さんもお前を好きだから。 「恭子さんとギスギスするのも、皆が気まずくなるのも嫌だもん。それはそれとしてさぁ、クリスマスだよ? 恋人と過ごす日だよ? あぁ、勿論その文化は日本だけかも知れん。だが此処は日本、俺達は日本人だ! 故にクリスマスを恋人と過ごす日、と捉えてもいいだろ?」 「俺らに許可を取ってどうする」 「クリスマス裁判官ってわけじゃないんだけど」  そんでよぉ、と訊く耳を持たず綿貫は先を続ける。飲み過ぎじゃないかな……。 「俺と恭子さんは付き合ってないよ? 疑似カップルではあるけど、本物じゃない。ただ俺が片想いをしているだけで、いずれ終わる関係だ」  いやクリスマスに始まりそうなんだけど。恭子さん、告白する気満々なんだけど。 「それなのに人生に百回くらいしか訪れないクリスマスの、その内一回を恭子さんは俺の経験のために費やしてくれるんだ。ありがたいよなぁ」  ナチュラルに百歳まで生きるつもりでいる辺り、つくづく前向きな奴だと思う。そのくせ絶対フラれるって決めつけている辺りはネガティブだ。十年くらい一緒にいるが、やっぱり綿貫の思考はわからん。 「ありがたいと思うなら、満喫して来ればいいじゃん」 「緊張する!!!!」  わっ、と両手で顔を覆った。耳まで赤くなっている。酒と照れ、どっちが原因かな。両方か。 「好きな人とクリスマスにデートをするんだよ!? しかもクルージングとか映画とか、本格的なデートプランを組んでくれてさぁ! 田中ぁ!」 「な、何だよ」  その勢いにたじろいでしまう。二人で予定を決めるなんて仲良しだな、なんてまた絡まれるのだろうか。 「ありがとなぁ! 素敵な計画を立ててくれてぇ!」  思いがけず、キレ気味に褒められた。お礼ってもっと丁寧に伝えるものじゃないのかな。別にいいけど。 「おう。楽しんで来い」 「緊張する!!!!」  全く同じ調子で繰り返した。橋本と顔を見合わせる。どうしよう。どうしようもない。無言でそうやり取りをし、揃って首を振った。 「緊張するよぅ! 好きな人と素敵なクリスマス・デートを過ごすなんて、もうドキドキして死ぬぞ! 人は照れで死ぬ! 恭子さんが俺とクリスマスを共に過ごしてくれるんだぞ!? 意味わからん! ドッキリか!? これはドッキリなのか!? それとも実は俺、死んでいるのか!? お前ら、達者で過ごせよ! 長生きしろよな! 草葉の陰から見守っている!!」  荒ぶる綿貫を相手に、落ち着け、と橋本が肩を叩いた。 「お前が緊張しようがしまいがクリスマスはやって来るし、恭子さんは疑似デートをしてくれる。いい機会だ、告白しちゃえよ」 「やだ!!!!」  頑なだな。まあお前がしなくても恭子さんがするんだが。至る未来は一つだけ。おめでとう綿貫。初彼女が恭子さんなんて凄いぞ。ポンコツで酒の飲み方が大分悪い粗忽ものだけど、性格も外見も素敵なお姉さんだもの。 「告白一つで態度を変えるような先輩じゃないと思うけどなぁ」 「やだ!!!! しない!!!!」 「わかったから静かにして」  橋本に諫められて綿貫が口を噤む。しかし、どうしたらいいんだよぅ、とすぐに泣きごとを零し始めた。 「何が」 「デートの日、絶対に俺、意識して固くなっちゃうよ」 「股間が?」 「バカ野郎!!!!」  橋本の胸倉を掴み、恭子さんを汚すなぁ!! と至近距離でどなっている。ツバがぶっかかるのがよく見えた。橋本も顔を顰め、おしぼりですぐに拭った。 「綿貫はピュアだなぁ。その日はあらかじめ予約を取っておかないとホテルには入れないと思うよ」 「やめろぉ!!!! 恭子さんとベッドインなんてしないし!!!! 絶対、しないもん!!!! 俺、告白もしないのにしけこんだりしないもん!!!!」  お前が揺さぶっている相手は付き合ってもいない女性と関係を持っていたけどな。 「むしろしちゃえって」 「しない!!!!」 「いやベッドインじゃなくて告白をさ」 「出来るかぁ!!!!」 「出来るよ。好きですって伝えるだけだもん。な、田中」  本当に性格の悪い奴だ……。 「俺に振るなよ……」  告白して振った人間に、さ。その返答に、橋本は小さく舌を出した。いつかきっと罰が当たるに違いない。 「あーあ、本当に二人とも駄目だなぁ」 「「お前にだけは言われたくねぇよ!!!!」」  綿貫とハモって叫ぶと、お静かに願います、と流石に店員さんがやって来た。ごめんなさい。
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