第7話 演奏家

1/1
前へ
/18ページ
次へ

第7話 演奏家

「アントン! こっちよ!」  息を切らしながら、アントンはリンの後を追って走り続けました。 446d2ca9-1b01-48e9-b5e8-bd6a691582c6 「待てー!」  黒アリはしつこく追いかけて来るようです。2人は黒アリから姿を隠すように、右へ左へと移動しました。しばらく先に積み重なった石の 洞窟(どうくつ)を見つけた2人は、急いでその中へ隠れます。 「ハァハァ……しつこい……男ね……」  小声でリンが (ささや)きました。アントンは恐怖と疲れで、身体がガタガタ震えています。 「こっちにおいで……」  リンはアントンを優しく自分の(そば)に抱き寄せました。アントンはしばらくリンの胸の中で目を閉じ、息を整え直します。すると少しずつ、恐怖が薄れていきました。 「……リンさんとギリィさんは……恋人同士なんですか?」  呼吸と気持ちが落ち着いて来たアントンは、ふと視線が合ったリンに尋ねました。リンは一瞬驚いた表情を見せましたが、すぐに「クククッ……」と笑います。 「んなわけ無いでしょ? だぁれがあんな奴と……」 「じゃあ……なんで一緒にいるんですか?」  リンは微笑みながら口を閉ざしました。アントンは、自分が変な質問をしてしまったからだと思い「ごめんなさい……」と (つぶや)き顔を ()せます。なんだか、お話が出来ない雰囲気になってしまいました。 「……アイツの生き方が……気になってさ……」  しばらくの沈黙の後、急にリンが口を開きました。 「え?……生き方……」 「あたしはさ……」  リンは思いがまとまったように言葉を続けます。 「アイツのバイオリンが好きなんだ……。 (はかな)い命のキリギリスが (たましい)の叫びを……思いを込めて (かな)でるアイツの曲がさ……。初めて聞いた時に感動したんだ。で、アタシもアイツみたいな演奏家になりたいって思ってね。でも……演奏家になれるのは男だけだって……みんなに止められたり馬鹿にされたりしてさ……。それで仲間たちから離れてアイツんとこに行ったんだ」 「演奏家なんですか? リンさんも」  アントンは興味深そうに尋ねました。しかしリンは (さみ)しそうに微笑みながら首を横に振って答えます。 「鈴虫もコオロギもキリギリスも……演奏家になれるのは男だけだって昔から決まってるからねぇ……。女の演奏家なんか誰も興味が無いんだってさ……アイツ以外」 「……ギリィさん?」 「そ……。散々周りから反対され、馬鹿にされながらアイツんとこに行ったよ。……あたしにバイオリンを教えて欲しいってね。正直……アイツからも断られたら (あきら)めようと思ってたんだ……。でもアイツは大笑いしながらさ……『よし! 一緒にやろうぜ!』って受け入れてくれた……」  リンは嬉しそうに笑みを浮かべました。 「……アイツはあたしの思いを受け止めてくれた……無理だとか不可能だとか言わずにね……」  そう言うと、リンは自分のバイオリンをケースから取り出しました。 「これ……アイツからもらったんだ。練習用のをね……」  リンはバイオリンを (うれ)しそうに見つめながら言いました。 d89b1e29-0a5e-4c6d-a6b4-85c4444599ef 「でもさ……いざやり始めて見ると…… (むずか)しいんだわ、これが! アイツも演奏は上手だけど、人に教えるのは全然下手クソでさ!……まだまともな音出しも出来てないんだよねぇ……」  残念そうに言いながらも楽しそうな笑顔を見せ、リンはバイオリンをケースに戻しました。 「やっぱり女のあたしには無理なのかも……なんて思う日もあるんだよね……実際さぁ……。でも、そんな時にいつもアイツは楽しそうに言うんだ。『お前が納得出来るまでやれば良いよ』ってね。で、その度に自分が納得出来てるだろうかって考えると……まだやりたいって気持ちの方が強いって気づくんだ。……アイツみたいな演奏家に絶対になってやるって気持ちにね」  リンはバイオリンケースを手で優しく ()でました。 「ギリィはさ……とにかく毎日楽しそうに過ごしてるだろ? あたしみたいに悩んだり苦しんだり悲しんだりせずにさ……。その生き方が気になってね……。アイツみたいに生きられるようになれば……あたしもアイツみたいな演奏家になれるんじゃないかって……だからそばにいるんだよ。どうせ教えちゃくれないからさ……見ながら (ぬす)んでやろうって思ってね」 「そうなんですか……」  アントンは何となくリンの気持ちが分かるような気がしました。それが 何故(なぜ)かは分かりませんが……ギリィから感じる「特別な楽しさ」を、自分も手に入れたいという気持ちになっていました。 「さて……あの黒アリはまだしつこくあたしらを (さが)してんのかねぇ……」  リンは 洞窟(どうくつ)からソッと顔を(のぞ)かせ、外の様子(ようす)を探ります。その時、静かなバイオリンの音色が風に乗って聞こえて来ました。 「あっ……ギリィさんの……」  アントンも穴から顔をのぞかせます。リンは穴の外に出ると、急いでケースからバイオリンを取り出し弓を弦に当てました。  ギーコ……ギコギー 「うわっ!」   唐突(とうとつ)に鳴り出した異音にアントンは驚き、急いで耳を (ふさ)ぎました。 「あら? 今日は良い音が出たわ……」  リンは「音が出た」ことに 御満悦(ごまんえつ)な様子です。しばらくすると草の上からギリィが跳び降りてきました。 「よぉリン! お前の『声』、今日は良い調子じゃねぇか!」 「あいつらは?」  ギリィからの評価には特に応じず、リンは黒アリたちの動向を尋ねます。 「お前らを追いかけてたヤツは向こうでノビてる。最初の2匹は仲間んとこまで帰ってったみてぇだな」 「もう1匹は?」  バイオリンをケースにしまいながら確認したリンの質問に、ギリィは言葉を選ぶようにしばらく間を置き答えました。 「……大事な『お客さん』を……1人失っちまったよ」  リンはギリィの羽にそっと手を ()せ、優しく()でます。 「……そう……残念ね……」 「あの……大丈夫ですか?」  2人のやり取りを聞いていたアントンが声をかけました。2人はアントンの存在を思い出してハッとすると、取り (つくろ)うように笑顔を浮かべます。 「ま、何だな……。とにかく早いとこ移動しちまおうぜ! まだここいらは奴らの縄張りだろうからよ!」  ギリィの呼びかけにリンも同調すると、アントンのそばに来て手を握りました。 「さっきの川には戻れないし……しばらくはあたし達と一緒においで!」  3人は黒アリ達の縄張りとは反対方向に向かい、急いでその場所から離れて行きました。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加