『忍者』という存在

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『忍者』という存在

菜奈が働く『スーパーマーケット忍』の系列店、コンビニエンスストア『シノビーマート』。そこで店長を務めるコンガは、おもむろに口を開いた。 「鳴海さん、もうこうなった以上、諸々とご説明しなければいけないと思いますので、後程お時間頂けませんでしょうか……。」 どこまでも丁寧なゴリラ(に限りなく近い人)だなぁ、と思いながら、菜奈はそれを承諾した。正直、勤務中の今その話を全て聞くのは困難だし、そもそもこの女子高生三人組とずっと一緒にいるとなかなか色々削られる。 一旦三人を家へ返して、コンガとの面談の日程を組むと、菜奈も通常業務へ戻った。 本当はその日のうちに話を聞きたいところではあったが、いかんせん子供の迎えやらなにやらで時間をとれそうにない。考え事をしてしまいそうになるのを必死にこらえながら、業務に集中した。 店内放送で午後五時を知らせる音楽が流れ始めると、後ろに控えていた夜番のパートさんにレジを交代して、バックヤードへ駆けこむ。ここからが時間との勝負だ。一切無駄のない動きで着替えを済ませ、荷物を詰め込んだリュックを背負って退勤を切る。そのまま愛車のママチャリに跨って、保育園への道を爆走した。 「ママ―――!!!」 菜奈の顔を見るや否や、全力笑顔の龍太郎がこちらに向かって駆けてきた。あぁ、今日もなんて可愛いのだろう。仕事の疲れが全て吹き飛ぶ瞬間である。 にこやかな先生たちにバイバイと手を振ると、保育園を後にした。 「ママ、きょうね、きゅうしょくでね、えっとね、ごはんとね、あとぎゅうにゅうとね、あと、あと、えっと、ごはんと、たまごたべたの!」 「そっかぁ、ごはんと牛乳と卵かぁ~、いいなぁ~、ママも食べたかったなぁ~。」 「ままのぶんはなーーーい!」 「えぇ!?なんでー?」 「りゅうがたべちゃったからー!」 どちゃくそかわええ!と心の中で叫びながら、頬をゆるゆると緩ませつつペダルを漕ぐ。家に帰ってからは夕食の準備にお風呂、片づけ、洗濯など怒涛の家事タイムになるのだが、龍太郎のためならばどこまでも頑張れる気がした。まぁ気がしただけで、実際は一日が終わる頃にはぐったりしているのだが。 一汁三菜なんて上流貴族の戯言だ!なんて思いながら、メインのハンバーグを焼いて野菜スープを作る。お腹が空いたと騒ぐ龍太郎には薄くジャムを塗ったパンを渡してテレビをつけておいたので、しばらくは幼児番組を見ながら大人しくしていてくれるはずだ。 フライパンの火を止めて蓋をして蒸らしながらスープの味見。塩を少し足してこちらも火を止める。すると、丁度風呂が沸いたことを知らせる音楽が流れた。 「りゅうー!先にお風呂に入るよー!」 「やぁだ!まだみるぅー!」 テレビを見たいと駄々をこねる龍太郎を宥めながら、さっと風呂に入り、食事を取らせる。歯磨きを終わらせ寝室に行こうかどうかというタイミングで夫の仁が帰宅してきた。 「おかえり~。」 「ただいま。はぁ、疲れた……。」 「ぱぱー!おかえりー!りゅうね、きょうきゅうしょくぜんぶたべたよー!」 「お!全部食べたのか!えらいぞー!」 手洗いを済ませた仁は、龍太郎を抱き上げ、頭をわしわしと撫でながら寝室に向かう。こちらに向かって軽く頷いてくれたので、菜奈は化粧品の入ったボックスを掴むと脱衣所へと引っ込んだ。 すっかり乾いてしまった肌に化粧水を叩きこむ。独身のころは鏡を見ながらゆっくり優雅にコットンでお手入れしていたが、最近は両手に伸ばした化粧水をバシャバシャ塗りたくり、適当な美容液を伸ばしてクリームを乗せるのみだ。それから、八割がた乾いてしまった髪に気持ち程度のスプレートリートメントを吹きかけ、ドライヤーをかけた。 鏡の中の老け込んだ自分がこちらを見ている。脂肪と水分で膨れ切った顔、カサカサの肌、傷んだ髪。それでも、日々を懸命に生きている。自分にかける時間などない。それが母親というものだ。そう言い聞かせながら歯磨きを済ませると、仁の夕食をレンジにかけて、寝室へ駆けこんだ。 今日もまた同じような一日の筈だが、唯一違うことがあるとすれば、二時間早く店を出てシノビーマートで研修を受けて帰宅するということである。