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上田沙那
「なんで光哉? というか、ここはどこ? 何が起こってるの?」
「知るかよ、俺だって困ってるんだ。被害者だ」
ここが光哉の精神世界で、彼女はおそらく光哉の方の事情に巻き込まれているであろうことは、話がややこしくなりそうなので黙っておくことにした。
光哉が望んだ状況じゃないことは事実だ。
「そう……それにしても、また光哉に会う日が来るとは思わなかったわ」
意外にも落ち着いた様子で目を細めた沙那は、この五年の間にいくらか大人びたように見て取れる。彼女と付き合っていたのは彼女がまだ学生の時だったけれど、今の彼女には社会人特有の風格のようなものが備わっている。
大学時代の友人とは縁が切れてしまったから何も情報は入ってこなかったけれど、年齢的におそらく彼女もすでに社会に出て働いているはずだ。
それはそれとして、一体どういう意地悪な人選なのだろう。沙那は、山藤元課長と並んで光哉の二度と会いたくなかった人物だ。
「どういうつもりだ」と頭の中で女に呼びかける。ややあって、女の下卑た笑い声が意識の端で響いた。
『クックック。山藤の時はなんとか我慢したようだが、今回はどうかな? どんな罵詈雑言が飛び出すか楽しみだ』
相変わらず心を見透かしたような言葉に不快感を覚える。
女の言う通り、光哉は沙那を激しく憎んでいた。ここが精神世界じゃなくて質量のある現実世界だったら、女とて容赦なくボコボコにしてやりたい程度には。
「元気? ……なんて、私が聞けた義理じゃないか」
目の前の沙那が自嘲気味に言う。五年前、うつ病になって仕事を辞めた光哉を捨て、別の男のところへ走ったことを言っているのだろう。
彼女の気持ちが分からないわけではない。あの頃の光哉は不安定で、女性から見て頼りたい魅力に欠けていただろうことは光哉自身十分承知していた。
その上で光哉は沙那を許せなかった。仕事に続いて恋人まで失った光哉がどれほどの絶望に叩き込まれたか、お気楽な性格の彼女には想像もつくまい。現に光哉の頭に「死にたい」という文字までチラつくようになったのは彼女にフラれた直後からだった。
酒でも飲み過ぎたみたいに胃がムカムカし、恨み言が腹の底から喉元まで一気に迫り上がる。
俺を捨てて選んだ男とは順調か? 俺を不幸にして得た幸せはどうだ?
吐き出してしまえばそれはそれで楽になれただろう。
結論から言えば、光哉はそれらの言葉を飲み込んだ。「彼とは別れたの」と先に沙那の方から伝えられたからだ。
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