碧き瞳の白狼

1/1
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ

碧き瞳の白狼

そこは、四方を大海に囲まれた大小連なる島々。 倭(やまと)と呼ばれるこの島で暮らす人々は、太古よりこの世に存在するすべての物に神が宿ると考え、八百万(やおよろず)の神として崇めた。 倭は、神を祖先とする帝を中心に政治を行い、『朝廷』と呼ばれるこの組織は、各地に武士たちを配置し長きにわたり倭を治めてきた。 やがて、武士たちが台頭し始めると、各地を統治する武家たちの間で領土をめぐる争いが勃発し、領土の境となる村や里では侵略や殺戮、略奪が横行した。 勢力を増し、とどまることを知らない武家たちは、朝廷に変わり政権を握ろうと旗を揚げ、倭は戦乱の世となった。 争いは激しさを増し、道徳秩序の乱れた倭では無法者たちが蔓延り、村や集落は脅かされた。 ここ、倭駿河ノ国富士埜里(やまとするがのくにふじのさと)も例外ではなかった。 突如現れた輩たちにより、里は襲撃されたのだ。 輩たちは、里の至る場所に火を放ち、人を獲物のように狩り刃で切りつけた。 窮地に追い込まれた里の者たちは、恐怖に慄き悲鳴をあげ逃げ惑う。 行き場を失った人々は、神に縋る想いで山神神社まで逃げ押せてきた。 その、神のご神域である山神神社も輩たちの標的となった。 「構え~!放てぃ!」 神社本殿に向かって一斉に火矢が放たれた。 弧を描き飛びかうそれは、社殿の屋根や壁、床に突き刺さりメラメラと音をたて燃え上がる。 「おい、見ろ!上に何かいるぞ!」 拝殿の上には、碧き瞳の美しき白狼が、その姿を現した。 「で、でかい!山犬か?」 白狼は、輩たちを鋭き眼で睨み、牙を剥き喉を呻らせ威嚇の声をあげた。 「皆、気をつけろ!」 白狼は、天に向かって咆哮する。 すると、何かの合図のようにそれはやってきた。 ヒュン――――。 風切り音を立て眼前を横切る黒い影。それは、目にもとまらぬ速さで輩たちのすぐ傍を掠め飛ぶ。 「ひぃ~」 輩の目前には、大天狗が漆黒の大翼をバッサバッサと羽ばたかせ、腰に佩いた神刀を抜刀し斬りかかる。 それに続くは、翠玉の瞳を宿す白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)。 宙へひらりと舞い上がり、九尾を靡かせ駆け巡る様に、思わず目を奪われる。 蒼き炎を纏った九尾の狐は、鋭き牙を剥き上空から急襲を仕掛けた。 逃げ惑う輩たちは、振り向きざまに見上げれば、宝石のような紫の瞳と目が合った。 よく見れば、鎌をもたげた白大蛇が、大口を開けたまま鋭き毒牙で襲い来る。 腰を抜かして地を這えば、そこには刃のような鋭き切っ先の角を持つ白鹿が佇んでいた。 輩たちは、白鹿の強烈な蹴りをくらい勢いよく飛ばされた。 刹那、辺りは目も開けられぬほどの眩い閃光に包まれた。 視覚を奪われた輩たちは、白大蛇に締め上げられ毒牙をくらう。 再び、青白い閃光と耳をつんざく激しい雷鳴が轟き稲妻が走った。 それは、白鹿の角に落ち、角を介して輩たちに放電された。 「ぎゃああああぁぁ――!」 雷の電撃をくらいひとたまりもない輩たち。 そこへ、大天狗が扇を振ると、ヒョウ交じりの大粒の雨が滝のごとく降り注ぐ。 吹きつける突風は竜巻となり、輩たちは瞬く間に天高く吸い込まれていった。 果てしない蒼穹。 真白な雪を被った美しき霊峰富嶽(れいほうふがく)が、雄大にそびえたつ。 眼下には、豊かな恵みを湛えた大地が、遥か彼方海まで広がる。 そこに栄えるは、霊峰富嶽を崇める、倭駿河ノ国富士埜里(やまとするがのくにふじのさと)。 切り立つ絶壁に佇み、霊験あらたかな聖地を望む稀有なる美貌の娘、美月姫。 美月姫は、蒼穹を写しとったような美しき瞳を閉じ、とある者の声を聴く。 『見上げてごらん。雲間から差し込む光に、歓喜した   大地がきらきらと輝きを増していく。 色なき風の奏でる音に。鼻腔くすぐる大地の匂いに。心躍らないか。 足元にだってほら。激しい雨に打たれ踏まれようとも、咲かむとする健気な息吹が。 広大な大地が。果てしない空が。ちっぽけで無力な僕たちに、「それでも生きろ」と訴えかけている。 それは、曇った眼では決して見ることのできない、美しく儚い世界。今、その瞳にはどう映っている?』 かつてその人は、美月姫にそう問うた。 唯一無二の存在だった者の言の葉が、心の中で波紋のように広がっていく。 「碧き瞳の白狼現れし時、神獣どもが覚醒す。そは【始まりの時】なり――」 決意を宿した瞳で蒼穹を仰ぎ見れば、止まっていた時が再び動き始めた。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!