別れを前に

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別れを前に

 エルヴァイラが訪れた翌日に、病院の上空で大きなプロペラの音がした。  私のベッドで私の左膝を枕にして転がっていたハルトは、そのプロペラの音に目を輝かせるや飛び起き、窓の方へとすっ飛んでいった。 「N-23だ!ミュゼ!六人乗りのプロペラ機だよ。親父の会社の最新型で、俺が知っているのは試作機だけだ。うわあ、病院の駐車場に着陸しようとしている」  彼は再び私のもとに戻って来ると、有無を言わさずに私を抱き上げて窓辺へと連れて行った。 「ほら、見える?もう着陸しちゃったけど」  銀色に輝く機体はかなり大きく、翼もあるために病院の駐車場の殆どを占領してしまっているように見えた。 「見えるわ。プロペラだけじゃなくて翼もあるのね。ホバリングも出来て普通の飛行機みたいにスピードのある飛行もしてしまうのかしら?」 「すごい!君は飛行機の話も出来るんだ!」  私は最高の笑顔を見せたハルトに微笑んで見せた。  前世世界では複合ヘリコプターが存在していたから知っていた、とは、目の前の飛行機を自分の会社の最新機だと喜ぶ恋人に伝えるべきことではない。  だから、私からすぐに目を逸らして駐車場に舞い降りた機体を夢中で眺めているハルトみたいにして、私も飛行機に視線を動かした。  飛行機の扉?が開いて、中から数人の男性が次々に降りてきている。  三人目に降りて来た黒髪の体格の良い成人男性、ここからじゃ顔形も分からないが、彼だけスーツの色が他の人よりも淡く細身な事と彼が一番偉い人みたいだということは遠目でも良く分かった。  彼の先に降りていた二名が彼の横に立ち、彼の後から降りて来た一名が彼の真後ろを守るようにして立ったのだ。 「ハルト、あなたは駐車場に行っていいのよ。あなたが好きな飛行機が直ぐ近くにあるなんて滅多にない事でしょう」 「いや。俺は出来る限りミュゼの傍にいたいからここがいい。親父が来たんだ。明日には予定通りに退院した俺は実家に帰ることになるだろう」  私は私を抱くハルトの肩に頭を乗せた。  今日までの恋人か、と。  私達は愛し合っているけれども、夏休みに入ったハルトは実家に帰り、私はあと三週間この病院に滞在した後、隣町に引っ越すのだ。  ジュールズは私への失恋として、首都のハルヴァート大の医学部へ進学する事を決めた。 「ヒヨコがミュゼをダシにして夢を叶えやがった」  ハルトはそう言って笑った。  そして、私のせいどころか私のお陰でジュールズが夢を追えるのだから、私に胸を張れと言ってくれた。  彼は知っているのだ。  親族の星であるジュールズが、医者になることでこのスーハーバーに戻って来なくなるという失望、これが全部私のせいだと親族に恨まれてしまったのだということを。  だから私は隣町に行くのだ。  この町に戻って来れるのは、ジュールズがこの町に戻って来れたその時だ。  単にジュールズが忙しくて帰郷出来ないだけでも、私がいるからジュールズが帰って来れない、という非難を受けるのは確実なのである。 「一緒に首都に行こうか?親父が懇意にしている病院もある。転院しちゃおうか?そうしたら夏中は俺達は一緒だ」  私は答えずにハルトの肩に顔を擦り付けた。  涙も擦りつけてごめんなさい。 「……行けないわ」 「わかっている。でもさ、俺達はこれで終わりじゃないよね」  ハルトの声に不安が見えて、私はそれだけで幸せになった。  彼も私と同じ離れがたい気持ちを持っていて、この先に私達が別れる事になるかも、という不安を抱いていたのだ。  私はハルトの肩から顔をあげると、別れたらしばらくは見ることが出来なくなる愛しい男性の顔、たった一か月でなんだか少しだけ大人びて見える、ハルトムート・ロランを見返した。  ダークグリーンの瞳は私しか見ておらず、その瞳は別れる事を考えて私と同じようにして涙で潤んでいる。 「私の気持ちは終わらないわ。私はあなたを愛している、もの」  彼の顔が私に下がって来た。  私は形の良い彼の唇を自分の唇に感じた。 「愛している、ハハ、君が大怪我していて良かった。君が元気だったら、俺は」  彼が飲み込んだ彼が先に続けたかった言葉が何か、同じ気持ちの私にはしっかりとわかっていた。  だから、ギブスでうまく使えない右手の代りに左腕でも彼をしっかりと抱きしめ、彼の耳元に囁いた。 「いつだって、私はあなたに全部あげたい」  私は強くハルトに抱き上げ直された。  窓は遠ざかり、すぐに背中に病院の固いベッドを感じた。  私の視界には、病院の天井を背景にした愛すべき男性の顔しかない。  私は目を瞑る。  彼の唇が私の唇を塞ぐ。  彼の舌は私の口の中を蹂躙し、なんと、恐る恐るだけど、彼の手が初めて私の胸に触れてきた。  電気に痺れた様にして私の身体はびくりとし、そのせいで彼の手は直ぐに引っ込められ、キスさえも終わってしまった。 「ごめん」  胸の先が熱い。  唇も彼を求めている。  私こそ彼を感じたい。  明日お別れだってわかっているの?私!!  私はパジャマのボタンを二つ外した。  ハルトの両目はボタンのように真ん丸になり、それから、おそるおそると私が開けた胸元へと右手の指先をほんの少しだけ滑り込ませた。  肌に感じる優しいがぎこちない動きの指先。  再び蹂躙される私の唇。  しかし、駐車場で起きたクラクションの音に、ハルトも私も飛び上がり、自分達が何をしていたのか思い出して真っ赤になった。 「ごめん」 「ハルトは悪くない。私がして欲しかった、から」 「ミュゼ。そんな事を言っちゃだめだ。俺が止まらなくなる。親父や看護師がもうすぐ来るじゃないか」  ハルトの指は私の胸元から抜かれ、私のパジャマのボタンは彼の手によって再び閉じられた。  彼は最初から締めてもいなかった一番上のボタンさえもきゅっと止めて、そして私の唇にキスをした。  軽い軽いものを。 「夜、来てもいいかな」  喪女だった自分が悪女の様にして答えていた。 「待っているわ」
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