あの人には敵わない

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 お。  おお! こんなところで会うだなんて奇遇だな。立ち話もなんだしさ、ちょっとお茶でもどうかな。ほら、あそこの喫茶店とかさ。  いやいや待て待て、ナンパじゃないから!  あ…… その時計まだ使ってくれてるんだな。  お、思い出してくれた?  あの喫茶店けっこう評判いいらしくて、一回行ってみたかったんだよね。  いやー、こんな寒い日に温かくて甘いものを奢らせてくれる親切な人がどこかにいないかな、いないかなー。  ん、これ着けてな。大丈夫そのコートとも合ってるし、変じゃないって。  あ、巻いてやろうか?はいはい、冗談。  別に、信号変わるまでずっと隣でカタカタ震えてるの見てらんないっていうか。昔から寒いとこ苦手なくせに、妙なとこで意地はってるのは変わんないのな。     注文はいつものでいいか……え、そりゃあもちろん覚えてるよ。  いつものって言えば、暑い日はメロンクリームソーダで、今日みたいな日ならホイップたっぷりのミルクココア。  な、あたり?  ありがとうございます。  ……ほら、追加のフルーツタルトもきたんだからいい加減こっち向けって。  そうやって図星だと拗ねるところ昔から変わってなくてかわいいな。  おっと、いきなりガン飛ばしてきてどうした。  ここの店、味もいいんだけど器が気に入るかなって思ってな。そっちの花柄のやつとかこの深みのある色合いのやつとか。  絶対好みドンピシャだろうなって思って、いつか連れてきたかったんだ。   あっと、しまったバレたか。  そうそう、本当にいい店だったから教えたら喜ぶだろうなと思ってさ。    それにしても、こうして落ち着いて話せるのって何年ぶりだっけ。あーいや、この話し始めるとコーヒーが冷めるな。  そうだ、先にそっちの近況聞かせてよ。  ……  ……  ……  ――――  カランカラン  ベルの音がドアの開閉に合わせて鳴った。一歩足を踏み出せば、春のようなぬくもりが冷たい北風にさらわれてしまい、咄嗟に肩を竦める。  それにしても、まさかトイレの間に会計を済ませるという所業をリアルでやられるとは思わなかった。  最後の最後までしてやられたことが悔しくて俯いたままでいると、手袋ごしの温かい手が頭に優しく触れたのを感じた。    顔を上げると、ちょっと困ったように笑う瞳。それは昔と変わらない優しい色をしていた。 「じゃあまた。風邪ひくなよ」  「そっちこそね」とか「声かけてくれてありがとう」とかせめて何か返したいのに、喉に詰まって上手くでてこない。  ふっと空気が揺れたかと思うともう一度温もりが頭に触れ、目を上げた時には黒いコートの後ろ姿は小さくなっていた。  ――次いつ会えるのか、とか聞けばよかったな。    後悔をまたひとつ重ねて顔を埋めると、目下の見慣れぬ深緑色に気がつく。   「あ、マフラー!」  返すことをすっかり忘れていた。  慌てて去った方向を目を向けるも、その姿は雑踏に紛れてしまった。 「本当に……まだまだ敵わないな」     これは忘れていったというより、わざとだろう。いくら鈍感だと言われる自分でも、そのくらいは分かる。  最後に会った時よりさらに男前度が上がっている気がして、もはや悔しい気持ちすらわいてこなかった。  見上げた冬の空は、清々しいほどの快晴だった。  ――――    大学1年冬休みの日記、○月✕日。  今日は、駆け落ち婚後音信不通だった姉に5年ぶりに会いました。  俺の姉貴は相変わらず、イケメンが男前してスパダリしていました。  次に会う時は…… 「しまった!連絡先聞くの忘れた!!」  次に会うのはいつの日になることやら。   
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