6.ぽっくり

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6.ぽっくり

 湘南介護ホーム・キラキラの玄関前ロータリーに一台のワゴンが停車した。 助手席から降りたのはカイゴロボテクス株式会社の主任セールスエンジニア、三枝(さえぐさ)讓治(じょうじ)だ。ビジネスバッグを地面に置いた彼は、素早くズボンのジッパーを上げてベルトを直し、上着代わりの白衣に寄った無数の皺を手ではたいて伸ばしてやる。  フラットに倒されていた運転席で若い女が体を起こした。運転席にはいたが、自動運転なので彼女はずっと眠ったままだった。そうやって、バッテリーを無駄遣いしないのが会社のルールだ。  木村雛子(ひなこ)。  設定二十三歳の彼女は三枝讓治のAA、すなわち、アシスタント・アンドロイドだ。不自然にめくれたミニスカートを直し、シャツの第二ボタンと第三ボタンを留め、バッグを抱え、彼女もワゴンから降りた。その様子から目を逸らす三枝を見ながら、雛子はグレーのジャケットを羽織り、バッグを肩にかけた。  三枝は、そそくさとワゴン車の後部ドアを開けた。座席には筋骨隆々の男と花柄のワンピースを着た清楚な女性が折り重なって眠っている。雛子がジャケットからリモコンを取り出してボタンを押すと、眠っていた女がぴくりと反応し、体を起こした。 「おはよう、サラ。仕事よ」  雛子が声をかけると、女はワゴンを降り、軽くウェーブのかかった髪を掻き上げた。外見は三十歳前後。雛子と同じくらい美しく、細く長い脚で、雛子より豊かな胸と腰を持っている。次いで、三枝が白衣のポケットからリモコンを出し、ボタンを押す。座席の男がぴくりと反応し、体を起こす。 「おはよう、ケニー。仕事だ」  ワゴンから降りた男は三枝が見上げるほどの背丈で、筋骨隆々の格闘家を思わせた。いや、二十歳そこそこのラテン系のハーフらしき顔立ちは、野性味溢れるホストと表現すべきかもしれない。 「さ、行くぞ」  小さく気合いを入れ、三枝は 湘南介護ホーム・キラキラのインターホンを鳴らした。  応対したのは、施設長の京極(きょうごく)恵子と看護師長の前山和子(かずこ)だ。  湘南介護ホーム・キラキラは、セレブリティ・ケア・センターを標榜する高級老人ホームで、入所するには最低三億円の保証金に加え、月額百万円程度の管理費が必要だ。室内は大理石をふんだんに使ったホテル仕様で、三枝たちは男女の裸像が飾られたロビーに通された。 「ほお、ミケランジェロですか」 「いいえ、ギリシャ彫刻のレプリカです」  三枝の適当な言葉を冷静に否定した京極施設長の眼差しは、どうしても野性味溢れるホスト風の男に向いてしまう。前山看護師長も同様で、ふたりの視線を受け止める彼は、優しげな眼差しで、口元の頰笑みはアルカイックスマイルの彫像にもひけを取らぬ魅力を放っていた。 「こちらがK-7のMHタイプです。K-7というのは、国が定めた介護ロボットに必要な七つの要素を全て満たすアンドロイドに付けられる当社の共通コードです。Mは、ご覧いただいたとおり、マッチョのMです。最後のHは、ホストのH。被介護者様のいかなるご要望にもお答えしようとする気配り度が最大レベルであることを示しています。また、ハリウッドのHという意味もございまして、これはもうご覧頂いたとおり、ハリウッドのマッチョ系スターを意味しております」  国が定めた介護ロボットの必要要件とは、以下の七つだ。   1.全ての介助作業を丁寧に行い被介護者に快適な生活をさせること。  2.粗相(そそう)をしたら排泄物を綺麗に拭き取り、周囲を清掃・脱臭すること。  3.誤嚥(ごえん)したら即座に吸引するなど、緊急的な医療措置をとること。  4.地震など災害が起きた場合は被介護者の安全を確保すること。  5.歩行リハビリなど被介護者の健康機能回復を助けること。  