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白狐のご神域
目覚めた美月姫は、視界に映る天井を呆然と見つめた。
何とも上品な香りに嗅覚は刺激され、覚醒が促されていく。
意識がはっきりとしてくると、首をゆっくりと動かし周囲を見渡した。
そこは、倭と似ているようで全く違う、異国情緒溢れる空間だった。
桝目で仕切られた天井には鮮やかな色合いの花が描かれており、淡い色合いの土壁に、煌びやかで繊細な細工が控えめに施された太い柱が印象的だ。
気品溢れる珍しい調度品が配置された瀟洒な部屋の足元には、そのまま寝ることもできそうなくらいふかふかとした毛足の敷物が敷き詰められている。
風に揺らめく薄い紗の向こうには、大きな額縁で切り取ったかのような美しい景色が広がっていた。
美月姫は、起き上がろうとしたが激痛に襲われ再び倒れ込む。
「おっ。目が覚めたか?まだ暫くは動かない方がいいぞ」
「白狐さま・・・・・・?ここは、どこでしょうか」
「ここか?俺の神域だ」
「え・・・・・・?ということは、白狐さまの摂社の中ということですか?」
「そういうことになる」
山神神社の境内には五つの摂社があり、その内の一つの祠に白狐が奉られている。
そこは、霊格を高めるためのご神域となっており、また鍛錬の場でもあった。
「あっ!黒龍は?修験道さまは?他の皆も無事ですか?私、時空の狭間からどうやって・・・・・・!?」
思考が混乱しあたふたと取り乱す美月姫を見て、白狐は笑いを堪えた。
「どうして笑っているのですか・・・・・・?」
美月姫は、状況が摘めず長い夢を見ていたようにも感じられた。
「まるで狐につままれたような気がします・・・・・・」
「それ、俺を前にして言うか?まあ、間違ってはいないがな」
「あっ!すみません、つい・・・・・・」
白狐は、とうとう堪えきれず声を出して笑いこけた。美月姫は、何が何だかわからず、ただ困惑するばかりだった。
その頃、他眷属神たち一行は、美月姫を見舞うため白狐の屋敷を目指していた。
「へ~ここが白狐の神域・・・・・・?初めてきた」
「俺はしょっちゅう遊びに来ているぞ。ちなみに今は昼仕様だな」
「え?てことは夜仕様もあるってこと?」
「そう言えば雨の日もあれば雪の日もあったな。来るたびに四季折々の風情を感じる。白狐はああ見えて案外風流な奴だな。ちなみに夜は超幻想的で、さすがお狐様のご神域って感じがするぞ」
「ふ~ん。来るたびに違うなんて、やっぱ狐は気分屋なんだね」
牙音は、何気なく白狐をけなす鹿角の物言いが気に障ったが大人対応で聞き流すことにした。
「部屋から見える景色も全部違うらしい。そんなことより。姫は目を覚ましただろうか・・・・・・」
先程から、鹿角と牙音の会話に関心を寄せることなく沈黙を貫いていた修験道だったが、美月姫の名があがるとすぐさま反応した。
「儂がついていながら何とも情けない・・・・・・姫に辛い思いをさせてしまった」
いつになく弱気な修験道に対し、憐憫の眼差しを送る牙音。
「修験道。そんなに気にすることはない」
「牙音。お前には分かるまい。あの子は自分の魂と引き換えに儂を守ろうとした。ただ一人で黒龍に立ち向かい、あと少しで消滅するところだったのだぞ!」
「否、わかる。分かるぞ。お前は十分戦った。俺がお前の立場だったとしても同じだったと思う。だからそんなに自分を責めるな。悪いのは力ない俺たちたち全員だ」
「それにしても、何の因果であろう・・・・・・。黒龍と対決することになるなんて・・・・・・」
深いため息をつき、固い表情をはりつけたまま項垂れる修験道は、山神様の眷属神と思えぬほど意気消沈していた。人間界で名を馳せる、貧乏神を彷彿させるほど暗かった。
「ねぇ、約束したよね。これからも姫を見守っていこうって」
鹿角は、彼なりに修験道を励ますも陰鬱な雰囲気を引きずったままだ。
「そうだったな」
「おい。こんな辛気臭い顔、姫に見せられないぞ。これでも食って元気出せ」
修験道は、牙音に何やら奇妙なモノを口の中に放り込まれ、目を真ん丸にして驚いた。
「な、なんじゃこりゃ――――!」
それは、舌の上でザラザラとしたジャリのような触感で、甘くて奇妙な欠片だった。
奇妙なそれは、突如舌が痛いくらいバチバチと音をたて次から次へと爆ぜた。
修験道の慌てぶりといったら、敵に不意打ちをくらった武将のようだった。
滅多に見ることのできない修験道の滑稽な姿に、声をあげて笑う牙音。
見ていた鹿角までつられて笑ってしまった。
実に奇妙なるそれは、かつて時空を旅したとある者から牙音が譲り受けた逸品の気つけ薬だ。それをこれまで後生大事にとっておいた牙音は、『ここぞという時に悪戯半分で使用するとよい』という妙な忠告を思い出し、その時が訪れた今修験道で試してみたところだった。
その効果の程は如何ばかり・・・・・・?
