厚揚げのあんかけ

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 学校から帰って玄関のドアを開けるとリビングに続く廊下には毎日何かしらの破片が散乱していた。時には、花瓶だったり、時には茶碗だったり。  私はいつも靴箱からスリッパを出して、それらが刺さらないように、新聞を引っ張り出して、『無』の状態で散らばった破片を片付けた。母は、相変わらずベッドに寝ていた。保健所から引き出してきたヨークシャテリアのミミは、私が、帰宅するまではいつも狭いキャリーに入れられたまんま。母が散歩に連れて行くことはなかった。可愛いと自分が連れて帰ったくせに。  若年性更年期障害がどんなものか私にはわからなかったけれど、母は時々、狂ったように物を投げつけては、夜中だろうと部屋中を走り回って、気に入らないことがあると父をベランダに追い出して部屋に入れないようにした。 『頼むから開けてくれよ』父の声と窓を叩く音は外にも響いて、隣からも階下の部屋からも窓が開く音がして『警察を呼びますよ』叫び声がした。『開けてくれよ』と叫ぶ父に見えるように、母は私とブブを交互に蹴った。父が長期出張になると、母はベランダに洗濯物を干すのをやめた。夜の8時になって、コインランドリーへ行って、乾燥を待つ間、閉店ギリギリのスーパーに行っては値引きシールが貼られた弁当を『好きなの選んでいいよ』と買ってもらえた。  朝はなんというか、自分がちゃんとアラームをかけて起きないと毎日遅刻すると悟ったのは小学校入学してすぐのことだった。  狂ったり、急に優しくなったりする母を見てたら、テレビなんてどうでもよくて、学校の宿題なんてたやすいものだった。給食のカレーがちゃんと温かいも嬉しくて、隣のおばちゃんが時々、駐輪場で手のひらにのせてくれるチョコレートが好きだった。 *** 「美帆、おかえり」  玄関のドアを開けても、今はもう何も散らばっていない。母から離れて10年が過ぎた。何も散らばってないかわりに炊きたてのご飯の匂いがした。 「待ってて、すぐ用意できるから」  残業した私より早く帰宅した政夫は台所に立っていた。テーブルには、大根の味噌汁と、鯖の塩焼き、厚揚げのあんかけとビールが置かれた。 「おつかれ」  そう言って、ビールが、注がれたグラスをお互いにくっつける。破片を片付けてたときのように、『無』の状態で私は厚揚げのあんかけを口にいれた。厚揚げが特に好きでもなかったし、政夫の料理が特別と思ったこともなかった。なのに、ふわふわの厚揚げに出汁がきいて、ほんのり甘さのある味がなぜかその日にかぎって沁みてきた。それが絶妙なタイミングだったのかもしれない。『こんな美味しい厚揚げが食べれるんなら、子供作ろうか? 』結婚もしてない私は何を言ってるのだろう? 口にしながら自分が1番びっくりした。政夫は『惜しいなぁ、そういうのはお風呂から上がったときに言ってほしかったな』テーブルの下の足で、私の足をトンとした。 *** 『お母さん、なんか、これって学校みたい』  ──月曜日 ゴミ出しと水やり、火曜日 塾 買い出し、水曜日 燃えないゴミ、木曜日 水やりとアイロンがけ、金曜日 生協、 土曜日 シーツを洗う 水やり、日曜日 お好きに──  厚揚げの味におとされた私の冷蔵庫には、あれから政夫と私の二人の会議で決めた決め事が貼られている。毎年、書初めのように書き換えられるそれを見て、息子の空は学校みたいだと笑う。私の中に流れてる母の血は今の所、まだ暴れていない。何も壊したいとも思わないし、洗濯物はやっぱりベランダに干して日に当てたいし、息子が起きる前には起きていたい。 「まあ、ようきてくれたね。可愛い子だね」   「お母さん、おばあちゃんって優しいよね、おばあちゃんのおにぎりが大好きだ」 「それなら、よかった。また会いにこようか」  「うん」  母が変わったのかどうか本当のところはわからない。だけど『美帆、また今度も帰ってきたら厚揚げのあんかけ作ってな』 同じあの味がまた食べたいということが私の母なんだろうなぁと帰り道ふと思った。 「美帆ってさ、サザエさんを楽しむより中島みゆきを聴いてそうよな? 」 「いらんこと、考えんでええよ」  また、新しい1年がやってきた。歩いてゆくしかないよね。歩いてきたんだから。 「厚揚げ、買って帰ろうか」 「どんだけ、好きなん? 」
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