予定は未定となるのが定め

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予定は未定となるのが定め

 ハルトは父親が来たからと自分の病室に戻った。  今夜だと言いながら、彼は何度私に口づけたのだろう。  私は午前中のほんの少しの間だけで、昨日一日よりもキスされて腫れぼったくなった唇に手を当てた。 「ふふ。あんなにキス魔だなんて。ハルトに関しては知らないことばかりだわ」 「君は子供のくせに、時々年配女性の様な言い方をするね」  私は病室の戸口を見返した。  そして、ナースコールを急いで押そうと手を伸ばした。 「押しても誰も来ない。そういう仕込みだ」  紫がかった灰色の髪をした軍服姿の男は、ハルトの仮面を脱いだ方が容姿端麗という彼自身の顔で、私に対して妖艶に笑って見せた。  彼の両手には可愛らしい花のアレンジメントが色を添えていたが、この恐ろしい男にしては子供っぽい花の選択だなと思った。  五本のピンクのスプレーバラを中心にパステルカラーの小花で盛り立てた小さなブーケみたいなアレンジメントは、彼が纏う真っ黒いスーツには全くそぐわない為に尚更に幼く見えるのである。  そして、私が何も返さないことなど全く意に返さずに、彼は作り笑顔のまま真っ直ぐに私の方へと革靴の音を立てながら向かって来た。  私は彼を睨みつけるしか出来ない。  叫び声をあげたそこで、叫び声どころか息の根を止められることだろう。 「気丈だね。俺はそういう芯の強い子が好きだ。エルヴァイラにそこは見習わせたいね」 「あなた方はエルヴァイラにはとてもお優しいようね。ジュリアという護衛までつけて、彼女が傷つかないように守っている。その優しさを他の魔法特待生に見せて欲しかったわ。そうしたら悲劇は起こらなかったのでは無くて?」 「ごめんねぇ。俺達が無能なばっかりで」  彼は手に持っていたアレンジメントを、ベッドサイドテーブルに置いた。 「君への謝罪だ。あと、お見舞いかな」 「ありがとうございます。気にしていないので、以後、気になさらなくて結構です。どうしてもと、おっしゃるなら。ええ、今度こそハルトやダレン、そしてニッケを守って下さる?私は彼らがいない世界を考える事が出来ないわ」 「考えるべきだよ」 「え?」  ショーン・アストルフォは今度こそ彼自身の笑顔を顔に浮かべた。  猫が獲物を見つけた様な笑顔だ。  その上、そんな怖い男は、ハルトがするようにして気軽に私のベッドに腰かけもしたのである。  ハルトが覆いかぶさっても私は怖くない。  それどころか、私はハルトに覆いかぶさられる事を望んでいたりもする。  今夜、とか。  でも、アストルフォにそんな事をされたいどころか、されたらどうしようと、彼の纏う威圧感だけで完全に脅えてしまっていた。  ごくんと唾を飲んでしまった。  すると、アストルフォは喉を鳴らして笑い出した。 「ああ、良かった。俺に怖がってくれている」 「ええ、怖いです。座りたいならパイプ椅子にして下さる?」 「いやだ。俺も経験したいんだよ。何も経験することなく軍部に上がったからね。君達みたいな青春を少しぐらい小分けして欲しくなる。今夜、いいかな、なんてさ、甘酸っぱくて最高だと思わないか?」 「盗み聞いていたの?」  アストルフォは私に向かって手を伸ばし、私は反射的にその手を避けた。  そう、身を屈めたのだ。  しかし、その私の動きこそ想定内なのか、身を丸めた私を彼は抱き寄せた。 「ああ、可愛かった。いつだって全部あげるは、男泣かせだよ。俺こそ君が可愛くなった。だからね、君を俺の監視対象にしてあげるよ」  私は咄嗟にアストルフォを突き飛ばしていた。  それから、彼等が盗み聞けるような機具、それを探すために自分のベッドの上部の敷き布団を捲った。  何もない、いや、なんか小さなウズラの卵が落ちてた。  時々ハルトは食べ物で遊ぶから落ちたのかしら?  取りあえず卵は拾ってサイドテーブルに置いた。  探すべきは盗聴器である。 「ははは。君は本当に賢いね。俺の言葉で盗聴器探しか。そんな君には、ご褒美として回答を教えてあげよう。ベッドの下だ。ベッドの裏っかわ。ハハハ単純すぎてびっくり?意外とこういう誰もが考える場所こそ見つからないんだよ」  彼は笑い声で私に説明しながら、私が転がした卵を掴むと、それを私宛のアレンジメントの真ん中にねじ込んだ。  アレンジメントに喜ばなかった嫌がらせ? 「えっと、あの、お見舞いは感謝します。それで、私は隣町に引っ越しますから、あなたのご厚意は不要だと思います、けど」 「いや。君は隣町なんかに引越ししない。俺の愛人も嫌だと言うし、ふう、俺はしたくもない事を君に施すしかないようだ」 「わた、私を殺すの?」 「うーん、君が可愛くて悩んでいるから、運命方式にした」 「運命方式?」 「強い魔法を受けると人は死んじゃうけど、死なずに能力を開花することもあるんだ。だから、死ぬか生きるか君の運命次第って方法をね」 「死ななかったら、魔法が開花、するの?」 「そう。一番の例がアーサーのママさんだね。息子を殺した後に彼女こそ自殺するはずだったのに、あーんな怖い連続殺人犯になってしまった。君はそうはならないでね」  アストルフォの右手の指先には、白く輝く渦がグルグルと回っていた。  ところどころに真珠が嵌った金の鎖のように、美しくグルグルグルグルと回っているのだ。 「すごい。これが見えている?うわお!これは意外と確率高いかもね」 「いや、まって」    私は悲鳴を上げて逃げ出すべきだ。  けれど、グルグル回る白い渦から目が離せなくなっていた。  いいえ、これこそが私の動きを封じる魔法なのかもしれない。 「さあ、生き延びたければ俺から逃げろ。遠くへ、遠くへと、だ」 「か、は」  私はアストルフォの輝く右手によって喉を締められ、そのままベッドにめり込むぐらいにして体を沈められていた。  真っ白になって行く意識の中で、アストルフォの声だけは私の意識の中に入り込んでいた。 「うさぎちゃん、頑張って逃げるんだ。正しい巣に逃げ込め。そして君は真っ赤なバラとして開花しよう」  真っ赤なバラ?  正しい巣?  真っ白な天井はどこも一緒だ。  首から下は動かない。  動かなくなった。  けれど前世で私が見て来た天井と違い、私に覆いかぶさる殺人者の顔がその風景の中心を占めている。  私を見つめる紫の目は透明で、少し、濁っていた。  それは彼が私に対して泣いていたからなのか、死んでしまう私が浮かべた涙で濁ってしまっただけなのか。  ああ、ハルト。  私は自分が死んでいく事よりも、あなたが絶望に沈む方が怖い。  ハルト。  はると。  あなたが死んでしまう巻であなたが他の巻ではなかった悲しみに沈んでいたのは、私が死んでしまったから?  私こそあなたを殺してしまうの?
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