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 ママは泣かなかったよ。  本当の所、泣いてる暇もなかったんだと思う。  会社への連絡や病院での支払い、パパが入っていた生命保険の受け取り手続きとか、やる事が色々あってさ。  書かなきゃならない書類も山積み。  人が死ぬって静かなイメージあったけど、本当はとても忙しい事なんだなって、ボク、変な所で実感した。  中でも特に大変なのは、お通夜やお葬式だったのね。  古い町で町内会とかあると、ご近所が頼りになるけど、ウチはそこそこ新しいマンションだから無理です。普段から付合い、薄いんだ。  親戚にも頼れなかった。  ママはパパと結婚する時、ひどく親に反対されて、縁を切っちゃったんだって。  パパの方も、前の奥さんと離婚した時、訴えられて裁判になり、けりがつくまで長い間揉めたせいで、世間体を気にする実家の人達と殆ど付き合いが無くなってた。  結局、パパの弟って人がお通夜にちょこっと顔を出しただけで、後、誰も来てくれなかったの。  その代り、会社の人は沢山来たね。ママも一人一人にご挨拶してアチコチ走り回ってたよ。 「陽気な事が好きな人でしたから」  お客様に会う度、そう言って、笑顔を作ってたっけ。  でも、あの時……お葬式の日、パパの前の奥さんって人が来た時だけ、ちょっと様子が違ったな。  姿を見たら、凍っちゃってさ。  深く、頭を下げていた。何度も、何度も、繰返し。  数珠を持つ手を握りしめ、少し震えているのが隣にいたボクには伝わってきたけど、それでもママ、最後まで笑ってました。  パパの骨が小さなツボに入り、3LDKの家に戻った時は、狭い筈の部屋をすごく広く感じた。  ママは見た目、元気なまま。  哀しくないって言うんじゃなく、何か、スイッチが入ってない気がしたよ。  心の何処かにある、悲しいって思う為のボタンが、何処かに引っかかって、押せない、みたいな。  四十九日の法事が終り、やっと一息ついた朝が日曜日だった。  六時に目が覚めて、水を飲みに台所へ行くと、ママがテーブルに座ってる。  何時から起きてたんだろうね?  薄~く目を開いて、でも何も見ず、何も聞こえていないのがわかった。  マンガのシーンに例えたら、「ポツ~ン」って効果音の吹き出しが、顔の横についている感じ。  隅に置かれたミシンには、透明のビニールカバーが掛かったまんまです。  パパが死んでから、ママ、一度もお裁縫してないんだ。  忙しかったから仕方ないけど、そんなに長い間、ママがミシンに触れなかったのは初めてじゃないかな?  何たって特別なミシンだから。  パパと結婚する時、お婆ちゃん、つまり、ボクのひい婆ちゃんだけは、ママの味方をしてくれたんだそうです。  で、荷物をまとめて実家を出る時、ミシンを一緒に持たせてくれた。  寂しい時にペダル踏めって。  夢中でやってりゃ、その内、嫌な事なんか忘れちまうよって。  良い事言うじゃん、ひい婆ちゃん。  もう、とっくに死んじゃったから、ボク、顔も覚えてないんだけどね。  朝ごはんの準備はまだだし、折角の日曜日なのに、ボク、アニメを見る気にはならなかった。  パパの邪魔が入らない分、見たいだけ見放題なんだけど、何か、ちょっと……  ボクの方も多分、ちょっとだけ変だったんだと思うよ。  何をしても面白くない。  何を食べてもおいしくない。  やっぱり、頭ン中の何処かで、大事なスイッチが切れちゃってる感じ。  仕方ないんで、久々のジョギングへ出てみました。  長い間、着ていないトレーニングウェアはサイズが合わず、走り出すと肩の辺りがビリッていった。  まぁ、中学入る時に色々買い替えるし、今はこれで良いや。  そんな事を思いながら、滲みだす汗を肩に掛けたタオルで、少しずつ拭いながら走っていく。  ま、いちお~、パパ譲りのスタイルって奴です。  で、久々だから、すぐバテちゃって。  後悔したけど、何ンか悔しいから走り続けて、公園から表通りへ入る辺りでやっと調子出て来たんだ。  テレビじゃ記録破りなんて言ってる猛暑は八月に入ってますます絶好調。  走りながら顔を上げると、モリモリ分厚い雲の隙間から、道路のアスファルトへ日差しが落ちて淡い陽炎を作ってたの。  その揺らめきの中に、一瞬、パパの姿が浮んで……消えた。  目に焼き付いているんだろうね。  だって小学校に入る前から、数えきれないくらい一緒に走ってきた、お定まりのコースだもん。  陽炎を通り抜ける度、思い出が浮かんできて、きりがない。  たとえば……    パパはいつも余裕たっぷりの顔を見せ、コンビニまで競争する時とか、わざとボクに負けてた。  ガチャガチャの前で100円渡してくれる度、ニヤッて笑ったから、そりゃ子供にもわかります。  でも、改めて思い返してみると、最後に走った時は違う。  歩道橋の下で立ち止まり、胸を押えて、しばらく呼吸を整えてた。  自販機で買ったセブンスターを吸おうとせず、その後、パパは家へ着くまで走らなかったんだ。  いつも通り笑おうとしながら、ガチャガチャの100円を差し出すパパの顔、変に青白く見えてさ。
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