第2話 ブラック精神科に勤めています

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第2話 ブラック精神科に勤めています

 やけ酒に至った(さい)たる理由は、職場の同僚の妊娠だ。  私は【クロサギ精神科病院】の院内薬局に【調剤助手(ちょうざいじょしゅ)事務員(じむいん)】として勤めている。塗り薬のラベルを作ったり等、調剤にかかる細々とした作業のお手伝い係である。  そもそも私は、この精神科の【児童のケアサービス職員】に応募したのだ。学校に通えない子供たちに勉強を教えたり、悩みの相談を受ける者である。応募要項には「心理士の資格を有する者」と書いてあった。 「貴女(あなた)は若くて、とても魅力的な人材だと思いました。けれども今回は、より経験のある心理士がいたので、選考から外すことと致しました」  電話口で人事部長にそう告げられた。心理臨床の世界は「経験」が物を言う。どれだけのクライエントと(たずさ)わってきたか、ということだ。 「貴女(あなた)がきちんと心理臨床を修学されたことはすぐに分かりました。お仕事の対象となる方々のことを、クライエントと呼びましたからね」  心理臨床では患者のことを「クライエント」と呼ぶ。これは「クライアント」が顧客(こきゃく)を意味する為、カウンセリングの世界で用いるのは相応(ふさわ)しくないという理由からだ。精神科に携わる者は「クライエント」と呼ぶかどうかで、その心理士が「本当に勉強したか」基本的レベルを見極めるのである。  ――でも、私は落選なんでしょう? 「貴女(あなた)の面接時の接遇(せつぐう)は大変穏やかで好印象でした。そこで、どうでしょう? 貴女の希望した職場ではないのですが、当院の別の部署で人員を募集しているのです」 1c0aca8a-feb0-4619-993a-217f072fcc58  それが院内薬局の調剤助手(ちょうざいじょしゅ)だったのである。  心理学を何も活かせない職種を勧められたことに抵抗はあったが「面接時の印象が大変良かった」という言葉は私の心を揺さぶった。とりあえず話だけでも聞いてみようということで、再び病院を訪れた。 「ここだけの話、貴女(あなた)が募集した【児童ケア】の枠ですが、結婚したばかりの若い方がいましてね。その方はお子様を望まれているので、()きが出来るかもしれないのです」  驚いた。落選した場所に、まだ私の希望があるのか。 「今後のことは未定ですが、()きが出来た場合には、貴女(あなた)が優先的に配属ということでどうでしょう。それまでは薬室に勤めていただく、というのは? 薬室は様々な部署と連携がありますし、先に人脈を作っておけば、他の部署に異動した時にも有利ですよ」  うまい話には裏がある。薬室に採用が決まったが、すぐに【現実】に直面した。なんと薬室にいた先輩の調剤助手も【新婚】で「子供を望んでいた」のだ。 「妊娠二ヶ月目でしたぁ~」  先輩助手の村井さんは、私が薬室に入って三ヶ月目に妊娠が分かった。これは単なる偶然だろうか。 「貴女のような独身が入るのを待っていたのよ。貴女がいれば、私は安心して子供を作れるわ」  直接そう言われたわけではないけれど、顔に本心が書いてあった。 0fc44859-69fc-4ba5-86d9-2610f26c1317波久礼(はぐれ)さんは、彼氏いないの? 結婚願望は? 早く良い人、見つけなよ。妊娠は遅くなると身体に負担だよ~」  既婚女性のマウント取りほど醜いものはない。なんでみんな同じことしか言わないのだろう。結婚したらそんなに偉いのか、子供を身ごもったら神なのか。これ見よがしに結婚指輪をこちらへ向けるの、やめろや。  ――児童ケアに異動したい。でも、お声がかからないことには。  もやもやしていると、院内でこのような会話を偶然聞いてしまった。 「そういえば、児童ケアの春川さん、妊娠したって」 「新しい人を募集するって聞いたよ」  ――私が優先的に配属じゃなかったんかい! (だま)された! くそぉ、あの人事部長!  最初から私を空き枠に入れるつもりはなかったのだ。醜い感情が生まれては爆発寸前だった。  ――いや、落ち着け。こんなことで心を乱してどうする。  自分の感情を制御できなくては心理士として形無しではないか。  ――迷った時には酒だ! 今夜は美味しいのを飲むぞ!  魚にあたったのは、想定外としか言いようがない。 「だから、この時期に生魚(なまざかな)を食べるな、って止めたのに」  外国人の幽霊は診療台に頬杖をつき、溜め息を吐いた。 【つづく】
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