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親父
俺は親父の来訪に感謝とウンザリを抱いていた。
感謝は勿論、親父の来訪によって俺とミュゼは今後を話し合う事になり、まあ、今後というか別れないぞという意思確認だけだったが、その意思確認により俺とミュゼは関係を一歩先に進める意思確認までしちゃえたのだ。
今夜、今夜、だ。
そして、今日しか俺とミュゼは残されていないというのに、親父は俺を今日退院させてシロナガス亭で家族水入らずをしたいという寝言を言い出したのである。
「却下」
「お前な、数か月ぶりのお父さんだろ?」
俺よりも体格が良く、俺よりも数段外見の良い、経済界でも社交界でも貴公子と持て囃されているが、年齢的にはしっかり中年である。そんな父は息子である俺の返答を聞くや、まっすぐな鼻梁や秀でた額など台無しにするぐらいに、彫りの深い目元を情けなく下げた。
ちくしょう、かえっていい男になるなんて!!
俺の親父、カーティス・ロラン様は、四十をとうに過ぎている癖に白髪が一本もない真っ黒な髪に、サファイヤの様な真っ青の瞳という美男子だ。
愛妻ノエミを愛しすぎ、その息子も目にいれても痛くないぐらいに愛してくれるのはありがたいが、彼の中で俺はいつまでも五歳児程度らしく、十六歳の俺は彼の重すぎる愛情にウンザリすることがしばしばだ。
「シロナガス亭は親父一人で泊ってくれ。あそこは飯も部屋も最高だって事は折り紙付きだ。だけどね、そこを経営している一族の娘と俺が恋仲になっちゃった面倒があるからさ、俺はその宿に泊まれない」
「わーお。じゃあ、俺も泊まれなくないか?」
「いや。外見的には俺と親父は似ていないし、金持ちの親父こそシロナガス亭に泊まって金を使ってくれ。あの男が一族の長の息子の婚約者を奪ってくれたから大きな金が入る、となった方が俺とミュゼの風当たりが弱くなる」
親父は情けない顔をさらに歪めて俺を見返した。
今度は虫けらを見るような目だ。
「何?」
「いや。君は今までは俺の金の事気にしなかったじゃないか。それどころか、俺の金があることを吹聴する事も無かっただろ。いやいや、俺が君のお父さんだよって、外見が似ていないことを良い事に内緒にもしていただろうが!俺の知り合いの奴の子弟ばかりの私立学校じゃあバレバレなのにさ!それが金金金とはどういうことだ!君は騙されているのか!」
「うっさいな!俺は今のところ、持てる全てを使ってもな、あいつを幸せにして俺に引き止めておきたいんだよ!」
そこで親父はうーんと唸ると、俺のベッドに転がった。
肋骨を折る怪我をしている息子が見舞客用のパイプ椅子で、どうして元気な見舞客が俺のベッドを占領しているのだろう?
「何?」
「いや。恋したら盲目って言うけどさあ。お父さんはね、もうちょっと違う子が良かったかなあ、なんてさ。あ、そうだ。おい、フォード、見舞いの花」
フォードと呼ばれたのは壁際にいた薄茶色の髪をした護衛の一人だが、彼は親父の護衛が長いので少々ぞんざいな素振りで花瓶の花を指し示した。
俺の母方の伯父さんなくせに、仕事中は全くそんな素振りを見せはしない。
俺が唇を尖らせると、フォードは気安そうにウィンクして返した。
わざと仕事モードで俺を揶揄っていた?
「ふぉ――」
「花瓶に移してございます」
「いや、見りゃわかるし。フォードありがとう。親父が息子に花を持ってくるなんて、それもバラをって、ちょっとキモイけどね。親父もありがとう」
「え、何を言ってんの?君の恋人でしょう?はきはきして元気ないい子そうだけどさ。美人だし。でもね、俺の趣味じゃないなあ」
俺は首の骨が折れるぐらいの勢いでベッドの上の親父を見返し、ストーカーな女に騙されたらしき男に叫んでいた。
「違うって!俺のミュゼはそいつじゃないよ!」
親父はがばっと身を起こすと、父親らしい怒声を上げた。
「お前は!女の子を何人も誑かしていたのか!」
「違うって!親父だって無駄にモテて来ただろ。勘違いで恋人だって騒ぐ女もいっぱいいただろ。わかってよ!俺が好きなのはミュゼ一人なの!」
「じゃあ、今すぐに紹介してよ!」
「あ」
満面の笑みの親父は最初から分かっていたなと気が付いた。
奴は普通に自分がミュゼに会いに行こうとすれば俺が止めると、そこを見越してこんな茶番を延々としていたのかと歯噛みした。
そうだ、大金持ちの男じゃないか。
ここに来る前に俺の恋人の身辺調査ぐらいしていたはずだ。
「普通に会いたいってどうして言わない?」
「いやだってさ、親が息子の恋人に会うって、結婚とかそういう約束を見てのご挨拶になっちゃうじゃないのさ」
俺は俺の気持ちを考えてのその台詞なのか、本気でそう考えているのか判断がつかないと思いながら親父を眇め見た。
俺は俺を好きだと告白してきて付き合ったばかりの女の子達が、親父に挨拶するや次々に奴に陥落して俺を振るを経験をして来ているのであり、親父当人こそ息子のその不幸を知っているのである。
「いや、だからさ、君のぞっこん具合を見てだな、俺が挨拶するかどうか考えていたのさ。写真は可愛かったから、あの、会いたいなって。つ、付け髭も持ってきた!それなら変な親父で済むんじゃないか?」
俺は椅子を立って親父へと近づくと、彼に手を差し出していた。
親父は嬉しそうに俺の手を握って握手してきたが、俺はその手をすぐに振りほどいて親父の手を叩いていた。
「ハルト!」
「写真をくれって奴だよ。そういえば俺はミュゼの写真を持ってなかった」
「あ、ああ。じゃあ挨拶行こうよ?君達二人の写真を撮ってあげるよ。ほい、カメラ担当!」
壁際に並んだ護衛の一人、フォードともう一人よりも年数が浅いが、それでも見覚えのありすぎるダイスラーが、小型のカメラをスーツのポケットから出して俺に翳して見せた。
俺は直ぐにベッドに放ってあったガウンを羽織ると、親父に見えるようにして顎をしゃくった。
「行くぞ。鼻血を出すなよ。ミュゼはめちゃくちゃ可愛いんだ」
俺が病室の扉に向かうと、壁に並んでいた護衛官達が噴き出した。
そして、フォードではないがやっぱり我が家で長いダッチが、ほんの少しだけ体を傾けて俺の耳に囁いた。
「ゴムありますよ」
いつもはこの手のからかいに俺は真っ赤になって奴を罵倒していたが、今日の俺はすまし顔でダッチに手を差し出していた。
だって、今夜、だ。
彼が本当に渡してくるとは思わなかったが!
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