6.積極的な日常会話を行うなど認知症の進行を遅らせること。  7.被介護者に気に入られるよう振る舞うこと。 「男性型アンドロイドには、他に、旧ジャニーズ系や韓流系などのオプションがございます。一方、こちらの女性型アンドロイドはK-7のSHタイプとなっております。SはセクシーのSと思われるかもしれませんが、なるほど、そうであることに疑いはないのですが、むしろ、〝清楚〟であること示すSでございます。  Hはホステス。男性型のH《ホスト》と同様、最大限の気配りができる銀座高級クラブのホステスさんタイプであることを示しております。女性型といたしましては、他に女王様(アマゾネス)系、お姫様系などが選択できます。なお、男性型・女性型ともにバイセクシャル仕様となっておりますので、被介護者様のお好みに応じ、どちらの性別でもご奉仕が可能となっております」  喋り終わった三枝はちらりと雛子を見た。施設長や看護師長にわからぬよう、雛子はごく小さく頷いた。三枝が言うべきことを抜け漏れなく語ったか、雛子は内蔵するデータベースと照らし合わせて確認していたのだ。 「で、彼にはお名前があるのかしら?」  いつの間にか、京極施設長の目は濡れたように光っている。 「男性型がケニー、女性型がサラです。両名とも、お好きな名前に変更可能です」 「あら、試用期間内でも変更していいのかしら?」 「もちろんでございます」 「前山さん、何かご希望はあるかしら?」  いきなり振られた看護師長は、何かを言いかけ、慌てて俯いた。 「実際、お使いになる方に聞いた方が宜しいのではないでしょうか」  看護師長に正論を言われ、京極施設長はちょっと不服そうに、そうね、と言った。 「複数の名前を使い分けることも可能です」  ちょっと不服そうな施設長に、AAの雛子が助け船を出す。 「被介護者様がお好きな名前をつけ、施設長様が別のお名前をつけて普段接することも可能となっております」 「あら」 「しかも、被介護者様の就寝中など、介護業務から離れている時間帯においては、施設長様の業務を様々にお手伝いすることができます」 「様々に……」 「ええ。実に、様々に」  施設長の目が濡れた輝きを取り戻す。 「じゃあ……ユウスケでいいかしら」  女子高生が初めて告白するときは、こんな声になるのかもしれない。AAの雛子はそんなことを思いながらリモコンを操作した。 「京極施設長様の前では、おまえの名前はユウスケ。いいわね」 「はい。京極施設長様にとって、ぼくはユウスケです」 「あら、いやだもう」  ぽっと赤らめた頬の色は、しかし、化粧に遮られて見えなかった。 「では、ご試用契約書にサインを」  三枝はビジネスバッグからタブレットを取り出し、京極施設長の前に置いた。 「様々に、だったわね」 「はい。様々に、でございます」  雛子が笑顔を作り、施設長はタブレットの画面に指先を走らせる。こうして、新型介護ロボットを売り込むための三日間の試用契約は結ばれた。    男性型のケニーは吉田民子(たみこ)、女性型のサラは沢本義男(よしお)が試用することになった。ふたりとも、最上級プランの鶴亀ルームを契約する資産家だ。人間そっくりな最新のロボットに驚きつつ、ふたりは絶対に忘れたくない名前をケニーとサラにつけた。ケニーはタツオ、サラはハルコだ。ふたりとも、他界した連れ合いとは違う名前だと笑った。  試用期間中は、雛子が施設に残って二体をモニタリングしつつ、トラブルに備える。充電用電源さえ借りることができれば食事も風呂も不要なアンドロイドは出張業務に最適だ。数年後、マイクロ原子力自家発電ユニットとプルトニウムタブレットが実用化されれば充電も不要となり、アンドロイドの汎用性はさらに高まるだろう。  三枝を見送った雛子は、ロビーの片隅にあるナチュラル・オークで作ったレターデスクへ移動した。