日常は破られた

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日常は破られた

ピッ、ピッ、ピッ……。 今日も耳に届くのは、雑踏、喧騒、繰り返される館内放送、そしてレジのバーコード読み取り音。 パートとはいえ、スーパーの仕事はなかなかの激務だ。まして、ここ『忍者も納得のお値段!品揃え!!スーパーマーケット(しのび)』は従業員も少ないため、「私はパート勤務なので、社員の方にお任せします~!」なんてことはできず、レジ打ちから品出し、商品管理、値段のレジ登録までその業務内容は多岐に渡っている。 「鳴海(なるみ)さん、すみません、助けてください……!」 とにかく心頭滅却してレジ打ちに励んでいたのだが、最近入ったバイトの(ゆい)が音もなく近寄ってきて切実な声で助けを求めてきたので、並んでいるお客様を他のレジ列に誘導すると、『レジ休止中』の札を立ててその場を離れた。 彼女の名前は『鳴海菜奈(なるみなな)』。三歳の息子「龍太郎(りゅうたろう)」を育てながらパート勤務に励む、三十三歳のしがない主婦だ。結婚して子供が出来るまではそこそこ有名な企業でバリバリやっていたのだが、もうそれは遥か昔のことのように感じる。 企業の第一線に立つためには、プライベートもへったくれもない。結婚はともかく、産休、育休を経て、時短勤務でまた職場に復帰し、同期達がどんどん活躍して羽ばたいていくのを横目に見ながらオフィスワークをする、なんて、とても菜奈のプライドが許さなかった。 丁度良く夫が転勤になったので、新天地で心機一転、『ただのパートのおばちゃん』になって新たな人生を歩み始めたというわけである。 とはいえ、『パートのおばちゃん』というポジションを舐めてはいけない。契約書通り定時に始まり定時に終わる。残業代はきちんと支払われるし、パートに残業をさせると本社が嫌な顔をするため、できるだけ残業をせずに帰れと耳にタコができるほど言い含められる。 お陰で、初めて『ワークライフバランス』というものを意識して生活ができるようになった。家事も、子育ても、そして仕事も。全て「そこそこ」「それなり」のバランスで、両手から零れ落ちない程度にできる絶妙なバランス。 仕事の間は子供に会いたくて仕方なくなり、お迎えに行った後「キイーーーーーっ!」と叫び出しそうなくらい子供にイライラしてしまったとしても、平日の数時間、または休日に頑張れば良いだけで、あとは仕事で気分転換できる。 これが『マイベストワークライフバランス』なのだろう。そう思っていた。……あの時までは。 結に連れていかれた先は、スーパーの一角に設けられたイートインスペースだった。スーパーで買ったお弁当を囲んで座談会をしているお年寄りや、買ってもらったジュースとお菓子を早速食べる子供たちで賑わっている。 「あの高校生たちなんですけど、なんか撮影しているみたいで。他のお客様が映り込んでしまうと困るんじゃないかと……。」 指さされた方を見てみると、いわゆる『自撮り棒』にスマートフォンをくっつけて何やら撮影をしている女子高生らしき三人組が目に入った。 今時そう珍しくもない、SNSの配信者かなにかだろう。 菜奈はふぅ、と小さく溜息を吐くと、スッと顔を上げ、女子高生3人組に向かって一歩を踏み出した。 「お客様、失礼いたします。他のお客様のご迷惑になりますので、撮影はご遠慮くだs……っわぁ!」 ぼん!という音と共に、白煙が立ち上る。何か非常事態が起きた時の対処法や練習なんて嫌というほどやって来たが、それにしても人間、想定外の事態に直面すると身体が動かなくなるものらしい。 思わず固まった菜奈の目の前で、煙はあっという間に四散して、つい今しがたまでブレザー姿だったポニーテールの女子高生が、ピンク色の修行着に早変わりしていた。 修行着、とは言ったが、その名称が合っているのかすら分からない。とにかくアレだ。忍者とかが着ているあの服だ。上半身は着物のように前合わせになっていて、下半身はもんぺのような形のズボン、それらを腰の帯で結わえている。 「お、お客様、公共の場でのお着替えは、ご遠慮いただきたく……?」 「あ、すみません!ここ、変身は禁止でしたか!?」 「変身……は、分かりかねますが、その、えっと、コスプレ……?」 「コスプレじゃありません!忍者装束です!」 「あ、それだ!忍者装束!」 他にもツッコミどころはいくらでもあるはずなのだが、どうでもいいことに反応してしまった。一先ず冷静にならなければ。 