優しい嘘

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優しい嘘

美月姫は薄れゆく意識の中でぼんやりと思い巡らす。 白狐さまは、暗黒時空を閉じてくれたでしょうか。 修験道さまは・・・・・・牙音さま、鹿角さま、あの愛らしい雷獣は無事でしょうか・・・・・・。もうすぐこの戦いも終わりを告げることでしょう。   ああ、これで終わる・・・・・・。やっと自由になれる・・・・・・。 蒼空、どうやらお別れの時が来たみたい。 けれど、悲しまないで。私たち、思い出の中でいつだって会えるから。 蒼空、あなたに出会えて本当によかった・・・・・・。 美月姫の心は、真綿のようなふわふわとした心地よさに包まれていた。 これまで味わった一切の苦しみや悲しみを忘れ、あるのは幸福感だけだった。 「美月姫・・・・・・どこ?どこにいるの・・・・・・?返事をして?」 自分の名を呼ぶ懐かしき声がした。 誰?なんて綺麗な声なの。私、この声を知っている気がする・・・・・・。でも、思い出せない・・・・・・。 「!?お母さん・・・・・・?」 幼き頃、母親と死別した美月姫は母の声を思い出せずにいた。 その母が、今自分を呼んでいる。ああ、やっぱり、お母さんの声は綺麗だな。でも、どうしてここに? ああ、そうか・・・・・・私はもう・・・・・・。 混沌とする意識の中、美月姫はなんとも懐かしい夢を見た。 「お母さん!私はここ!ここにいるよ!」 美月姫の目の前に今は亡き母親が現れた。 母は、別れたあの頃の面影のままだった。 「ねぇ、お母さん褒めて。私ね、お母さんがよく歌ってくれたあの詠、歌えるよ。歌うとね、不思議なことが起こるんだよ」 母親は、美月姫をあたたかな眼差して見つめている。 美月姫は嬉しくて、早口で話し始めた。 「私、お母さんがいなくなってから独りぼっちだったけど、お父さんが迎えに来てくれるのをいい子にして待っていたんだ。そしたらね、よそのお家で暮らすことになって・・・・・・。それから、新しい義母さんはね、用事ができて迎えに来られなくなったから、お義母さんが来るまでの間、蒼空の家族と暮らすことになったの。だからちっとも寂しくなんかなかったよ。里の人たちも皆よくしてくれたの。ホントだよ。お母さん?どうして泣いているの?」  美月姫は、突如泣き出す母を心配し顔を覗き込むと、頬を伝う涙を拭い始めた。 「お母さんは、私が悪い子になったから悲しいの?だったら、これからいい子になるから。だからお願い。そんな悲しいお顔をしないでね。お母さんが元気ないから、特別に秘密を教えてあげる。信じられないかもしれないけど、神様っているんだよ。山神神社には、びっくりするほど綺麗な山の女神様がいるの。他に、大天狗の修験道さまに、九尾の狐白狐さま。あと、白蛇の牙音さまと、白鹿の鹿角さまが山神様の眷属神なの。皆とても美しいお顔で、強くて優しくて仲間思いで。私みたいな悪い子でも迎え入れてくれたんだよ。それに、こんな私が寂しくないようにいつも傍に居てくれるの。最期くらい皆に何か恩返しがしたかったけど、差し上げられるものがない。あるとしたら、この命かな?ねえ、お母さん見ていてくれた?私、黒龍と戦ったんだよ。こんな私でも少しは皆の役に立ったかな・・・・・・?いっぱいお話したら、なんだか凄く眠くなってきた・・・・・・。ねぇ、お母さん。私もそっちに、行っても、いい・・・・・・?」 美月姫は、安らかな表情のまま深い眠りに落ちていった。 夢の中の美月姫は、止まっていた時を埋めるかのようにこれまでの人生を語った。 だが、そのしゃべりは随分と幼く感じられた。 おそらくは、母に甘えたい欲求が幼児退行を引き起こしたのだと思われる。 また、母親に心配かけたくないという思いが無意識の領域で働いたのか。 その内容には、優しい嘘が含まれていた。 母親に、寂しくなんかなかったと語る美月姫の心は、小さくうち震えていた。 里の者から受けた心の傷も、神獣に生まれ変わった今でも痛手となっているに違いない。 思えば、山神神社に捨てられた時も、言いつけを守ろうと暗闇の中で孤独と空腹と寒さに耐えながらひたすら義母の帰りを待ち続けていた。 夢の中とはいえ、母親に心配をかけまいと優しい嘘をつく美月姫が不憫でならなくて、涙が止まらなかった。 母の頬を伝う涙を拭いながら、いい子になるからと懇願する美月姫は、記憶にすらないであろう父親をずっと待ち詫びていたのだ。 そんな美月姫の秘めたる想いを知り、胸が張り裂けそうになった。 運命に翻弄され、非業の死をとげた美月姫。 神獣に転生した後も、罪の意識に苛まれ苦しむ姿が目に浮かぶ。 山神様と眷属神たちのために恩返しがしたいと望む純粋な美月姫が、苦しみから解放されるために魂の消滅を切に願っていたことに衝撃を覚えた。 この小さき魂は、これまでにどれ程の苦しみや悲しみを抱え生きてきたことだろうか。 その思いが、今に至るのかも知れない。 それでも、昏睡状態の美月姫を死の淵から連れ戻すために、白狐は美月姫の母親に成りすまし深層心理に働きかける。 白狐は、美月姫の心層に潜む闇を知り過ぎてしまったことを酷く後悔したのであった。
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