今度スーパーの駐車場で行われるイベントでシノビーマートのソフトクリーム機と同じものを使用するため、その研修というのが名目だが、実際は先日の件について話をするのが主となるだろう。 店の裏口に自転車を停めると、インターホンを鳴らして少し待つ。やや緊張した面持ちのゴリラ……いや、コンガが出てきて、スタッフルームへと通された。 まずは予定通りソフトクリーム機の研修をしてもらう。あくまでこちらがメインなので、技術を習得せずには帰れない体。幸いな事に菜奈にはセンスがあったようで、数回の練習だけでお客様に商品を提供できるレベルへと到達することが出来た。 レジを他の店員に任せ、バックルームのドアを閉める。そこには、先日の咲耶、ネム、シャオランの姿もあった。 「さて、改めまして鳴海さん、先日はご迷惑をおかけしました。」 「あ、いえいえ、そんな。迷惑というほどの事ではありません。」 「時間も惜しいので、早速説明させてください。」 そう言うと、コンガはホワイトボードに四つの円を描き、その中に『甲賀』『伊賀』『風魔』『雑賀』と書き込んだ。 「鳴海さん、今住んでいるこの『甲賀シティ』をはじめ、この辺りの都市はかつての忍者の町がその名の由来となっている事をご存じですか?」 「え、えぇ、まぁ。甲賀も伊賀も風魔も雑賀も、ゲームとかでよく出てきますよね。私は雑賀の鉄砲使いキャラが推しでした。」 「ああああああそれはちょっと色々複雑な気持ちになるので一旦置いておいて、これらの四つの忍者クランは、現在でも存在するんです。」 「……は?」 なんだか突拍子もない話になってきたが、コンガの話をまとめるとこうだ。『甲賀』『伊賀』『風魔』『雑賀』はかつてこの世の覇権をかけて争った四大クランであり、それぞれが『クリプト絵巻』と呼ばれる強大な力を持つ巻物を手にすることで、事実上の冷戦状態を続けているらしい。 世の人々はあまりに長く争いがなかったために忍者の存在そのものを忘れかけているが、実際に忍者は存在するし、最近になってその争いに火がついてきたらしい。全く持って実感の沸かない話だったが、先日見た咲耶の忍術がその話を強烈に裏付けていた。 「とりあえず、お話は分かりました。で、私にこの話をして、どうしろと言うのでしょう。私には何の力もありませんよ。」 「鳴海さん。忍者に興味ありませんか?」 「はぁ!?!?!?」 思わず変な声が出た。女子高生三人組がキラキラした目でこちらを見ている。そんな期待に満ち満ちた目でこちらを見ないでいただきたい。 「全ては明かせませんが、実はこのシノビーマートも我ら甲賀忍者の砦のひとつでして、スーパーマーケット忍も例に漏れません。」 「やっぱうちのスーパーにも甲賀の息がかかってるんですね!?」 「いや、あの、そういう言い方されちゃうとちょっと外聞が悪いというか……。」 「だって実際そうなわけでしょ?で、ただのパートにどうしろと?」 「ですから、鳴海さんが忍者の修行を受けて忍者となった暁には、スーパーマーケット忍に常駐する忍者が誕生することになるわけで、物資補給の拠点となる場所に仲間がいてくれると非常に安心なのです!」 「あぁ、あそこには甲賀忍者はいないんですか?」 「……ちょっと色々事情がありまして……。」 言葉を濁される事が多いのが非常に気になるが、それよりも、菜奈は揺れ動く自分自身に戸惑っていた。 普通に考えれば、忍者修行なんてする暇はない。龍之介のために仕事を辞め、正社員という肩書を捨て、一主婦として社会でひっそりと生きているのだ。何をどうやって時間を捻出し、何のために修行をするのか分からない。 だが、どうにも「やってみたい」という気持ちが頭をもたげてくる。こんなことは初めてだった。 「鳴海さん、戸惑う気持ちはよくわかります。無茶なお願いをしていることも重々承知です。ですが、鳴海さんのように仕事をバリバリこなす方ならば、きっと素晴らしい忍者になれると思うんです!」 菜奈はコンガの勢いに押されつつ、葛藤しつつ、自分でも思いもよらなかった一言を捻りだした。 「……とりあえず、体験教室参加できませんか?」
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