第五章【今後一切】波浪

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第五章【今後一切】波浪

◆ 「なんだって、式神の振りなんてしてるんだい?」  朔馬たちが出ていくと、雅火は私に聞いた。 「ちょっと色々、事情がありまして」  私が正直にいうと、雅火はその回答に「そうかい」と満足したように微笑んだ。 「中身が人間だってのに、式神のようにこき使われてるんじゃ、身も心もすり減るだろ。人間の女ってのも大変だね。でも、朔馬の反応を見る限りでは、そんな扱いは受けていないのかい」 「そうですね。そういう扱いは受けてません」  雅火は私に顔を近づけて、くんくんと鼻を鳴らした。 「そのようだね。それは、なによりだよ」  雅火はそういうと、私から顔を話した。 「あの、気を悪くされたら申し訳ないんですけど。どうしてここに逃げたんですか。他にも逃げる場所というか、身を隠す方法はあるように思うんですけど」  雅火は私の質問に「へぇ」と、感心したように目を大きくした。 「やっぱり女だねぇ。きっと男たちからは、そんな質問は出なかったと思うよ。男はここに夢を見にくるって話だけど、女にとっては地獄みたいなもんだからね。どうしようもない理由がなけりゃ、こんな場所に来たりしないのにね」  雅火はそういって、小さく微笑んだ。その横顔は疲弊しているように思えた。  もしくはこの見世の遊女に同情しているのかも知れなかった。 「あんたがいうように、どこにでも身を隠せたよ。でも私はここを選んだんだよ。むしろここに来たいから、婚約破棄をしたんだよ」  雅火はそういって私を見つめた。なぜだと思う? そう問われているようだった。 「好きな人がいるんですか?」  雅火は「ご明察」と、うれしそうに笑った。 「それは、人間ですか?」 「好きな人ってんだから、人間だろ」  それもそうである。 「その人は遊郭に通う男だったからね。私もここにいれば、その人の目に止まるんじゃないかと思ったんだよ。今じゃその人は、毎日私のところへ通うようになったよ。ここ数日は前日に指名してくれるんで、張見世(はりみせ)にも出てないんだよ」  雅火はそういって、口をほころばせた。 「両想いなんですね」  私がいうと、雅火は微かに目を伏せた。 「ここで会ってるってのは、どういうことかわかるだろ。私と平吉(へいきち)は、今も客と遊女でしかないんだよ」  雅火の想い人は平吉というらしい。 「でもその人は、あなたに会うためにここに通ってるんですよね」 「表向きはね。でも平吉は私に会うためでなく、想い人に化けられる私に会いに来てるんだよ。その先のいいことも、幻術(げんじゅつ)で見せてあげてるんだよ」  それから雅火は「見ててごらん」と、自分の手の甲をぺろりと舐めした。そしてその手の甲を、頭頂部に乗せた。すると目の前にいた雅火の姿は、見知らぬ女性へと変貌していた。 「おお、すごい」  私は馬鹿みたいにいった。 「大抵の人間には化けられるよ。それに幻術も元々得意だったからね。私はこの見世では、なかなかの稼ぎ頭なんだよ。だから楼主は、鬼虚の原因がはっきりしない限りは、私を追い出すこともしないだろうね」  雅火は先ほどと同じ仕草をして、元の姿にもどった。 「この辺に鬼虚が出ると聞いて、怖かったりしないんですか?」 「私はその鬼虚を見ていないし、怖いもなにもないよ。その原因がもし大我だったとしても、所詮は鬼虚でしかないからね。幻術を使う時に、せいぜい利用させてもらうよ。でもね、何度もいうけど大我は原因じゃないと思うよ。大我は年中その辺の女と遊んでいたし、私に執着なんてしないと思うんだよ」 「場合によるとは思うんですけど。許嫁でイトコで幼なじみなら、多少は執着すると思うんですけど。そうじゃないんですか?」  雅火は「ふーん」と意味ありげに私を見た。 「あんたにもそういう人がいるのかい?」  いません。  そう口に出そうとしたが、思いとどまった。 「幼なじみはいます。イトコでも、許嫁でもないですけど」  そういった後で、蜜木の話を聞く限りでは大我と毅は多少似ている部分があるように思った。しかしそれは今の毅ではなく、十歳にも満たない毅の印象だった。 「その幼なじみってのは男だろ? 恋仲だったことはあるのかい?」 「ないです。むしろちょっと嫌いでした」  私の回答が面白かったのか、雅火は「はは」と短く笑った。 「嫌いだったのかい、そりゃいいね。いじめられたりしたのかい? 人間といえど、オスは攻撃性が高いって聞くからね」 「暴力的なことはされませんでした。