ふうふ、ふうふ。

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 ***  エツコ先生は語った。  旦那さんと出会ったのは、婚活パーティでのことだったと。  優しくて、エリートサラリーマンで。教師と言うエツコ先生の仕事にも理解を持ってくれて。この人しかいない、と彼女はそう確信したらしい。彼ならば、両親もきっと納得して結婚を許してくれるだろうと。 『夫婦になると宣言したけど、実はまだ婚姻届けは出していなくて。その、お父様とお母様への挨拶がね』  彼女は困ったように笑って言ったのだった。 『大丈夫だとは確信しているわ。二人とも、何年も何年も私に結婚しろ、早く孫の顔を見せろと五月蝿かったし。それでも、愛する人との結婚を否定されたらどうしようって気持ちはあるでしょ?……けれど今日、二人が来てくれて確信したわ。あの人は子供も大好きだし、二人にもとっても親切に接してくれた。将来家族が増えても、きっとうまくやっていけるはずよ』  心から幸せそうな彼女に、僕は何と言えば良かったのだろう。美味しいはずのケーキとクッキーも、正直味がわからなかった。大好きなエツコ先生がおかしくなってしまったとしか思えず、怖いのと悲しいのとで心がぐちゃぐちゃだったからだ。  そして。  家に帰った後で兄ちゃんが僕に告げたのだった――今日見たことは誰にも話すなよ、と。 「エツコ先生が、お人形を旦那さんだと思ってるってこと?でも、先生が心の病気なら、ちゃんと治療してもらわないといけないんじゃないの?」 「そうとも言い切れないから問題なんだ」  心なしか、兄ちゃんの顔は青かった。 「俺さ。アパートの部屋の入口で……中から話し声が聞こえてくるのを聞いてるんだ。明らかに、男の声が聞こえてたんだよ」 「お、男って……まさか」 「中に入ったらもっとはっきり聞こえるようになった。間違いなく、あのぬいぐるみから聞こえてたんだ。けど、エツコ先生の呼びかけとはまったくかみ合ってなくてさ。ずっと同じことをぶつぶつ呟いてるんだよ。なんて言ってたと思う?」  嫌な予感しかしない。それでも僕は尋ねてしまっていた。なんて言っていたの?と。  すると。 「“出してくれ、ここから出してくれ。狭い、暗い。出してくれ、出してくれ、出してくれ”。……なあ、どういう意味だと思う?」  結局。  僕達は、先生の旦那さんについて、誰かに話すことはなかった。エツコ先生はそのすぐあと、寿退社ということで教師をやめてしまい、その後どうなったのかはわからない。アパートの場所は知っていたものの、正直二度と近づきたいとは思えなかった。  あれは、先生がおかしくなってしまったせいなのか。それとも兄ちゃんがおかしかったのか。  もしくはどっちもおかしくなったわけではなくて、本当にあの人形に何かが憑りついていたのか。  真相は僕が大人になった今でも、闇の中に葬られたままである。
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