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第三章【うまくやる】波浪
◆
「アイス持ってきた。マコツの沖縄土産」
私たち三人がそうめんをすすっていると、リビングのドアが開いて毅が現れた。
毅が突然リビングに現れることは、めずらしくない。朔馬に関しても玄関が開いた気配などを察していたのか、もしくは慣れたのか、驚く様子は一切なかった。
「誠くん、沖縄いってたの?」
誠くんは、毅と十二才離れた兄である。
「学会とかいってた気がする。これ、冷凍庫いれていい?」
「いいけど。野球部の練習は?」
凪砂はいった。
「外で運動できる気温じゃないから、休息日。だから明日は朝練。終電で寮に帰るわ」
毅は二人と同じく白桜高校進学部に通っており、三人は同じクラスである。
毅は進学部ではめずらしく、野球部に入っている。進学部では勉強と部活の両立が難しいとされているため、そもそも運動部に入っている者は少ない。さらに白桜高校野球部は甲子園の常連校で、その練習量もそれ相応である。朝練がある日も多いせいか、毅は現在野球部の寮で生活している。
私たちの最寄り駅から白桜高校の最寄り駅までは、乗り継ぎなしの四十分ほどである。しかし時間帯によっては、一時間に二本程度しか電車がこないので不便に感じることもある。
「お昼は? もう食べた?」
凪砂はテレビとゲーム機を起動させる毅の背に聞いた。
「うん。寮で食べて、そのまま帰ってきた」
毅が野球部の寮に入ると知った時は、少なからず悲しい気持ちがあった。
凪砂と毅は進学部で、私だけが女子部に進むことが決定していたのでなおさらだった。
しかし毅は寮生活を送りながらも、本日のように頻繁に我が家にやってくる。さらには毅の彼女である透子は、私と同じクラスなので毎日のように毅の話題があがる。そのため毅の不在を感じることは、あまりない。
「ゲームの前に、アイス食べたい」
お昼の片付けを終えると、凪砂はいった。
毅は「えー」といいつつも、ゲームを中断してこちらにきた。
冷凍庫に入っていたアイスをダイニングテーブルに広げると、私たちはそれぞれに好きなアイスを取った。
「ハロがバニラ取らないのめずらしいな」
毅はいった。
私は今回、イチゴ味のアイスを手にしていた。
「バニラはあんまり選ばないかな」
「いつもバニラ食べてただろ?」
毅は不思議そうに私をみた。
「それかしか選べなかったから」
私はいった。
「ちょっと、集合」
毅がいうと、凪砂も朔馬も「はい」と口だけでいった。
「ハロはバニラ好きだと思ってたんだけど、違うの?」
毅は声をひそめるでもなくいった。なんのための集合なのかは謎である。
「本人がいうなら、そうなんだろ」
凪砂がいうと、朔馬も「そうだね」といった。
「でも、ハロといえばバニラってイメージない?」
「俺と毅がうるさいから、ハロにはその選択肢しかなかっただけだろ」
凪砂の言葉を受けて、私は「そうだね」といった。
「今日までずっと、バニラ好きなんだと思ってたわ。実際、何味が好きなの?」
「チョコ」
私が即答すると、毅は「えー」といって両目を閉じた。毅が好きなアイスもチョコだからである。
ゲームを開始して一時間もすると、毅は「あ、デートの時間ですわ」と立ち上がった。
「微妙に遅刻だな。走れば間に合う気がするけど、走って汗だくになるの嫌だな」
毅はそういいながら、携帯端末を操作した。
おそらく透子に遅刻の連絡を入れているのだろう。
「俺に貸してくれてるロードバイクでいったら?」
「あ、その手があったか。使っていいの?」
「いいよ。毅のだし」
