11 八月三十一日(二十一日後)

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11 八月三十一日(二十一日後)

 今日で仕事を辞めた。  エージェントは渋っていたが、入院してからずっと体調が悪いのだと伝えると、  「そもそも来月末までの契約でしたしね。先方も、早く辞めてほしいみたいでしたし」  と、嫌味が返ってきた。無断欠勤もしてしまったので当然の評価だと言えよう。  おそらく、この派遣会社が僕に仕事を紹介することは二度とないだろう。  だけど不思議と怒りは湧いてこなかった。失望もない。  僕は電話口で「そうですか」とだけ言うと、彼女はちょっと意外そうだった。  退院してから、あれこれ理由をつけて結局三日しか出勤しなかったが、主任は以前にもまして僕を嫌い、ときには殴られることもあった。  だが、僕にとってはすべてがどうでもいいことだ。  どんなに人から疎まれたり、嫌われようと、もう過ぎたること。  宮越くんから「お世話になりました」という簡素なメールだけが届いたが、それを確認すると、すぐに削除した。グループチャットからも、追い出される前に自分から退室した。  がらんどうになった部屋に、僕は一人ぽつんと立ち尽くした。  今日でこの部屋も立ち退く。  ここから眺める海も見納めだ。僕は窓辺に近づく。  ふと、ベランダに小さな塊が縮こまっていた。  コパンだ。  声をかけると、彼はぴくんと頭をあげる。その首には真新しい首輪がついていた。  誰かに飼われることになったのだろう。  窓を開けてみたが、コパンは近づいてこない。  大きくて丸い目が、品定めでもするかのように僕を見つめているだけだ。  僕が犯した罪を見透かされているみたいで、無性に気に入らない。コパンの餌入れを掴み、思い切りぶん投げた。 「あっちいけ、クソ猫!」  餌入れは、彼の目の前に落下する。驚いて飛び退いたコパンは、僕を振り返ることなく、軽やかな鈴の音を響かせて去っていってしまった。  忌々しい猫め、と毒づきながら僕はカーテンを閉じ、部屋を後にした。  さよなら、コパン。  僕にはもう、友達はいらない。
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