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第13話 ただいま
アントンは巣穴の倉庫整理を終えると、人目を避けるように急いで裏道に駆け込みました。ここはアントンのタップダンス練習場であり、ステージです。
「お兄ちゃん、お疲れさまぁ!」
「待ってたよぉ!」
何匹かの子どもアリがアントンを待ち構えていました。アントンは嬉しそうに子ども達に笑顔を向けます。
「ゴメン、ゴメン!……そんな気持ちをこのステップに乗せて……」
アントンは手拍子をつけてタップダンスを子ども達に披露しました。
音楽の流れない巣穴の中でも、アントンの頭の中ではいつでもギリィのバイオリンが聞こえて来ます。その時々の想いを乗せて奏でられたギリィの曲が、今ではすっかりアントンの想いを表現するタップダンスのメロディになっていました。
タンタン!
「わぁ! 凄い!」
「アントン兄ちゃん、サイコー!」
終止符のタップを踏み終わると、子ども達は 拍手喝采です。アントンはリンが見せてくれた「お礼のお辞儀」を真似します。
「さ、それじゃ次の作業に行く前に、始めよっか?」
アントンは子ども達にタップの踏み方を教え始めました。音楽が流れないので、曲は全てアントンが鼻歌で流します。ギリィの音色を知っているアントンは曲をイメージ出来ていても、子ども達にはなかなかメロディのイメージは伝わらないものです。
それでもアントンは子ども達に教えることを楽しんでいます。子ども達も喜んでレッスンを受けていました。
「今度はこんな所でサボっていやがったのか! アントン!」
突然、大きな怒鳴り声が裏道に響きました。父アリと何匹かの兵隊アリが、コワイ顔をして立ち並んでいます。
アントンはそっと子ども達に目配せを送り、解散を指示しました。子ども達は一斉に道の反対側へ駆け出して行きます。
「……倉庫の作業が終わったから……休憩時間を自由に過ごしていただけだよ」
アントンは諦めきった微笑みを父アリに向けながら説明します。でも父アリも兵隊アリも怒った顔のままです。
「アントン……お前のたわ言はもう聞き 飽きた! 休憩時間ってのは次の仕事のために身体を休める大事な仕事なんだと教えただろ! 一体……何度言えば分かるんだ!」
父アリは急にアントンに向かって駆け寄ると、激しく 殴りつけました。アントンは頭を抱えて地面に 突っ伏し、父アリからの 殴打を受け続けます。
「あの!……ダメ虫の!……せいで!……お前まで!……こんな怠け者に!……父ちゃん!……情けなくって!……涙が出てくらぁ!」
アントンを散々殴りつけた父アリは、ゼェゼェ息を切らしながらようやく離れました。代わりに兵隊アリが3匹近づいてきます。
「巣穴の決まりだ。働きアリが働かなくなれば、この巣全体に悪影響が及ぶ。何度となく忠告は与えて来たぞ、アントン。さあ、立て!」
アントンは広場へ連れ出され、台の上に 膝立ちにさせられました。
「全員注目せよ! 今から 裁きを行う!」
広場に人々が集まります。
「アントンはこの巣穴のルールを守らず、成すべき働きを 怠り、何の役にも立たない自分勝手な 趣味に時間を浪費して来た! これは女王に対する大罪であるだけでなく、巣穴全体の生産性に悪影響を及ぼす罪である! これまでアントンには 外勤を禁じ、我々の監督下で 内勤従事を指導してきたが……心を改めて労働に専念することを今日も怠った。よって、巣穴からの追放に関し賛否を問う!」
人々はザワザワと互いに意見を交わし合っています。父アリから受けた暴力で顔中が 腫れ上がってしまっているアントンは、 狭くなった視野で人々の顔を見渡しました。
怒っている人、馬鹿にしている人、気持ち悪いものを見るような目、ニヤニヤとした顔……。でも何匹かは 哀れみや悲しみの目で見つめています。
みんな……僕という演者の演奏を聞いてくれる大切なお客さん……
「何か弁明は無いのか!」
誰かが声を張り上げました。兵隊アリはアントンに顔を向け、目配せで自己弁明を 促します。
「アントン! みんなに謝りなさい!」
騒ぎを聞きつけ広場に来ていた母アリの声が響く中、アントンは台の上に立ち上がりました。
「僕は……働くことは好きです……。大切なことだと思います……」
アントンが口を開いた事で、広場のザワつきが収まっていきます。
「生きていくために……働かないと……食べものがいつか無くなってしまいます……。だから働きます……。でも……働くために食べ……食べるために働いて……生きるために働いて……でもそれだけじゃ……何のために生きてるんだろうって……」
タン……タン……
アントンは軽く足を鳴らしました。
「……そんな想いを……このステップに乗せて……」
アントンのステップは台に反響し、軽快なリズムが広場に鳴り響きます。手拍子を合わせステップを 刻み、アントンは自分の心の中にある怒りと悲しみ、疑問と 葛藤を全身を使って奏で始めました。
あまりにも 唐突に始まった、全身全霊で鳴り響かせるアントンの「 音色」に、広場にいた誰もが言葉を失ってしまいます。
……タンッ! タン!
最後のステップを踏み終わりました。拍手も 罵声も起こりません。ただ、 静寂だけが広場を包んでいました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあな! お疲れ!」
機材を片付け終わったカナブンが練習場から出て行きました。ギリィとリンは曲合わせを振り返りながら、演奏の構成を考え直したり予定の確認をしています。
「ちょっと2人とも!」
出て行ったばかりのカナブンが、 慌てふためきながら戻って来ました。
「どしたよブンさん? 忘れものか?」
「なぁにブンさん……」
顔を上げて反応した2人はブンの背に負われている人影に気付き、慌てて駆け寄ります。
「今、おもてに出たらよ……。コイツが倒れてたもんでさ……」
「ちょ……っとぉ……アントン? アントン! どうしたの!?」
「おいアリん子! テメェ……一体どうして……」
カナブンに背負われ運ばれて来たのがアントンだとすぐに分かったギリィとリンでしたが、傷だらけのアントンの姿を見て理由が分からず困惑しています。
その騒ぎに気が付いたアントンは顔を上げ、腫れ上がった顔で2人を見ると、精一杯の笑顔を浮かべて言いました。
「え……へへっ……ただ……いま……」
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