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ラウンドを終えて詰所に戻ると、森本が絶対に言ってはいけない一言を発した。
「今日は落ち着いてますね」
私と濱田先輩は、顔を見合わせた。そして呆れたような、困ったような複雑な表情を浮かべ、深いため息をついた。
森本は私たちの様子を見て、きょとんとした顔をした。
「あーあ、言っちゃった」と私が呟くと、「森本、それは思っても言っちゃダメなやつ」と濱田先輩も続けた。
そして森本は「そうなんですか~?」と、不思議そうな顔をする。
『そうなの!』
私と濱田先輩の声が揃った。
そして一時間後、やはりこのフラグが回収される。
プルル、プルルルル
静かな詰所に内線電話の音が響いた。
「ほ~ら、来た」と、濱田先輩が苦笑いを浮かべる。
私は嫌々、受話器を取った。
「救急外来ですが、交通外傷で骨盤骨折の患者の入院お願いします。三十七歳、男性。名前は黒田 政春さんです」
受話器を耳に当てたまま、私は眉を顰めて「入院です」と、濱田先輩に伝えた。
濱田先輩は「でしょうね…」と、詰所すぐ隣の部屋のベッドを用意し始めた。森本はあたふたと、詰所内を行ったり来たりしている。
私は受話器を置くと、森本の背中をポンと叩いて「まだすぐには来ないから、ひとまず落ち着いて。男性用の病衣準備して」と指示を出す。森本は引きつった面持ちで「ハイッ」と短く返事をした。
不穏な患者がいない静かな夜の緊急入院。
じっくりと指導付きで対応できるので、新人にとっては良い経験になるな…なんて思っていたのだが。
まさかあんな事になるだなんて、この時の私たちに知る由はなかった。
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