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「これが吸血鬼カード、通称Vカードだね。政府はこのカードに登録させることで吸血鬼を管理してるんだ。差別だなんて声もあるけど実際危険な吸血鬼の存在は脅威だし、僕は区別だと思ってる。血液パックの自販機はこれをかざさないと使えないし、国内ほぼ全ての吸血鬼がなんだかんだ言いつつ登録してるんじゃないかな。保険証の代わりにもなるから登録番号だけを隠すフィルムカバーに入れて使ってるヒトが多いよ」 最終下校時刻も近い夕焼け色の教室には旭とノエルの二人きりだ。 自らの机に父親のVカードを並べながら「見たことある?」と尋ねると、ノエルは元気良く「無い!」と答えた。 「へぇすごーい!こんなのあるんだね!」 「……佐藤さん、義務教育は?」 「寝てた!」 ノエルが一切悪びれもせず「神宮寺晃ってもしかして旭くんのパパ?てかめっちゃイケオジじゃない?芸能人みたい!推して良い?」と言いながらVカードを手に取ると、旭は手のひらサイズのカードの中で無駄にキメ顔をしている腹が立つほど写真写りの良い父親を「返して。触らないで。推さないで」と即座に奪還した。 「今日は特別に借りてきたけど、本当は身分証明書だから人に貸したり見せたりするものじゃないんだよ」 「あっ、そうなんだ!不用意だった!ごめんね!」 「いや、分かってくれたら別に良いんだけどね」 「てか旭くんのお父さん、身分証明書無くて大丈夫なの?職質されたら終わりじゃん?」 「一応警察官だから、いざとなれば手帳見せれば大丈夫なんじゃない?」 「その話、詳しく!」 興奮を隠しきれず前のめりなノエルとは対照的に旭は顎を反らして身体を仰け反らせた。 「えーっと」 旭が恐る恐る「……佐藤さん、吸血鬼犯罪対策課は知ってる、よね?」と尋ねると、ノエルは元気よく首を横に振った。 「世間知らずってレベルじゃないでしょ」 「難しいことは分かんなーい」 「映画にも出て来ると思うんだけど」 「私はインタヴューウィズヴァンパイアで人生の全てを学んだから」 「そっちかぁ。それが諸悪の根源か……」 「旭くん喋り方変わってんねウケる」 もしかしたら吸血鬼絡みの基本を押さえていないだけでは飽き足らず、世事一般に疎いのかもしれない。 「僕の父さんは百年くらい前にルーマニアから渡ってきた吸血鬼の末裔で、ルーマニアの吸血鬼と日本の吸血鬼の混血なんだ」 「え!旭くん、クォーターってこと?!」 「え、あぁうん。でもダンピールなのに比べたらルーマニアの血が四分の一入ってるのなんて大したことじゃなくない?」 「それは分かる」 旭が鞄の中のクリアファイルから架線のあるルーズリーフを一枚出して簡単な神宮寺家の家系図を書くと、ノエルは「おぉー!」と感嘆の声をあげた。基礎的知識に難がある以外、授業態度は真面目そのものだ。 これはノートは綺麗だけど無駄にカラフルで要点が何処か分からなくなってるタイプの馬鹿だなと旭は内心で独りごちる。 「それで、吸血鬼の中には人間を劣った種だとか何とか言って見下して敵視してるヒト達も普通にいるんだけど、我が血族は人間好きで人間に友好的なんだよね。これは吸血鬼の中でもちょっと特殊で変わり者扱いされてるらしいんだけど、人間マニアっていうか、人間が作り出す文化や人間そのものが好きって感じで、うちの父さんなんてそれが講じて人間と結婚して子供まで作っちゃったわけなんだけど、吸血鬼は血統を重んじる上に徹底した純血主義で吸血鬼の家同士で結婚をする傾向にあるからこれは相当珍しいケースなんだ」 「ふんふん」 「そしてその人間に敵意を持った吸血鬼を捕縛し、市民の安全を守るのが吸血鬼犯罪対策課なんだ。言葉は悪いけどバケモノにはバケモノをぶつけろって考え方の上創設された課でメンバーのほとんどが吸血鬼かダンピールで構成されています」 神宮寺家が筋金入りの警官家系で曾祖父、祖父、父が揃って吸血鬼犯罪対策課の幹部を務めていることをさらさらとルーズリーフに書き加えると、ノエルは「えっ!旭くんち超エリートじゃん!旭くんも警察官になるの?」