その足元には電源コンセントがある。ミニスカートをめくり上げ、パンティをずらし、右腰の素肌にあるジッパーを横に開き、電源ケーブルを伸ばした。周囲に誰もいないのを確認してから四つん這いになり、先端のソケットをコンセントに突き刺す。  彼女自身、最も嫌いな作業だ。素早く椅子に座り直し、ショルダーバッグからPCを出し、その電源コードを腰にあるジッパー内部のコンセントに差す。ようやくパンティとミニスカートを直し、脚を組み、雛子は誰にも見られていないことを再確認した。  PCの画面にはタツオとハルコの視界を映すことができる。イヤホンで彼らの会話を聞くことも、PCのマイク機能を使って音声で指示を与えることもできる。映像や会話は直近の一週間分がアンドロイド本体内に記録されることになっている。この映像と音声は、万一、事故が起きた場合の証拠になるのだ。  雛子のPCには、タツオの視界が表示された。目の前には被介護者の民子がいる。彼女は息子の嫁について悪口を言っている。小さく画面が上下するのは、タツオが相槌を打ちながら聞いているのだ。ふと、民子の表情が止まった。ついで、喋っていた口も動かなくなり、んっ、と彼女は小さく力んだ。 「出ちゃった」 「えっ?」 「うんち、出ちゃった」 「はいはい、大丈夫ですよ」  タツオが動き、すぐ目の前に民子の顔が現れ、その目がとろんとした。お姫様抱っこでトイレに連れて行き、タツオは排泄物の処理をする。汚れた尻のアップとなり、雛子は画像をハルコに切り替えた。 「そろそろ晩ご飯ですね。ダイニングに移動しましょうか?」  最も心地よく聞こえる女性の声の周波数に調整されたハルコが優しく語りかける。 「では、車椅子に移りましょう」  ベッドの背を立たせたハルコは、自分の首に義男の両腕を回させた。そして、豊かな胸で義男に密着し、彼の腰をぐっと引き寄せてその場に立たせ、ゆっくりと体を回して車椅子に座らせた。  このクラスのホームにある車椅子は自動運転が当たり前だが、ハルコは押していきましょう、と申し出た。義男は破顔し、お願いします、と答えた。見上げれば豊かな胸が庇になるほど体を密着させ、ハルコは義男の車椅子を押して廊下を進んでいく。きっとそうしているのだと彼女の視界から想像できた。  普段、そのまま車椅子で食事をするのだが、この日の義男はハルコに正面から介助され、ダイニング・チェアに移動することを選択した。  雛子はタツオの視線に戻った。彼らもダイニングに向かっているようだが、どうも視線がおかしい。ときおり、画面の下に民子の頭らしきものが見える。  またしても、お姫様抱っこだ!  微かなモーター音が聞こえる。お姫様抱っこでダイニングへ向かうふたりの後を、自動運転の車椅子がついてきているのだろう。ダイニングに到着した民子をダイニング・チェアに座らせ、漸く、視界に民子が戻ってきた。  タツオの視界には、ちょうどハルコと義男が写っていた。すると、食事を始めた義男が、突然、激しく咳き込んだ。誤嚥だ。食べ物が気管支に入ってしまった。ハルコはすぐさま椅子を動かし、義男の正面に立った。そして、薄い唇を開いて舌を伸ばすと、そのまま義男の口の中へ挿入する。  開いた口と口が密着し、ハルコの舌が義男の口の中でうごめいた。彼女の舌先は、吸引用のストローになっているのだ。暫くして、義男の唇に挟まれたハルコの舌がゆっくりと現れた。 「もう大丈夫ですよ」  ハルコが微笑むと、とろんとした目の義男は、ふん、と声にならない声で応えた。その直後、今度は民子が咳き込んだ。 「変な方に行っちゃったみたい」  ガラガラ声で民子が訴える。嘘だと雛子は直感しながら、視界をハルコのものに切り替える。タツオの舌を恍惚と受け入れる民子の表情が崩れていた。  この頃、官邸ではこんな会話が交わされている。 