朔馬がいうと、毅は和座椅子に座ったままの朔馬の頭をぐりぐりと撫でた。朔馬は嫌がる様子もなく、ただそれを笑顔で受け入れている。
毅は我が強い人種とは合わないらしいが、朔馬はそれに該当しない。朔馬は聞き手に回ることも多く、さらにはよく笑うので、毅とは相性がいいようである。
「暑いし、透子待たせるの可哀相だろ。早くいきなよ」
凪砂は呆れたようにいった。
「急ぐのだからこそ、奔るッッ」
「なにいってんだ。自転車でいけ」
「うん。自転車借ります」
凪砂と朔馬は「じゃあ」と、そのまま毅の見送る姿勢であった。しかし私だけが「え!」と声を出した。
「なんだ、どうした?」
リビングのドアに手を掛けた毅は、私を見つめた。
「なんでもない」
私はそういって目を逸した。
「なんだよ、いってよ」
毅はかなり面倒くさそうにいった。
「その変なTシャツのまま、透子に会うのかなと思って」
「え!」
毅はそういって自分の服装を確認してから、凪砂と朔馬の方を見て「えぇ!」といった。
二人はこれ以上ないほどに笑った。
幼い毅が私を疎ましく思っていたのも無理はないと、こういう時に思う。
もしくは私は毅に関しては、必要以上に無遠慮なのかも知れなかった。
◆◆
「巣守結高と協力、ね。そういうことだったのかい」
銀幽さんの執務室は相変わらず薄暗く、海底にいるような印象を受ける。
私と朔馬はつい三十分ほど前は、毅のいる我が家にいた。
しかし今は、時間の流れから切り離されてしまったように錯覚する。それほどまでに銀幽さんの執務室は静かだった。
「ここ最近辰巳の滝で朔馬を見かけていたのは、巣守結高と個別に連絡を取り合っていたからなんだね。ようやく納得がいったよ。あそこならめったに人もこないし、万が一にもあの場所で殺し合いをしようと考える者はいないだろうからね」
朔馬が結高と瑠璃丸の件を話すと、銀幽さんは驚いた様子もなくそういった。いつものようにただ妖艶に微笑むだけであった。
「あんまり驚かないんだな」
朔馬はワイシャツに袴を穿いた姿で、銀幽の前に座っていた。これが雲宿の正装だからである。本来なら私もその姿で銀幽さんの執務室へと向かうべきであった。しかし朔馬が「袴、面倒でしょ?」といってくれたので、ワイシャツと袴に見えなくもないワイドパンツでこの場に来ていた。私については銀幽さんにもらった羽織りを身につけていたが、彼女の目に私がどう映っているのかは不明である。
「多少は驚いているよ。でも香明が一命を取りとめた時に、朔馬がどうのって話を聞いてたからね。巣守結高とやりとりしてたなら、すべてが腑に落ちるってだけだよ」
「そういえば、そんなこといってたな。香明はもう現場に復帰してるんだっけ」
銀幽は「そうだね。元気にしてるよ」といって、お茶を口につけた。
「本題に戻るけどね。いいよ。引き受けてやるよ。瑠璃丸が岩宿の領地に戻り、それが岩宿の者に周知になるだろうって話を、上に報告すればいいんだろ」
あまりにもあっさりと承諾してくれたので、朔馬は「いいのか?」と銀幽の顔を見た。
「いいよ。前回の件では張り込みも、解決もしてもらっちまったからね。これくらいのことなら、引き受けるよ」
銀幽さんはそういって、私の顔を見つめた。朔馬がどんな意図を持って私を連れてきたのか、彼女は充分に理解しているようであった。
「上に質問されて分からないところは、正直に答えたり、適当に答えたりするけどそれでいいね?」
「それで問題ないよ」
「ところで。こっちにも、ちょいとした頼みごとがあるんだよ。引き受けてくれないかい?」
断れない雰囲気だったが、朔馬は「内容による」と即答した。
