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5.恋人切符
配給生活者のぼくに、宅配荷物が届いた。
先週よりひと回り小さい箱だ。
テープをはがして中を確認する。どれも、配給切符を使って購入したものだ。
まずは一週間分の食料。代わり映えのしない缶詰、レトルト、フリーズドライ……。
次に交換用の衣類。今週は靴下とパンツが2セットずつ。
消耗品の配給は、洗顔石鹸1個、詰め替え用のボディシャンプー、髭剃りの替刃1個。電力消費用電子コインが70時間分と水道用電子コインが25リットル分。
健全単身生活表彰の配給切符が1枚、支給された。これで、152枚貯まった。
配給切符を千枚貯めれば、ぼくがぼくであることに気付いたときから住んでいる、この30㎡の1Kから50㎡の1DKに引越しできる。2千枚なら80㎡の2LDKだ。しょせん無理だと諦め、こまめに他の物品と交換してきたが、あるとき、ぼくは方針を変えた。
結婚し、家族を持って生活する。
自分で千枚貯めるより、誰かと結婚して、相手の切符と併せればもっと早く50㎡に引っ越せることに気がついた。あわよくば、二人合わせて二千枚貯め、80㎡に引っ越すのも夢じゃない。そうなれば、子供がひとりできても余裕だ。
そう、ぼくは、結婚して子供ができて広い部屋に住むことを目標に生きることにしたんだ。
もっとも、健全単身生活表彰の配給切符はまじめに生活さえしていれば支給されるが、結婚相手に辿り着くのは容易ではない。
何をさておいても、「恋人切符」を手に入れなくてはいけなかった。
これを手に入れるには、配給切符を百枚以上所持している人を対象にした選抜審査を通過しなくてはならない。
この審査基準は極秘であり、いったい何をどう審査しているのか、ぼくたち「生活者」にはわからない。ともかく、「管理者」が何かの基準をもってぼくたち「生活者」を審査し、結婚し子孫を残すことが相応しいと判定された者だけに「恋人切符」が支給される。
しかも、「管理者」は、個々の「生活者」に相応しい相手をペアリングした上で、その切符を発行する。つまり、「恋人切符」を手に入れた後は、同じシリアルナンバーの相手と巡り合わなくてはいけない。
これがかなりの関門で、浮かれて相手を探そうものなら、タダで「恋人切符」を手にしようとする不逞の輩に命を狙われかねない。それで簡単に殺されるようものなら、そもそも、子孫を残すべきDNAではなかったと烙印を押され、むしろ、奪った側は強固な生存能力を保持していると高く評価される。
ただし、切符の強奪に失敗した場合は最悪だ。反社会的単身生活者として、有無を言わさず合成ミートの材料にされる。
これらのことを総合的に考えると、葛藤が生まれるのだ。
配給切符を貯めながら、家でおとなしくして「恋人切符」に「当選」するのを待つか。誰か「恋人切符」を手にしたヤツを見つけて奪い取るか――。
そのとおり。
コツコツと配給切符を貯めようと決意するまでのぼくは、誰かの「恋人切符」を奪い取ろうと、連日、街に繰り出しては獲物を探した。だから、配給切符をちょっと貯めては、より確実に獲物を殺せる武器と交換した上で、出会いの広場に行って聞き耳を立てた。
ぼくと似たようなヤツは腐るほど大勢いて、恋人切符の強奪に成功する場面を目撃したこともある。そいつは、ひとりの男が女性にカード型の切符を見せた瞬間、背後からその男に飛びつき、有無を言わさずナイフで喉を掻き切った。
そして、彼の手から恋人切符を奪い、血しぶきを浴びて呆然と立ち尽くす女性にその切符を提示した。
「K003-24B-0183男子です」
吹き出す血を浴びた女性は、顔面を二の腕で拭い、にっこり笑った。
「K003-24B-0183女子です」
ふたりは死体の前で抱き合い、濃厚な口づけを交わす。互いの口が、殺された男の血で真っ赤に染まっていた。このふたりは、一定の恋人期間を経て、結婚するかどうか、決めるプロセスに入るのだが、せっかく恋人切符を手に入れたのに結婚を選択しないカップルは極めて珍しいという。
殺された男を回収する「食肉補給センター」のミキサー車が到着する前に、ふたりは手をつないで広場を出て行った。
出会いの広場で、その光景をじっと見つめる若い女がいた。艶やかな黒い髪と柔らかな白い肌の人だ。
驚いたことに、彼女は一冊の本を持っていた。字が読める……。そう思うと、なんだかとても遠い存在に思えた。腕を組むふたりを見送り、彼女は再び本に目を落とした。
それから何度か、出会いの広場にいく度に、ぼくは彼女を見つけた。彼女の方もぼくに気がついたらしく、ちょっとだけ微笑んでくれた。でも、それは一度きりのできごとで、彼女はいつも本に視線を落としていた。
ぼくは気がついた。彼女は、ぼくと同類なんだ。この広場に来て、切符を奪う相手を待ち伏せしている。あの本の下には、きっと凶器が隠されているに違いない。
