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第十一章【ちぎれそう】波浪
◆
「この数時間で解決なんて、まったくうれしい誤算だね」
「そういう時期に居合わせただけだよ」
「いずれにせよ助かったよ。しかし遊郭近くの居酒屋で、恋愛に関係する呪術を売るなんて、ありそうでなかった話だね」
銀幽さんは両袖机に座り、書類に目を通しながらいった。
私たちが銀幽さんの執務室を訪れた時、彼女もちょうど会議から帰ってきた様子であった。
「その懐紙を売っていた男からは、事情は聞かなきゃならないだろうね。これだけ派手に動いていれば、捕まえるのもそう時間はかからないと思うよ」
「この件に関して、進展があれば連携して欲しい。興味がある」
「いいよ、お安い御用だ。さて、こっちの報告なんだけどね。お偉方はそれなりに驚いていたよ」
銀幽さんはそういって、朔馬を見つめた。
日本にいる朔馬に、岩宿の結高から瑠璃丸の呪いを解いて欲しいと連絡があった。
それに手を貸すことで、若矢香明の呪いも同時に解かれることがわかった。
そのため朔馬は結高に協力し、結果呪いは解かれた。
そして瑠璃丸は岩宿の領地へと戻り、今は結高の元にいる。
その事実が、岩宿全体に知られるのは時間の問題である。
銀幽さんは朔馬から伝言ということで、会議でそれらを報告してくれたようである。
「ネノシマにいる結高が、日本にいる朔馬とどうやって連絡を取ったのか、みんな不思議がっていたよ。もちろん私にも、その質問が飛んできたよ。知らないと正直に答えたけど、私なりの見解も述べさせてもらったよ」
「なんていったんだ?」
「雲宿にも岩宿にもその記録が残らないのであれば、ネノシマから筆鳥を飛ばしたんだろうといっただけだよ。だから結高は、筆鳥に身体の一部を差し出したんだろうってね」
銀幽さんの言う通り、結高は朔馬と連絡を取るために筆鳥に片目を差し出した。
「どんな手順で瑠璃丸の呪いを解いたのかも聞かれたよ。でもそれは知らないと答えたよ。想像もつかないってね。これに関しては上から質問されると思うから、回答の準備はしておいてもいいかもね」
「答える義務が発生したらね」
「たしかにそんな義務は発生ないかもね。そもそも瑠璃丸の帰還が岩宿に知れたことも、雲宿に知らせる義務もなかったろ。朔馬はそれほど、ここが好きではないんだからさ」
銀幽さんはさらりと核心的なことをいった。
「万が一にも、戦争は起こらない方がいいだろ。最近、ちゃんとそう思えるようになった」
「そうだね。戦争は起こらない方がいいね」
銀幽さんは朔馬の言葉を反芻した。
「それから会議は長引いてね。なんとなくだけど、朔馬が日本常駐はまずいんじゃないかって話になっていたよ。雲宿の桂馬が日本に跳ねたことは、岩宿も周知だろ? 桂馬が欠けて、瑠璃丸は戻ってきた。それは岩宿にとっては、好機と思われるかも知れない。そう思わせないためにも、朔馬は時々ネノシマに顔を出してもらって、ネノシマに戻っていると知らしめた方がいいだろうって」
「それなら俺もネノシマと日本を行き来しやすいな」
「結果的にはそうなるだろうね。でも、それがどんな風にねじれて、どんな命令になるかわからないよ。だからとりあえず、上からの報告を待っておくれね」
「わかった。上に報告してくれて助かったよ」
「こっちも助かったよ。しかしなんだって、朔馬は日本常駐の命令なんて出てるんだい? 鵺退治なんて、それほど厄介な件でもないだろ」
「俺の口からはなんとも」
「よほど重要な任務が絡んでるんだろうね」
朔馬が担っている重要な任務とは、凪砂の護衛である。護衛というか、所在確認の意味が大きいのだろう。どんなに朔馬が気をつけていても、凪砂が病気や事故にあう可能性は常に存在する。それは、誰しもに言えることである。
さらにいえば朔馬に凪砂の護衛をさせるのは、万が一に岩宿に凪砂の存在を知られたくないからなのだろう。もしくは知られた場合に、朔馬が近くに居た方がいいと考えているのだろう。
