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世界の終わり
俺と親父が護衛達を引き連れて意気揚々とミュゼの部屋に行ってみれば、そこにいるはずのミュゼはいなかった。
いや、ミュゼの存在そのものが消えていた。
ベッドは片付けられて、ミュゼの私物も、俺の私物だってそこに無かった。
廊下を歩いていた年配の看護師を捕まえれば、彼女は最初からその病室には誰もいないと言い出した。
「何を言っているの。いたでしょう。俺が何度もここに入り浸っているからって、あなた方が何度も俺を叱って追い出したでしょう」
看護師は俺よりも俺の父へと目配せして、困ったような声でもう一度言った。
「ここに患者は最初からいませんでした」
「おい、あなた!」
「救急で運ばれたその日に亡くなった方はいます。あの、ご、ご愁傷さまです」
「ふざけるな!」
俺は急いで病院を飛び出した。
ガウンを羽織っただけのパジャマ姿だろうが、肋骨に響こうが、途中でスリッパも壊れての裸足だろうが、俺は走りに走ってミュゼの家に向かった。
俺がミュゼを送り届けた事もある彼女の家に辿り着いたが、チョコレート屋の扉は固く閉ざされ、休業の札が下がっている。
張り紙だってある。
都合によりしばらく休業します?
ミュゼの親父さん達はどこに行ったんだ!!
俺は近くの公衆電話にまで走り、ガウンのポケットを探り、持っているだけの小銭を電話機のある横にぶちまけた。
首都にいるダレンに連絡するのだ。
彼の家にジュールズはいるはずで、ジュールズならばミュゼの家の事を知っているに違いないという一縷の望みだ。
「どうした?お前ももうすぐ首都だろ?うちに遊びに、……え?ジュールズ?ちょっと待って。兄さん!なんかハルトが、ねえ、兄さん!」
俺がいらいらしながら受話器を持っていると、深くて低い声が敵愾心を隠さずに俺に襲いかかる。
「てめえ。よくも俺に電話できたな」
そうだ。
彼は俺のせいで失恋した男だったんだ。
俺は息を吸い込むと、きわめて冷静な声が出るように努めた。
「ミュゼがいなくなったんだ。ミュゼのご両親も。知っている事を教えてくれ。ミュゼがどこかに消えたんだよ。病院にいないんだ。病院のやつらはミュゼが死んだなんて俺に言うんだよ!」
しかし最後には泣き声の叫び声になっていた。
だって、ミュゼがいないのだ。
朝に今夜を約束した彼女がいないのだ。
電話の向こうは俺の台詞に息を飲み、それから無言となってしまった。
俺はジュールズの答えを待ちながら、電話が切れてしまわないようにと、小銭をいくつもいくつも入れていった。
はあ。
息を吸う音に、ジュールズが泣いていたのだと俺はようやく気が付いた。
そして、信じたくもない言葉を、ミュゼが死んだという戯言をジュールズまでが出す前に、俺は電話を切ろうと受話器を戻そうとした。
「――首都に搬送されて、ミュゼはこっちにいるんじゃないか。怪我はヒーラーに直して貰えたが、あいつの意識が戻らないんだ。……いいから、早くこっちにこい。お前が呼びかけたらミュゼが目を覚ますかもしれない、だろ?」
死んでいなかったと、俺は受話器を握りしめたまま泣いていた。
受話器の中で最後の小銭の時間切れを示すブザー音が鳴ったが、俺は電話を自分で切れずにそのまま受話器を耳に当てたまましゃがみ込んでいた。
死んではいなかった。
ミュゼは死んではいなかった。
それだけは喜ばしい事だと泣いていると、俺の上に人影が落ちた。
俺を心配した父親か護衛の誰かだろうと顔を上げれば、真っ黒の軍服を着た俺を殺しかけた軍部の男だった。
奴は人差し指を自分の口元に立てて俺を黙らせてから俺に微笑むと、手に持っていた可愛らしいアレンジメントを俺に手渡した。
「何を、これは」
ピンクのバラの間にウズラの卵がねじ込まれている。
これは魔法音声収録具だと、この意味は何だとアストルフォを見上げた。
「余計なものは消した。俺達にはね。あとはあげる。君に全部」
「きさま、ら、か?」
彼はそのまま歩き去っていき、俺はそのウズラの形をした術具を耳に当てた。
「いつだって、私はあなたに全部あげたい」
俺は大きく息を吸っていた。
あいつは朝にはいたんだ。
元気な姿で笑っていたんだ。
ああ、あいつは、俺を愛したばっかりに人生を退場させられたのか。
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