1-1.人は闇を恐れ

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1-1.人は闇を恐れ

 道路のど真ん中に車が横転している。どうやったんだか、何台も並んでいる。その横や上に、椅子やテーブルや棚を積み上げて、バリケードが作られていた。  俺は周囲のビルに目を配った。大きなショーウィンドウから小さな窓まで、ガラスというガラスが割れている。道にはガラス片や赤い三角コーンや、わけの分からないごみとか、ひっくり返った車が散乱している。路地の奥の暗がりや、伸び放題の街路樹の影にも注意する。  あたりは静まり返って、人の姿はない。それを確認してから、なるべく音をたてないように、バリケードのタイヤをよじ登った。てっぺんに来ると、少しだけ空が近くなる。灰色にくすんだビルの向こうに、爽やかに青く広がっている。  夏の名残を残した太陽はまだまだ頭上高い。  天高く、馬肥ゆる秋。  これが、「秋は馬が美味しい季節」という意味でないのを最近知った。おとなりの大陸の大昔のことわざだ。収穫の秋になると、北方の騎馬民族が馬を駆って襲ってくるから気を付けろ、という警告らしい。今も昔も呑気ではいられない。  強い日差しを避けて、俺はブルゾンのフードを目深に被った。じわりと汗がにじむ。そのうち日が短くなって、暗闇の時間が増える。そうなる前に、このあたりに来ておきたかった。  滅茶苦茶に積み上げられたバリケードは、登るのはともかく、降りるのが不安定でしかたがない。緊張でますます汗が出る。こんなの何の意味もないのに。――いや、昔は意味があったのかもしれない。人間の暴徒が相手なら。  バリケードの内側に降り立って、俺は大通りのど真ん中を進んだ。こっち側は、うって変わって、道がきれいだ。ひっくり返った椅子も、転がった看板もない。割られたガラスは内側から、段ボールやら新聞紙でふさがれている。  だが、ガランとしているのは同じだ。人どころか、動物すらもこの街には近寄らない。時折、頭上を鳥が横切るくらいだ。  俺は誰もいない横断歩道を横切り、道のど真ん中を歩くのをやめ、ガードレールを乗り越えた。歩道にあがって、建物の傍を歩いていく。暗がりに気を付けながら、慎重に、でもさりげなく。  ロータリーを携えた西鉄ホテルの前に来たあたりで、ポケットから取り出した軍手を装着した。  そろそろ心の準備と、偽装が必要だ。  ホテルを見上げると、窓ガラスは一つも割れていない。カーテンがきっちり閉まっている。向かいには、とんがり屋根の教会。俺はそのてっぺんの十字架を見て、思わず笑ってしまった。ここに駆けこんで、絶望を味わった人はどれだけいたのだろうか。  記憶違いでなければ、この先にドラッグストアがあるはずだ。とりあえずそこに行けば、何か使えるものがあるだろう。  歩道脇のビルから、地下へ続く階段が伸びている。その上に看板があった。日に焼けてくすんだ色の青に、地下鉄天神(てんじん)駅の文字。福岡市天神、このあたりで一番大きな街。だったそうだ。  今は無人の街。  地下への入り口は、先が真っ暗だ。ひんやりとした風がふいてくるようだった。地下からの冷気だけではない。悪寒だ。  ドラッグストアは扉のガラスを割られているが、破片は散らかっていなかった。がらんとしていて、日の届かない店の奥は暗い。だけど一目で宝の山だと分かった。  さすが人間のいなくなった街。各地で買占めがあったと聞くが、ここには結構残っている。  建物の中に入るのは危険だが、中に入らなければ、ここに来た意味がない。物陰に気をつけながら店に侵入する。俺は目についた栄養補助スナックの包装を破り捨て、口いっぱいに詰め込んだ。  ぼりぼりと噛みながら、背負っていたリュックを手に持ち直す。なるべく音をたてないように気をつけて、目につくものをどんどん放り込んだ。栄養補助スナック、鰯の缶詰、カップラーメン、サランラップ、ビニール手袋、抗菌マスク、サプリメントに、スポーツドリンクのペットボトル。ついでにドッグフードにキャットフード。  それから、思わぬものを見つけて、足を止めた。ドラッグストアにあるとは思わなかった。なぜか大安売りの籠につっこまれた、文房具。俺ははその山から、少し茶色く変色したノートを2冊と、鉛筆をひと箱掴んで、バッグに放り込む。  宝の山を見てついテンションが上がってしまった。気がつけば、あまり大きくないリュックはパンパンになって、ずっしりと重い。  その辺を探せば、バッグのかわりになるものは見つかるだろう。もっと持ち帰ることもできるが、やめておく。欲張ると、いざという時に身動きが取れなくなる。何のために大きな袋を持ってこなかったのか。意味がなくなってしまう。  欲張りすぎず。ほどほどに。引き際を見極めろ。それが生きていくための鉄則だ。何より、自分の安全が大事。
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