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02
「へぇその子、そんなに吸血鬼が好きなんだ~」
旭の父である古の尊き血の吸血鬼、神宮寺晃はスパウトパウチに入った血液パックを飲みながら紅い瞳を輝かせた。
「パパが学校に会いに行ったら喜ぶかな?ファンサっていうんでしょそういうの」
「絶対にやめて」
念動力で宙に浮いたまま悠然と脚を組み、器用に指でハートを作ってウインクする晃を旭が毛虫を見るような目で睨めつける。朝の光がこれでもかと差し込むダイニングでも平気な顔をしているが、正真正銘純血の吸血鬼だ。
「でも旭くんが学校のお友達のお話をしてくれるなんて珍しいね。パパ嬉しいよ」
「別に友達じゃないけど……」
旭が四つめのおにぎりを味噌汁で流し込みながらぶっきらぼうに答えると、晃は「でも、百年前ならいざ知らず、今時そんな前時代的な吸血鬼観を持った子って珍しいよね。義務教育でも習うんじゃなかった?」と顎をさすった。
「聞いてなかったんじゃない?佐藤さん、勉強出来なさそうだし」
「ナチュラルに無礼な子だね。ノエルちゃんが可哀想だよ」
「面識の無い息子の同級生をちゃん付けするのやめて。気持ち悪い。だって今時、いくらなんでも無知過ぎるでしょ」
人間と吸血鬼が概ね友好的な関係を築いている現代。人間と吸血鬼の体の仕組みの違いについては小学校の保健体育でも教えられている。
多くの吸血鬼は耳が尖っていて牙があり、夜目が効いて日光が苦手で夜型なこと以外、人間とさして変わらないこと。
同意の無い吸血行為は法律で禁止されており、吸血鬼は人間を脅かすような危険な存在ではないこと。
吸血鬼だからといってみんながみんな空を飛んだり念動力を使ったり催眠術を操り変身したり出来るわけではないこと。
吸血鬼が無害で人間と大きく変わらない種であることがくどいほど強調され、吸血鬼が人間を吸血しても吸血された相手が吸血鬼化しないということは勿論、吸血鬼に血を分け与えられた動物が眷属になることも一般的にはありえないのだということも義務教育で教わっているはずなのだ。
「でも、身近に吸血鬼がいなければそんなものなんじゃないかしら。私達だってアメリカ人はいつもハンバーガー食べてるって思ってる所あるじゃない?」
「それは母さんだけだと思うけど」
「あらそう?」
旭が食べる三段弁当の中身を詰め終え、あら熱をとる為に団扇で扇ぎながら若干ズレたコメントをするのは旭の母である神宮寺夕子。人間だ。
青白い肌。尖った耳。鋭い牙。血のように紅い瞳に銀色の髪。空を飛び、念動力を使い、催眠術を操り、狼やコウモリに自在に変身する今時珍しい吸血鬼らしすぎる吸血鬼と結婚した特異な女性だ。
黒髪のワンレンボブが若々しく童顔である為、高校生の息子がいるようにはとても見えない。
「そういえば、父さんと母さんって将来的にどうするの?」
「どうするのって何が?」
「転化、出来ないわけじゃないんでしょ?普通にしてたら母さんの方が先に死んじゃうじゃん」
「旭くんだってパパより先に死ぬじゃないか」
「縁起でもないこと言わないでよ」
自らが賽の河原で石積みをするイメージが頭に浮かび、旭が朝の分の血液錠剤を噛み砕きながら鼻の上に皺を寄せると、晃は「同じことだよ」と涼しい顔をして飲み終えたレトルトパウチを念動力でゴミ箱に投げ入れた。
蓋付きのゴミ箱の蓋が独りでに開き、空の血液パックを飲み込みバタンと閉まる。
「今の所、転化は考えてないかな。私も夕子さんも限りある命の人の子が好きだからね」
「そう、なんだ」
吸血鬼は長寿だが不死ではない。怪我や病気で死ぬこともある。
しかし、人間の十倍近い平均寿命を誇る吸血鬼である父が母と夫婦になっておきながら母を転化させることを全く考えていないというのは旭には少し意外だった。
旭が無言で鼻歌交じりに弁当をギンガムチェックのハンカチで包んでいる母親に視線を送ると、夕子は陽だまりのように朗らかな笑顔を見せた。
「晃さんとは何度も話し合ったのよ。貴方のことも」
「僕?」
「あら、晃さんは貴方を吸血鬼にすることだって出来るのよ」
「僕を吸血鬼に?」
考えてみれば何の縁もゆかりも無い人間を吸血鬼にすることができるのだから、ダンピールである血を分けた我が子を吸血鬼にすることだって出来るのだろう。
「考えても見なかったって顔してる」
「だって、吸血鬼になる?なんて今まで一度も言われたことなかったから」
旭が思わず視線を泳がせて口ごもると、旭と夕子は顔を見合せ微笑ましそうに微笑んだ。
「旭くんはダンピールとして生まれた。私は君を人間にしてあげることは出来ないけど、吸血鬼にすることは出来る。そしてその決定権は旭くんにある」
「旭は昼の血が強いから苦労も多いでしょう。だから自分でよく考えて決めなさい」
「……そんなついでみたいに、僕の人生に関わる重要な話をしないでよ。朝ご飯食べながらする話じゃないでしょ」
ダンピールは希少種だ。旭は生まれてこの方、自分以外のダンピールに会ったことがない。ほぼ人間と変わらないのをいいことに、吸血鬼の父親がいるということ以外は周りの人間と何も変わらないという顔をして生きてきたのだ。
「私は人間として生まれたから人間として死にたいの。死ぬ時に晃さんに一滴残らず血を飲みほして貰おうと思ってるわ」
「夕子さんが死ぬ話なんて聞きたくないよ」
「うふふ、私百まで生きるつもりだからまだまだ先よ」
「やめてよ親のそういう話聞きたくないよ」
旭がダイニングテーブルにつっぷしして耳を塞ぐと、晃と夕子は声を上げて笑った。
「よく考えて決めなさい」
「返事はいつでも良いからね」
思いがけず自分の人生に関わる重大な岐路に立たされてしまった旭は呑気な笑顔の両親に盛大に見送られ、釈然としない気持ちで「行ってきます」と挨拶して家を出た。
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