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「『覚えていない』って、何をだよ? ここの人間に心当たりなんかねえし、意味わかんねえんだけど」
男子はもう、振り向こうともしない。聞こえてるはずなのに、ただ前を見てバスに揺られている。思わず頭に血が上る。
「おい、無視してんじゃねえぞ! この……!」
立ち上がってそいつの胸ぐらを掴んだ瞬間、全身を刺すようなたくさんの視線と地面から這い上がるような寒気を感じた。
いつからだったのか。車内の乗客が、いや、運転手も俺を見ている。その場にいる全員が大きな黒目をギョロリと開いたまま、瞬きの一つもせず、ピクリとも動かずにただただ俺を見ている。
その異様な景色は不気味で気持ち悪くて、恐ろしかった。
「……な、何だよ。お前らいったい何なんだよ!」
俺の言葉なんて聞こえていないかのように、誰もが微動だにしない。
ふと手元を見ると、俺に胸ぐらを掴まれたままの男子も、前髪の隙間から俺を凝視していた。その感情のない瞳は闇の世界の入口みたいに真っ黒で、俺を今にも吸い込んでしまいそうだった。背筋を嫌な汗が流れていく。
「……クソッ」
男子から手を離すと、俺は近くの降車ボタンを押した。
ピンポーン。
やばい。よくわからないけど、このバスはやばい。もう降りよう。
その時、聞き覚えのないアナウンスが車内に響き渡った。
――次は終点、『ヒサシブリ』。次は終点、『ヒサシブリ』です。
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