第11話 異音

1/1
前へ
/18ページ
次へ

第11話 異音

「アントン! ホントに……アントン……。ああ……無事に帰って来れたなんて……」  巣に戻ると、すぐに母アリが駆けつけて来ました。そして、アントンを抱きしめ、何度も何度も口づけをし、 触角(しょっかく)を撫でながら我が子の 帰りを喜びました。 「……ただいま……ただいま! お母さんっ!」  アントンは急に泣き出しました。巣に戻って仲間達に迎えられ、母アリの優しい声と温かな手で包まれると、どうしようもないくらいに気持ちが安心したからです。  アントンと母アリは、すれ違う人々からの温かい言葉を受けながら、自分達の家に帰り着きました。 「ただいま……」  戸を開けて部屋に入ると、アントンの口から自然に声が ()れます。 「お帰り、アントン……」  母子2人っきりになると、母アリはもう一度アントンを強く抱きしめました。 「……疲れたでしょ? アントン。すぐに何か食べるものを準備するから待っててね」  母アリはそう言うと、台所へ向かいます。アントンはそんな母の背中を見つめ、それから部屋全体をぐるっと見回しました。生まれ育った我が家が、なんだかとても懐かしく感じます。 「お母さん……」  アントンは母アリの背に向かい声をかけました。 「なぁに?」  母アリはアントンに背を向けたまま、食材を集めて調理をしながら返事をします。 「あのね……僕……やりたいことがあるんだ……」 「まあ、そうなの? でも今日はもう疲れてるだろうから、お仕事は明日から始めればいいわよ」 「違うんだ!」  アントンは慌てて訂正しました。母アリは調理台に向かったまま応じます。 「違うって? 何が?」 「僕……音楽をやりたいんだ! ギリィさん達のバンドで……」  母アリは調理の手を止めました。そして、背後から投げかけられたアントンの言葉の意味を、しばらく考えるように間をおいて振り返りました。 「どういう……意味かしら?」  明らかに 困惑(こんわく)した表情の母アリに見つめられたアントンは、身をすくめながら答えます。 「あの……僕……ギリィさんとリンさんと一緒に……音楽家になりたいんだ!」  母アリは無言のまま、驚いた瞳をアントンに向けました。思いもかけなかった言葉に声を失っているようです。  自分の中にある思いを……今は「言葉」という楽器に乗せて…… 「あのね! 僕、あの日、川に流された時にね、助けてもらったんだ! ギリィさんとリンさんに。そしてね、すごく遠くまで流されたけど、助かったんだ! その時にギリィさんがバイオリンを ()かせてくれて……すっごく上手なんだよ、ギリィさん! そしてね……」 「やめて!」  旅の話を始めたアントンでしたが、母アリにとっては聞くに ()えられない「強烈(きょうれつ)な異音」だったようです。 38853d52-6440-4c0d-92fb-d66bc0b8b096 「……何を言ってるの? ギリィって……あのダメ昆虫のキリギリスの話? あの人の話はもう絶対にしちゃいけないって、お父さんとも約束したでしょ!」  母アリの (たましい)が乗った言葉の音色に、今度はアントンが口をつぐみました。 「助けてもらったって話は分かったわ……あんな人でも一応の責任感があったってことも……でもそれでお(しま)いよ! 川に流されたあなたが無事に帰って来た、途中で何があったのかは関係ないわ。もうあんなダメ虫の名前は出さないで!」 「……ギリィさんは……ダメ虫なんかじゃないよ……」  ポツリと呟いたアントンの精一杯の抗議に、母アリは強く反応し睨みつけます。 「もうその話はやめにして……お願いだから。せめてお父さんが帰ってくるまでは、絶対にその話はしないでくれる?」  母アリはそう言うと、準備を始めていた台所をサッサと片付けました。 「……お母さん、お食事を作る気分じゃ無くなったわ。お店でお弁当を買ってくるから待ってて」  そう言うと、母アリはアントンを残したまま部屋から出ていってしまいました。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加