と人差し指を唇に添えて可愛らしく小首を傾げた。 「いや、僕はどうかな。吸血鬼探知能力も弱いし、昼の活動には向かないけど夜型ってほど夜型でもないし色々と中途半端だから」 そう言った旭の声は極めて平坦で自嘲やコンプレックスの色は読み取れなかった。 「あ……」 不意に忘れかけていた今朝の両親とのやり取りが頭を過ぎる。吸血鬼に転化すれば自分も警察官になるという道も開けるのだと思い当たり、ルーズリーフに吸血鬼犯罪対策課創設の簡単なあらましを書いていた旭の手がぴたりと止まった。 「旭くん?」 「いや、なんでもないよ」 旭はダンピールとして生まれ、十七年間ダンピールとして生きてきた。 半端者なりに今の生活を気に入っていた旭には完全なる夜の者となる覚悟はまだ無かった。 「えーっと、あとは何か質問ある?」 「はい!どうして吸血鬼は人間を吸血しちゃいけないんですか?!」 元気よく挙手をしたノエルの質問に旭が「法律で決まっているからです」と眼鏡のブリッジを押し上げながら冷淡に答えると、ノエルはサンタクロースの正体は父親だと知らされた子供のような顔をした。 旭がかけている眼鏡は吸血鬼やダンピールが好んで使う特別製で、普通の眼鏡と見た目は変わらないが紫外線を完全に遮断する特殊なレンズで出来ており、日光から瞳を守るサングラスのような役割をしている。旭の視力自体は非常に良く、両目共に2.0だ。 「法律でそう決まっている一番大きな理由は、吸血鬼と人間が被食者と捕食者という構図になるのを避ける為だね。隣りに住んでる吸血鬼が自分の血を狙ってるって思ったら安心して暮らせないでしょう?」 「私は吸血されたい!」 「あ、そうだったね。佐藤さんはそういう人だったね」 段々ノエルに慣れてきた旭はそう言ってノエルを軽くあしらうと「僕達は肉も魚も食べるけど、自分で鶏や豚を殺したりせずスーパーで買うよね。それと同じだよ。吸血鬼も献血によって食用処理された血液パックを買って飲むようになった。その方が簡単で安全だから。これは時代の流れだね」と言って呪いの絵のような独特な鶏と豚のイラストを描きながら説明した。完全に子供扱いである。 「あー、なるほど言われてみればそっかぁ」 「あとは肝炎、エイズ等、血液由来の感染症が問題になったことも大きいかな。吸血鬼はニンニクアレルギー持ちが比較的多いし」 「え、ニンニク苦手なのってアレルギーなの?」 「うん、アレルギーだよ。だから全然平気だったり少しなら平気なヒトもいるし重篤なアナフィラキシーショックを起こすヒトもいる。あと特殊な薬を常飲している人間を吸血してアナフィラキシーショックを起こしたなんてケースもあって、今は好き好んで直に吸血行為をしたがる吸血鬼は滅多にいない。血液パックの血液しか飲んだことのない世代も増えてるみたいだよ」 「えー、現実的ぃ」 「現実だからね」 フレーメン反応を起こした猫のような顔をしているノエルを旭が冷たく突き放すと、ノエルは机に突っ伏してルーズリーフに頬を押し付けながら「……じゃあ転化とか、絶対無理なの?私は吸血鬼にはなれないの?」と切なげに呟いた。 元々無知で夢見がちな吸血鬼マニアに現実を思い知らせてやるのが目的だったが、夢破れて打ちひしがれているいたいけな少女を前にして旭は怯んだ。良心が痛んだのだ。 「……絶対に無理、ってわけでは無いよ」 旭が苦悶の表情を浮かべ渋々出来れば秘密にしておきたかった情報を開示すると、ノエルはがばっと起き上がり子供のように瞳を輝かせた。 「でも、空を飛んだり念動力使ったり催眠術を操り変身したり出来る吸血鬼って滅多にいないでしょ?」 「テレビで見たことある!」 「映画か何かかな?人間を吸血鬼に転化出来るのは特別中の特別で、古の尊き血を持つ吸血鬼の中でも限られた極小数の吸血鬼だけなんだ。あといざ転化させようってなっても勝手にやるのは認められてなくて、役所での書類上の手続きや届出も山ほど必要」 「うわ、現実的ぃ」 現実だからねと言うのは心の中だけに留め、旭が「吸血鬼に転化を望むのは吸血鬼の伴侶がほとんどで愛する人と共に生きたいって理由が大半なんだ。