「こらぁ――――!待て牙音!貴様この儂に何を喰わせたぁ――――!
ただじゃ済まぬぞ――――!」
追い回す修験道から逃げ惑う牙音。
牙音の悪戯のせいで、何故か鹿角までも追い回されることになった。
「こりゃ、凄い薬だな・・・・・・」手にした気つけ薬を見つめ呟く牙音だった。
効果の程は、言わずもがな・・・・・・。
白狐の屋敷に到着した眷属神たちは、覚醒した美月姫をみて安堵する。
「ああ、修験道さま・・・・・・よくぞご無事で!牙音さま、鹿角さまも・・・・・・本当によかった!」
美月姫は、仲間の顔を見るなり痛みを忘れて起き上がり、今にも溢れ出そうなほど涙を潤ませた。だが、美月姫はすぐに不安な表情を浮かべた。
「雷獣(あの子)は?姿が見えませんが・・・・・・。もしや何かあったのでは・・・・・・」
「ああ、それなのだが。療養をかねて里帰りさせたところだ。案ずるな。命に別状ない」
自分のことよりも、この場にいない雷獣を案ずる美月姫だったが、修験道の言の葉に胸を撫で下ろす。
「あの雷獣(チビ)、まだ回復してもいないくせに今日ここに来るって聞かなかったんだ」
「姫の従者だからな仕方あるまい。傍に居たかったのだろう」
不満げに語る鹿角をなだめる修験道。
「そういえば雷獣(チビ)、泣いていたよな」
牙音の口から言って欲しくなかった発言が飛び出し、鹿角は、ばつが悪そうに答えた。
「あいつ生意気だからはっきり言ってやったんだ。そもそも修行が足りないから回復が遅いんだって。そんな頼りない従者では姫を守れないぞって。そしたら泣いちゃったんだ」
「まぁ、そんなことがあったのですね。雷獣(あの子)は幼いながらも十分戦ってくれました」
「鹿角。お前雷獣(チビ)に嫉妬しているだけだろ」
「違う。ただ、ちょっと気に食わないだけだ。だってさ。あいつ、どさくさに紛れて俺の姫に抱っこされてるし、この間なんて。ほっぺにチュウして貰っていたんだぞ!俺だって・・・・・・」
鹿角は、美月姫の前で牙音に揶揄され我慢ならず本音を語った。
己のとった行動を客観的に知ることとなった美月姫は、ただ困惑するばかり。
そこへ、白狐が口を挟む。
「鹿角・・・・・・無自覚にも程がある。俺のって言ったか?何度言ったら分かる?俺たちのだ」
静かな口調で語る白狐だがその実、圧が半端ない。
雷獣に対してなのか、それとも鹿角に対してか。どうやら白狐は怒りに満ちているようだ。心中は計り知れぬが、おそらくはどちらに対してもだろう。
その証拠に、白狐の身体から蒼炎が燃え盛って見える。神獣たちは、白狐の纏う蒼炎を見て皆凍りついた。
美月姫は、この場に雷獣がいなくて本当によかったと心から思ったのだった。
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