「介護ロボット補助金制度のことで野党のアホどもがグズグズ言ってるそうじゃねえか」  官邸で朝食を取りながら阿保(あぼ)首相は秘書の山田小太郎を質した。 「一体三千万もする高級品で手が出ないっていうから、半額補助してやろうってのに、何が不満なんだよ」 「それがね、翔ちゃん。半額になっても一体千五百万円じゃあ、結局、個人なら富裕層しか買えないし、施設として買うにしても超高級老人ホームじゃないと無理なんだって。そういう人や施設なら、別に補助しなくても買えるんだから、だったら補助金そのものが無駄ってことになるんじゃないのって」 「そうなの?」 「確かに言われてみれば正論で、富裕層のために税金使うなら、貧しい老人のために使った方が翔ちゃんの人気が上がるかもね。だって、富裕層をこれ以上優遇しても使う金額が増えるわけじゃないから、税金が蒸発しちゃうのと一緒かも」 「そうか。なら、介護ロボットの補助金は止めるか」 「その分、何かあっと驚くような政策を考えてよ」  この会話がきっかけで、数年後、阿保総理は老人特区政策をぶち上げることになる。  そして、この三日後、試用期間の最終日に、湘南介護ホーム・キラキラの特別霊安室には、ふたりの入居者が並んで連れてこられた。ひとりは吉田民子、もうひとりは沢本義男だ。民子は脳溢血(のういっけつ)、義男は心臓発作が原因と見られた。どちらも、介護ロボットが記録した映像と音声から、そう判断された。 「大変、申し訳ございませんでした!」  三枝讓治は霊安室に土下座をした。理由がどうあれ、試用中の被介護者がふたりも亡くなったのだ。下手をすると訴訟にさえ発展しかねないと彼は恐れた。 「まあまあ三枝さん、顔を上げてください」  京極施設長が三枝を慰めた。 「ふたりとも、若返った気持ちに体がついてこれなかったんですよ」 「そうですよ――」  前山看護師長も三枝の肩を起こそうした。 「何しろ、八十五歳を超えたおふたりが、大好きだった方の名前を叫びながらご昇天されたのですから」  本当なのか、と三枝は雛子を見た。そのとおり。と、雛子は深く頷いた。 「そうでしたか。そこまで……ねえ」 「まったくですよ、もう」 「わかりました。おふたりが喜ばれたというのであれば、せめてもの慰めです。当社といたしましては、そのあたりの事情も含め、プログラムの変更について検討いたします」 「ちょっと三枝さん、何をおしゃっているのかしら」  京極施設長が慌てて三枝の両肘を持って立ち上がらせた。 「このままでいいんですよ」 「は?」 「入居者の方が、病気で苦しむこともなく、ぽっくり逝けたんですから、それでいいじゃありませんか」 「ん?」 「ですから、ぽっくり逝けるプログラムでいいんです。いや、この方が望ましい。ぽっくり逝って空室が出れば、また三億円の保障金を持った次の入居者をお迎えできる。回転が速くなればなるほど我々は助かるんです。しかも、ご入居者のみなさんが、最も臨んでおられるのが、ぽっくり、です。つまり、K-7は施設にとっても、被介護者にとっても、もちろん、皆さんにとっても、理想のロボットなわけですよ」  この時、三枝のAAである木村雛子は、思考回路内でひとつの提案書を作成した。  K-7の売り上げを向上させるプログラム改善提案。男女ともに性的魅力および対応力を機能強化するとともに、性的行為の結果による発病に対する治療行為は回避(今回事例においては、小職が遠隔操作によってケニーおよびサラの治療行為を停止)。これによって老人ホームにおける幸福死亡率が向上し、結果的にホームの部屋回転率が改善され、当社製品の販売促進に資すると思量する。  介護ロボティクス社の次世代介護ロボットには、P-1というコードが付与された。このPが何を意味するのか、これまでのところ発表されていない。(了)
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