逆に言うと佐藤さんみたいに吸血鬼になりたいっていうファンタジーかつ厨二病な理由では申請段階で却下されることが多いんだよ」と説明すると、ノエルは「どうして?」と猫のような大きな瞳を丸くした。 「後悔するからだよ。実際喜び勇んで吸血鬼になってみたものの、空は飛べないし目からビーム出せないしで思ってたのと違う!ってなる人が多いんだって」 「へぇ、そうなんだぁ」 「あと吸血鬼になると人間の食事がとれなくなるヒトも多いんだ。吸血鬼は血液パック飲むのが普通だけど転化した人間には結構味とか心理的にも抵抗があるらしいよ。どんな能力が発現するかも運みたいな所もあるし。吸血鬼に転化することは出来ても元に戻すことは出来ないから、改宗する時くらい、いやそれ以上にしつこくしつこく意思確認されるし、何十時間も延々と転化する人用の講習ビデオ見せられるんだって。少なくとも現代日本ではそんな数々のハードルを乗り越えた人にしか転化認められていない」 淡々と確実にノエルの夢とロマンを打ち砕いていく旭の言葉には一切の嘘は無かった。自分の家系がその特例中の特例であることは敢えて話さなかったが、ノエルも勘づいてる様子は無かったし、わざわざ教えてやる義理はないと判断する。 「……がっかりした?」 さぞ意気消沈しているかと思いきや、意外にもノエルは憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしていた。 「ううん!私の為を思って教えてくれたんだよね!ありがとう!旭くんの言う通り、現実は現実、二次元は二次元で推していくよ!これからもずっと吸血鬼は大好き!」 「あ、そういう感じなんだ」 「でも現実の吸血鬼の皆さんにはご迷惑をかけないようにするね!」 「分かってくれて嬉しいよ」 そうこうしている内に最終下校時刻になり、旭がスマートフォンの通知をチェックして「送ってくよ。危険な吸血鬼が逃走中みたいだからさ」と申し出るとノエルは「え、旭くん紳士ー!思春期なのにそういうことがさらっと出来ちゃうのはルーマニア式なの?」と大袈裟に茶化したが「そういうのいいから」と一蹴し、有無を言わせず駅まで送ることにした。黄昏時の若い女性の一人歩きは危険なのだ。 「危険な吸血鬼ってどんなの?てかなんで旭くんのスマホにそんなお知らせが来るの?パパから?」 「危険吸血鬼情報アラート、登録してないの?吸血鬼マニアなのに?ていうか緊急地震速報と同じで普通デフォルトで設定してあるよね?」 「嘘!何それ!」 「……スマホ貸して」 旭が偉大なる吸血鬼を父に持ちながらコンプレックスを拗らせずにのびのび育ったのには自身がダンピールであるという理由に寄る所が大きい。ライト級とヘビー級では試合にならないから実質別競技でしょ理論だ。 もしも父と同じ吸血鬼として生まれていたら、空も飛べずコウモリにも変身できず念動力も極めて弱く少し使うだけで三日三晩寝込む脆弱で無能な我が身を恥じただろう。 人間に対してもそうだ。 日光は苦手で日傘が手放せず、日中は疲れやすい割りには昼の者達の中で自分はよくやっている方だと思っていた。 旭は昼と夜の狭間の半端者であること自体をアイデンティティに、周りと自分を一切比較せずに生きて来たのだ。 「……ねぇノエル、もし僕が吸血鬼になったらさ」 「え、いきなり呼び捨て?!」 「ノエルで良いよって言ったじゃん」 「佐藤さんから一足飛びにノエルはビビる。ルーマニアの血マジやばい」 「そういうの差別だから」 「ごめんごめーん!で、なんだった?」 突然名前を呼び捨てにされた衝撃で後半が耳に入らなかったらしい。 改めて言い直す気にもなれず、旭が「やっぱり良い。ノエルはもう少し勉強した方が良いよ。常識無さすぎ」とバッサリ切り捨てると、ノエルは「えー、じゃあ旭くん勉強教えてよー!頭良さげじゃーん!」と眉を八の字にして馴れ馴れしく泣きついた。 ノエルのチョーカーについた十字架が揺れる。 血のように真っ赤な夕陽が二人を照らしていた。
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