彼女たちは別に万引きをしたわけでも、実際に他のお客様に迷惑をかけたわけでもないが、ひとまず話を聞きたいので、一旦バックヤードに着いてきてもらうことにした。途中でたまたま品出しを手伝っていた店長を見かけたので、応接ルームの使用許可を得る。 バックヤードへの重い扉を抜け、あまり使われる事のないその部屋のドアを開ける。ひんやりした空気を感じながら、パチンと電気を灯した。 「まずは入って。少しだけ、お話聞かせてください。」 「はい!」 「はぁい。」 「は、はい……。」 パイプ椅子を三つ並べて三人に勧め、その正面に座る。机を挟んで、向かいあう形だ。改めて正面から見て見ると、なかなか奇抜な恰好をした女子高生たちだなと思う。 中央に座る忍者装束の女子高生は黒髪でやや大人しい顔立ち。だからこそ余計に全身ピンク色の衣装が目に眩しい。 左側の涙目の女子高生は髪を大きなお団子ふたつに結い上げていて、ただひたすらに怯えている様子だった。それよりも肩にぴょこっと乗っかっているパンダが気になって仕方がない……。 右側に座っている制服姿の女子高生は、茶色の短髪だが七色のメッシュが入っている。そして、何より不思議なのが獣の耳のような形状の髪型だ。……髪型だと思いたい。 なぜこんなにも特徴的な見た目の女子高生たちを周りの人間が何の違和感もなく受け入れていたのか不思議で、もうとにかく狐につままれたような気持ちになっていた。 「えっと、何から聞けばいいのかな……。ま、まず、お名前教えてもらえますか?」 「はい!咲耶(さくや)と言います!忍者やってます!よろしくお願いします!!」 ピンク色の忍者装束を着た女子高生は『咲耶(さくや)』と名乗った。まるでアイドルの面接にでも来たような、きびきびとした受け答えである。 パンダを肩に乗せた女子高生は『シャオラン』、七色の髪の女子高生は『ネム』というのだそうだ。これまた名前も変わっている。 「えっと、咲耶さん、ネムさん、シャオランさん、ですね。わかりました。三人は同じ高校ですか?」 「はい。一緒に高校に通っています。」 「そうですか。で、先程はイートインスペースで撮影をされていたと思うんですけど。」 「すみません、変身も撮影も禁止だとは知らず……。」 「えぇと、聞きたいことが山積み過ぎて既にアレなんですけど。えっと、まず、撮影に関しては、基本的にご遠慮いただいています。お客様のご迷惑になりますので。場合によっては事前にご相談いただければ開店前やお客様の少ない時間に対応できると思いますので、ご希望があればおっしゃってください。」 「わぁ!ありがとうございます!今度からはお姉さんに相談しますね!」 咲耶は目を輝かせて言った。どうにも論点がズレている気がするのだが、気のせいだろうか。 「はい、お願いします。……で、あの、変身、してたと思うんですけど。アレって……?」 「あぁ、変身以外にも色々できますよ!分身とか!」 「分身!?って、忍術みたいな!?」 「忍者ですからそりゃ忍術も使えますよ!お姉さん、面白ぉい。」 咲耶はケタケタ笑いながら、何やら印を切った。ボン!という音と白煙が漂い、気づけば目の前に咲耶が何人も列を成している。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「え、そんなにすごいですか?わぁ、褒められると嬉しいー!」 「褒めてない!褒めてないから!え、あの、えっと、し、仕舞って!」 「あれ、気に入りませんでしたか?おかしいなぁ。」 またボン、と白煙が上がり、咲耶が一人に戻る。……夢でも見ているのだろうか。密かに自身の太ももをつねってみる。……痛い。 理解が追い付かず混乱していると、不意に応接ルームのドアがノックされた。 「はい!」 「鳴海さん、お世話になってます、シノビマートのコンガです~。」 そっとドアが開き、系列のコンビニ『シノビマート』のコンガ店長が顔を覗かせた。相変わらず限りなくゴリラに近い風貌の人である。 「!?コンガ師匠!?」 「は!?咲耶!ネム!シャオラン!お前たち、こんなところで何やってるんだ!?まさか……!」 「違いますって、万引きとかじゃないですよ!」 「何にもしていません~~~!」 「もうちょっと私たちを信用してくださいよ~。」 「とにかく状況を説明しろー!」 菜奈はただただ、その状況をしばらく見守っているしかないのだった。
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