第一話 雫

2/7
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 雫は今年で三十五歳。  大手メーカーの新規事業部部長、キリっとしたつり目がチャームポイントの女性だ。三十二歳のときにコンペティションで知り合った同い年の男性としばらく同棲していたが、先週別れを切り出された。表向きの理由は『家なのに会社みたいで休まらない』だが、彼女に別れを切り出す前に、彼はすでに自分よりも十歳若い専業主婦希望の女性と交際を始めていた。雫はそんな不誠実な男に縋ることはせず、別れを即断し、彼を追い出した。  ということを知った雫の親友『叶』が、彼女にこの結婚相談所を勧めたのだ。  実は叶は三年前にここで結婚相手を見つけていた。雫は叶のパートナーが好青年であることを知っていたため、『そんな人がいる相談所なら』と予約をとり、やってきたのだ。『決めたら即行動』、それが雫のモットーである。  雫はしっかりとした足取りで相談所の門をくぐった。  小日向結婚相談所の内装は高級サロンのように清潔かつ豪華だ。天井は吹き抜けになっており、高い天井からシャンデリアがつるされている。白い土壁には金の飾り模様が入り、床は大理石に柔らかく毛足の長い金糸の刺繍の入った白いカーペット、桃色の薔薇をふんだんにあしらったフラワーアートが雫を迎え入れた。 「いらっしゃいませ」  受付にいた女性は髪の先から爪の先まで手入れをされた妙齢の女性だった。紺色のVラインワンピースに華やかな藤の花のピアスを身につけた彼女は、雫に向かい深く頭を下げる。 「ご予約の松下 雫さまですね? お待ちしておりました。相談室へご案内いたします」  受付嬢はするすると奥へ進んでいく。雫は深呼吸をしてからその後をついていった。  廊下には白薔薇を用いたフラワーアートが置かれ、暖色の蛍光が優しく先を照らしている。非現実的な豪華さと甘い花の香り、あたたかな光は雫を安心させた。受付嬢は廊下の先にある『相談室』の扉を開けると、雫を中へうながした。 「こちらでお待ちください。すぐに代表がまいります」 「代表の方が、わざわざ?」 「ええ。当社代表、小日向から当社サービスのご説明を差し上げます。……紅茶、コーヒーなどお飲み物ご用意ございます。いかがいたしますか?」  雫は少し悩んでから「カフェラテを」と答える。受付嬢は微笑んで「お待ちください」と退室した。残された彼女は手持ちぶさたになり、室内を見渡す。  煌めくシャンデリア、黄色のカラーを用いたフラワーアート、壁には最近話題となった新人作家のアートが飾られ、座っているソファーにも金の縁飾り。西洋の城にいるかのように豪勢な部屋だ。そんなに儲かっているのだろうか、と彼女が考えると、コンコンとノックがされ、一人の女性が部屋に入ってきた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!