日本にいる時の朔馬と、ネノシマにいる時の朔馬は別人とまではいわないが、かなり性格が切り替わっているなとこういう時に感じる。
「でも、一応聞くよ」
銀幽さんは「ありがとう」と、満足そうに微笑んだ。
「葦原遊郭の竹原屋って小見世に、最近五日連続で鬼虚が現れるらしいんだよ。それは決まって夕暮れ時らしいんだけどね。ちょっとそれの調査をして欲しいのさ。その竹原屋には、妖狐が働いているんだけど、その元許嫁が怪しいって話になっているんだよ」
「なんで妖狐が遊郭で働いてるんだ?」
「遊郭は表向きには、人間の女だけで構成されていることになっているけどね。めずらしいことでもないんだよ。とにかく色んな趣向を持った人間がいるからね」
銀幽さんが言葉を選んでくれていることは感じられたが、私と朔馬にはその意味がよく理解できなかったので無言で視線を合わせた。
「需要はあるって話なんだよ。妖怪にとっては、遊郭なら衣食住が確保されるわけだしね。それに妖怪には、鬼虚を養分とする者も多いだろ。遊郭内のそれを消費してもらうことで、利点もあるんだよ」
「竹原屋で妖狐が働いてることはわかった。どうして、その妖狐の元許嫁が怪しいとなったんだ?」
「その妖狐は雅火というんだけどね。雅火は一方的に婚約破棄を言いつけて、逃げるようにして遊郭に来たって話なんだよ」
「その許嫁が原因で、雅火の近くに鬼虚が発生している可能性があるってことか。でも生き物の思念なんて、その場に留まるのがほとんどだろ?」
「そうなんだけどね。どんな妖怪が、どんな術を使うかなんて、到底すべては把握できてないだろ」
「それはそうだね」
「ちなみにその許嫁ってのは、夜風一族の大我って妖狐でね。九郎兵衛番所の与兵とは、現在接触禁止になっているんだよ。だから、その大我の様子を、ちょいと見てきて欲しいのさ」
「夜風一族というと、槐山の?」
朔馬は心当たりがあるような口ぶりだった。
「そうだよ。そういえば、夜風一族が暴走した時に、朔馬は対応に当たってくれたね。その時の訓練生のことは覚えているかい? 赤坂蜜木ってんだけど、今は九郎兵衛番所の与兵なんだよ」
「夜風を葬った訓練生だろ。覚えてるよ。前回の河田屋時に、見かけた気がする」
銀幽さんは「さすがの記憶力だねぇ」と笑った。
私に関していえば、覚えているのは浮真船人の顔だけである。
「親の仇である蜜木は、夜風一族にとっては毒なんだよ。だから蜜木は、あと二年ほどは夜風一族と接触禁止なんだよ。蜜木と大我を接触させるわけにはいかないから、適役の妖将官を探していたところだったんだよ」
銀幽さんはそういった後で「どうだい? 日暮れまでその調査を頼まれてくれないかい?」と、朔馬を見つめた。
「調査をするくらいなら、別にいいかな」
朔馬はそういってこちらを見たので、私は了承の意を込めてうなずいた。
「わかった。協力する」
朔馬がいうと、銀幽さんは静かに立ち上がった。
「ありがとう、助かるよ。じゃあ私はこれから、瑠璃丸の件を報告してくるよ。会議室に向かう間、蜜木には筆鳥を飛ばしておくからね。式神に扮した朔馬が、今回の件に内密に協力してくれると、そう連絡する。蜜木とは顔見知りだし、名前を隠す必要もないだろ?」
銀幽さんはそういいながら、椅子にかけてあった羽織りをふわりと肩にかけた。
「問題ないよ」
「それと、これは私の駕籠だよ。好きに使っておくれね」
銀幽さんはそういって、朔馬に小さなお札を渡した。
「わかった。瑠璃丸の件、頼んだ」
銀幽さんは「任せな。うまくやるよ」と、なんでもないことのようにいった。
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