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こんな体だからこそ
俺を殺そうと軍人たちが動いているという事は、体育倉庫に俺の死体がなければ、絶対に俺の捜索が為されている筈だという事だ。
プールのポンプ室の重いドアが金属音を立てながら開く。
俺が隠れていた室内にぱっと明りを灯った。
「あ、つ」
光を浴びるや俺の皮膚は刺すような痛みを感じ、俺は光が当たらない所、機械の影、普通だったら自分が絶対に潜り込まない蜘蛛の巣も張っているじめっとした狭い空間に逃げ込んだ。
情けないと再び涙を流しながら。
しかし、追手の姿に脅えてもいた俺でもある。
入って来た奴らを確認しなければと咄嗟に周囲を見回して、俺が逃げ込んだ隙間に落とし物らしいコンパクトを見つけた。
「都合がいいな。嬉しい限り」
鏡を使ってドア方向を映したが、脅えていた自分こそ情けないほどだった。
いや、俺の生死が軍部にはそれ程重要ではなかった、と知ったがっかり感か?
あの紫色の目をした男の姿が現れるかと思ったが、室内に入って来たのはドレスを着た女とタキシード姿の男の二人であったのである。
パーティを抜け出していけないことをこんな場所でおっぱじめようというのかと、ウンザリしながら奴らをさらに伺えば、鏡に映る奴らの身体からは紺色の湯気が立ち昇っているではないか。
「……じょは、……ぜめ」
「まじょは……、みず……ぜめ」
確実に操られている男と女は、のそのそと歩きながらプールの給水バルブへと進んでいく。
ここのプールはナイマンが殺されて以来、立ち入り禁止の上、完全排水していたはずじゃないか?
「魔女は、水責め?」
誰かが殺される?
俺は立ち上がらねばとコンパクトを片付けようとして、コンパクトに映り込んだ自分の姿を見返していた。
俺じゃない俺がそこに映る。
ピンクのトゲだらけのブタ人間でもない俺だ。
日に焼けて殆ど褐色な肌に、色が抜けて白っぽくなった金色の髪に青い瞳というハンサムだが、そんな軽薄そうな色合いの組み合わせのくせに、真面目で純朴そうな雰囲気しか感じられないという青年が俺を見ているのである。
俺と彼の目が合うや、鏡の中は違う映像となった。
椅子に縛られたセリアがプールの底に沈んでいる映像だ。
きゅ、きゅ。
固く締まったバルブが動き出す音にハッとする。
「まーじょはみずぜめ」
「まじょはみずぜめ」
あのカップルは操られていて、操られながらバルブを開け始めている?
コンパクトの鏡に映るセリアの死に、今の状況の、奴らがやっている事の意味を俺は完全に理解させられたと言っていいだろう。
駄目押しの様にして、俺の耳に、いや、直接に頭に、男の声が囁いた。
「とめてくれ」
「頑張るよ」
俺はコンパクトを閉じると、それをズボンの尻ポケットに入れた。
そして、痛みに歯を食いしばりながらのそのそと立ち上がり、バルブを開け始めている男女に向かっていた。
「鏡を、鏡を向けろ」
「わかった。絶対に助ける」
誰が処刑されかけているのか分からないが、あの男の望みを叶えることは俺が罪悪感を持っているセリアへの贖罪になる気がしたのだ。
「……ま、じょは……」
「こっちを向け、お前ら!」
操られていた男女は俺に一斉に向き直り、するとぼふっという風に紺色の煙を体から一気に吐き出した。
「だい、大丈夫か、お前ら?」
「うわ!化け物!」
「きゃあ!何これ!どうしてこんな場所に!」
二人は俺の姿に悲鳴を上げるや、自分達がしていたバルブの開放など忘れて、一心不乱になって逃げ出して行った。
俺は急いでバルブに駆け付け、それを固く閉めた。
がちゅんと、金属がねじれて工事しないと開かないぐらいにもなった事に驚いたが、こんな馬鹿力が出るとは俺は本気で化け物に変化していたらしい。
「さあ、行くぞ。化け物でも、正義の味方をやってやる。ミュゼに会えた時には、せめて彼女の瞳を真っ直ぐに見つめられるようにしていたい」
今後は二度と彼女を抱きしめられない、彼女に名乗れない未来ならば、俺はせめて彼女から目を背けずに済む生き方をしていこうと誓った。
いや、そんな御大層なものじゃない。
動くたびに体中の皮膚が剥げそうなこの痛み、正義を行いながら痛みで死ねれば、こんな姿で生き延びるよりも良いだろうとそれだけだったんじゃないのか?
あの男の望みは、痛みの中で一歩を踏み出す燃料でしか無かったのでは?
苦しい息を吐きながら、ふとすれば弱まる気力を奮い立たせながら、俺はプール場へ出るコンクリートの廊下をのそのそと歩き出していた。
ああ、痛い、苦しい。
だが、助けねば!!
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