「そうだとしても、ずいぶん自由にやってるように見えるけどね」
銀幽さんはそういって微笑んだ。
◆◆
「遅いと思ったら、そんなことしてたのか」
風呂上がりの凪砂は頭を拭きながらいった。
凪砂は最近夕暮れに浜辺を走っており、それが終わるとお風呂に直行する。
「大我と雅火はどうなったの?」
「どうもなってないよ。雅火は眠ったままだったし、大我もずっと黙ってた」
疲弊して眠っている雅火の顔を、大我は時々見つめていた。しかしその表情からは、なにも読み取れなかった。
「その呪術がなければ、雅火は大我と一緒に帰ってたのかな」
「婚約破棄をした時点で、雅火は平吉が好きだったわけだから、その可能性は低いんじゃないかな」
朔馬はいった。
「でも幼なじみが遠いところからわざわざ自分に会いに来たら、それなりに思うところはあるんじゃない?」
凪砂はそういって私を見た。
「どうだろう。初対面だったし、わかんないな」
私はいった。
「そうじゃなくてさ。たとえば遠くから毅が謝りにきたら、許してやるかって思ったりしない?」
「え、なに? 俺、なんかした?」
毅はそういってリビングのドアを開けた。
「ただの例え話だよ。デートは?」
「してきたよ。そんで、帰りにここに寄ったわけ。そんで、チョコのアイスも買ってきたわけ」
毅はそういって、四種類のチョコレート味のアイスを座卓に置いた。
私たちに必然的に座卓の周りに集合した。
「ハロから選んでいいよ」
毅は得意げにいった。
「ありがとう。じゃあ、これ」
私はそういって、適当なアイスを取った。
「え、待って。なんか、全然腑に落ちないというか、うれしそうじゃないよな。なんか隠してるよな?」
毅はなかなか不服そうにいった。
私は迷ったあとで、結局それを口に出した。
「チョコのアイスっていったけど、チョコレート味のアイスじゃなくて、チョコが入ってるアイスが好きなんだよね」
私がいうと、毅は膝から崩れ落ちた。
私のこういう部分が、幼い彼を暴君にさせていた要因の一つなのかも知れなかった。
◇
「で、さっきの話なんだったの?」
アイスを食べ終えると、三人はいつものようにテレビの前に和座椅子を持ってきてゲームを開始した。そして私はいつものように、三人の背中越しにテレビ画面を見ているだけである。
「なんの話だったっけ?」
凪砂はいった。
「俺を許すとか許さないとかの話?」
毅は気にしているようで、全然気にしていない感じでいった。
「ああ、そうだ。幼なじみ同士で付き合ってた感じの子たちが、ケンカ中というか、別れたのかな。まあ、そんな感じなんだけど。久しぶりに顔みたら、仲直りはするんじゃないかって話。だから、ハロなら毅を許せるかって聞いてた」
「え、俺とハロ付き合ってないんだけど」
「だるいって。たとえ話だよ」
「俺だったら絶対許すな。ハロはどうなの?」
毅はテレビに目を向けたままいった。
「私も許すと思う」
私と毅は恋仲ではないし、今後もそうなることはないだろう。だからこそ、簡単にこんなことがいえるのかもしれなかった。
私たちがなにか少しでも違っていたら、くっついたり、離れたりなんてことがあったんだろうか。
しかしそれは、想像することさえ難しかった。
――あんたといた季節が一番眩しかった
三人の背中を見つめていると、ふと雅火の言葉が思い出された。
きっとその言葉に、うそはない。
それでも彼女はその季節から去ったのだった。
私もいつかこの日々を、そんな風に思ってしまうのだろうか。
リビングの掃き出し窓に映る自分たちの姿を見て、私はゆっくりと立ち上がった。
そしてこの空間を夜から隠すように、静かにカーテンを閉めた。
日常の中に大切なものが溢れていて、失いたくないものが多すぎて、私はなんだかちぎれそうだった。
このままなにも失いたくないと、そんな風に思ってしまうような夜だった。
きっとこんな日は、人生でそう多くは訪れない。
私はそれを、本能的に知っていた。
【 了 】
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