それから暫くして、こんなこともあった。女性の前に立った男が、ショルダーバッグから何かを出そうとした。その瞬間、後ろから飛びついた男がロープを彼の首に巻き付け、締めあげた。
彼女の隣に座る別の女性が叫んだ。
「誰か来て! 夫が殺されそうです!」
飛びついた男が愕然として手を放したときには、夫は息絶えていた。
「恋人切符」目的の誤認殺人は、未遂であってもA級反社会的行為に認定される。彼がバッグから取り出そうとしたのは、健全夫婦生活表彰切符と交換した娯楽施設の共通切符で、夫婦で目の前の映画館に入ろうとしていたのだ。
「管理者」のドローンが飛んできて、一発の弾丸で殺人犯の額に穴を開けた。続いて「食肉補給センター」のミキサー車が到着し、犯人と被害者の二人の屍に透明な管を突き刺し、赤黒い血が吸い出される。
鮮度を保つためには素早く血抜きするのが重要だ。ミキサー車の屋根が開き、クレーンの腕が伸び、死体がその中へ放り込まれる。モーターが高速回転し、ほんの三十秒ほどでふたつのゴミ袋が道路に放り出された。
ミキサー車が出発すると、すぐにゴミ収集車がやって来て、ふたつのゴミ袋を回収した。このゴミ収集車が合成ミート製造工場に行くことを、ここの生活者なら誰でも知っている。
その事件の後も、彼女は出会いの広場で本を読み続けた。月日が流れ、若かった彼女の髪には、白いものが混じった。ちらりとぼくを見ることもあったけど、すぐに視線を落とし、本の続きを読み始める。
あの本の中には、いったい、どんな世界が入っているのか……。気になるけれど、ぼくにはどうしようもなかった。
結局、ぼくは、「恋人切符」を奪うチャンスには巡り会わなかった。
だから、こつこつと配給切符を貯め、「恋人切符」が支給されるのを待ち続ける人生を選んだ。
「管理者」がどういう基準で子孫を残すヤツを選んでいるのかは不明だ。きっと、「管理者」にとって都合のいい遺伝子を持ったヤツだから選ばれているのだろうけど、それが何なのか、ぼくにはわからない。殺したり、殺されたりすることのない平穏な人生を、結果的にぼくは歩んだ。だから、今日もこの部屋の中で、一日は過ぎていく。そうやって年老いて、誰とも会わずに死んだとしても、流れる時間は何も変わりはしない。
さらに月日が流れ、そんなことさえ考えなくなったある日、配給物資の宅配荷物が届いた。
箱はふたつあって、ひとつはとても小さな箱で、黄色い紙が貼ってある。何が書いてあるか読めないぼくのために、メッセージのチップが貼ってある。そのチップを指先で押すと、無愛想な男の声がこう告げた。
「遅配証明書。この箱は、本来配達されるべき日から四十二年と百二十三日遅れて配達されたことを証明する」
箱を開けてみると、中には封筒があった。その封を切ると、一枚のカードが入っていて、シリアルナンバーが印刷されている。文字がわからなくても、それが「恋人切符」なのだとすぐにわかった。
〈E-009-58Z-7643男子〉
なんということだ。本来、ぼくは四十二年と百二十三日前に「恋人切符」を支給されていたんだ!
これが単純なミスのせいだとは、思えない。誰かが恣意的に嫌がらせをしたのだろう。そうであるなら、今さら届けないで欲しかった。結婚することも、50㎡の部屋に引っ越すことも、もう何も考えなくなった今になって、こんなものを見せないで欲しかった。
そのままゴミ箱に投げ入れようと思った瞬間、同じシリアルナンバーを持つ女性が存在することに思いが及んだ。彼女は、この四十二年と百二十三日の間、ずっと同じナンバーの男性が現れるのを待っていたに違いない。
ああ、それがあの女性なんだ――。
いつも、出会いの広場で本を読んでいた彼女こそ、これと同じシリアルナンバーの「恋人切符」を持ち、運命の男が現れる日を待ち続けていたんだ!
ぼくは、ぼく以外の運命を初めて心配した。そして、出会いの広場へ出かけた。
その日は、いったい季節がいつなのかはわからないけれど、柔らかな日差しが優しい影を作る日だった。広場には白髪の老婆がひとりいて、ベンチに座って本を読んでいた。その前に立つと、彼女は顔を上げた。いったいどれだけ読み直したのか、表紙はすり減り、ページは日焼けしている。そこに何が書いてあるのか、ぼくは彼女に聞いた。しかし、彼女は何も答えてくれない。その本には、文字がひとつも書いてなかった。
ぼくは「恋人切符」を彼女に見せた。その目が驚きに見開かれ、唇が微かに震えた。
「ありがとう」
彼女……いや、そいつの声は、頭蓋で共鳴させたようにくぐもっていた。次の瞬間、その口がカッと開いてぼくの喉に喰らいつき、噛みちぎる。吹き出す血のカーテンの向こうを、恋人切符を奪ったそいつが逃げ去った。(了)
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