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誘惑者
寝る前の時間というのはとかく嫌なことを考えがちだ。
光哉もまた毎晩ベッドの中で「なんで人生こんなことに」とか「皆は今頃幸せにやってるんだろうな」とか考えては、ひとりでに冴えてしまう目に苦しむ一人だった。
新卒で入社した会社を退職したのが二年目の二四歳の時。現在光哉は二九歳、職業はフリーターだ。
子供の頃から勉強が比較的でき、いわゆる順風満帆な人生を歩んできた光哉にとって社会人生活は生まれて初めてつまずいた石だった。
チクチクと説教に近い小言を言われ続ける日々と増える一方の業務量。あっという間に心を病み、逃げるようにして実家に帰った光哉のことを両親は優しく受け入れてくれたが、世間の方はたった一度の失敗を許してはくれなかった。
一年半の療養生活を経て社会復帰しようとした時、採用してくれる企業が見つからなかったのだ。
見つかっても、大学時代の友人たちの勤め先よりワンランク、下手したらツーランク以上落ちる企業だけ。選り好みに時間を費やすうちにただでさえ狭い選択肢はさらに狭まり、結果、フリーターという袋小路に逃げ込んでしまった。
友人たちとも自然と連絡を取り合わなくなった。自分の現状を知られ、哀れみの目を向けられることが怖かったのだ。
光哉は今父と二人暮らし。ひたすら自宅とアルバイト先を往復しつつ、安上がりな趣味で余暇を潰す毎日を送っている(母は二年前、光哉が二七歳の時に病気で亡くなった)。
学生時代までに培われた無駄に高いプライドが仇となり、かつては自殺という言葉も頭をよぎったものだったが、今ではなんとか現実を受け入れ、小さな楽しみを見つけながら生きられるようにもなってきた。
それでも。夜になるとどうしても考えてしまう。
俺はどこで間違えたんだろう。
呑気に生きているのは皆同じなのに、なんで俺だけがこんな目に遭わなきゃいけなかったんだ。
本当なら今頃結婚でもして幸せになっていたはずなのに。
堂々巡りの思考に出口は無い。毎晩のように繰り返すうち落ち込み方のパターンも多様化してきた。
だから最初その声を聞いた時は、滅入った自分の脳が生み出した幻聴か何かだと思った。
『楽になりたくはないか。愚かな人間よ』
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