坂道王国の物語

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坂道王国の物語

 ニイル坊ちゃんがつかわされたのは坂道だらけの王国で、その名も坂道王国といいました。  日当たりの良い坂にはレモンの木が植えられておりまして、坂のいちばん上のお城には、我らが女王さまが住んでおられました。  まずニイル坊ちゃんは赤ん坊が生まれたばかりのご夫婦の家の前で立ち止まりました。  このご夫婦は赤ん坊が夜泣きをするもんですから、すっかり寝不足でした。  よく寝ていないひとというものは、くだらない喧嘩をしてしまうものです。  旦那さんは朝のコーヒーが薄すぎて泥水みたいだとか言い、奥さんは「あなたには思いやりが足りない」だとか、とにかく聞くに堪えないおしゃべりですこと。  ニイル坊ちゃんは開いていた窓の前で立ち止まって、息を大きく吸い込みました。  とても良い匂いをかぐときみたいに、鼻からすーっと吸ったのです。  するとどうでしょう。  このご夫婦の、ぷんすかした、ふんまんやるかたない気持ちは、すーっと吸い取られてしまったのです。  ご夫婦はもちろんそれが、ニイル坊ちゃんがやったことだと、すぐに分かりました。  ニイル坊ちゃんは控えめに申しました。 「ぼくがあなた方の怒っている気持ちを吸ってしまったんです」 「なるほど、そうでしょう」  旦那さんが言いました。 「ご存知かも知れませんが、怒ってぷんすかした気持ちというのは、しょうしょう苦いものなんです」 「なるほど、そうでしょう」  奥さんも言いました。  お分かりいただけたら何よりです、とニイル坊ちゃんはどこまでも控えめなのです。 「それでですね。ちょっとばかし甘いものなんかをいただけたら、ぼくもうれしいのです」 「なるほどなるほど」とご夫婦は口を揃えました。  なんといっても、もともとは気の合うご夫婦なんですから。  それで奥さんが赤ん坊にお乳をやっている間に、旦那さんが慣れない手つきでレモンクッキーを焼き上げました。  レモンのしぼり汁の入った甘酸っぱい美味しいさくさくのクッキーというのは、この王国の名物です。  どのお家にもご自慢のレシピがあるものなのです。  ニイル坊ちゃんは台所のすみっこでおとなしく待っておりました。  ニイル坊ちゃんがレモンクッキーを一口召し上がってにっこりすると、みんななんとも幸せな気持ちになりました。
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