でも、それなりにひどいことはいわれました。今は、ちゃんと好きですけど」  私はこの場にいない毅を擁護するように付け加えた。 「今はちゃんと好き、ね。それはいいことだね。きっとあんたとその幼なじみは、これからもつかず離れずで、一緒にいるんだろうね。でも私と大我はダメだった。一度くっついちまうとね。離れていくばっかりなんだよ」  雅火は独り言のようにいった。  そして袖からころりとお守りのようなものを出して、私に見せた。 「これはね、平吉がくれたんだよ。自分が染めた思い入れのある布で、なんとなく捨てられないからって、お守りの形にして持ち歩いてたそうだよ。中にはちゃんとご利益のあるお(ふだ)みたいなものが入ってあるから、実際にお守りみたいなもんなんだろうね」  雅火はそういって、紺色のお守りを見つめた。 「これを持っていて欲しいといわれた時は、うれしかったよ。これっぽっちの物をもらっただけなのに、ますます想いが募っちまってね。今は、大我のことなんて考えられないほどなんだよ」  雅火はそのお守りを袖の中へと戻した。 「大我とは長く一緒にいたように思うけど、こんなお守り一つさえもらったことはなかったよ。何かが欲しかったわけでもないけどね。私と大我は、遊女と客ほどの結びつきもなかったのかも知れないね」  雅火は「どう思う?」と、私に視線を向けた。 「許嫁もイトコも幼なじみも、自分じゃ選べないだろ。私と大我は自分たちの意志とは無関係に、ただ一緒にいただけだったように思うんだよ」  許嫁に関しては不明であるが、イトコと幼なじみに関しては選べないというのはその通りである。しかし私はそれらについては、言及できるほど思考が及んでいなかった。 「ここで働かせてもらう時に、とっさに許嫁から身を隠してるなんていっちまったから、変な疑いがかかってるのは悪いとは思ってるよ。さっきの二人には、私は好きな人がいるから遊郭に来たってことを、それとなく伝えておいておくれよ」  私は「わかりました」と短くいった。  しかし雅火がここにいる理由がどうあれ、大我が雅火を探している可能性は決して低くないように思えた。 「ところで、あんたと朔馬は恋仲なのかい?」  雅火はそういうと、朔馬の姿になった。 「いえ、ちがいます」  朔馬の姿をした雅火は「へぇ」といいながら、私の髪に触れた。 「あんたと朔馬は、一緒に住んでいるね? 毎日似たようなものを食べているみたいだし、髪も同じ匂いだ」  雅火はそういって私の髪に鼻をつけた。 「あんなにかわいい顔をしてるのに、蜜木以上のかなりの手練(てだれ)だね? そういう男ってのは、夜はどんな具合なんだい?」  雅火は私の耳元で囁いた。  そして畳に座っていた私は、静かに押し倒された。 「未熟な身体ってのは、種族問わずに魅力的だね。そのきっちりしまってる胸だって、まだ膨らみきっていないだろ」  雅火はそういうと、私のワイシャツのボタンに手を掛け始めた。  ワイシャツの下には肌着を着ているが、この行為は止めた方がいいのだろうか。  そう思ったタイミングで、朔馬と蜜木が「おまたせ」と雅火の部屋に戻ってきた。  その時の二人の表情を、なんと形容していいか分からない。雅火が朔馬の姿をしていたので、混乱しても当然である。  しかし二人が静止していたのも一瞬のことで、朔馬はすぐに私の視界から消えた。 「朔馬!」  そう叫んだのは蜜木だった。  私に覆いかぶさるようにしていた雅火は、朔馬にあっさり取り押さえられていた。朔馬がどんな術を使ったのかは分からないが、雅火はキツネの姿に戻っていた。そしてその首元には、朔馬の肢刀(しとう)が突きつけられていた。 「なにをしてた?」  朔馬は地を這うような声で、雅火に問うた。 「なにもしちゃいないよ! ちょっとした悪ふざけだよ、許しておくれよ!」  雅火は懇願するようにいった。 「今後一切、ふざけるな」 「わかった。わかったよ! 悪かった!」  朔馬は雅火を解放した後で、私を起こしてくれた。 「本当に、なにもされてない?」  朔馬は小さな声でそういうと、雅火に外されたワイシャツのボタンを留めてくれた。雅火のいうところの膨らみきっていない私の胸は、肌着に隠されたままである。  私は他人事のように、朔馬がボタンを留めてくれるのをただ見つめていた。 「大丈夫?」  返事をしなかったせいか、朔馬は私を覗いた。 「うん、大丈夫」 ◆ 「雅火も本当に、悪気はなかったと思います」  竹原屋を出ると、蜜木は私と朔馬に謝罪した。  彼に謝られる理由はよくわからなかったが、私は「お気遣いなく」とおおよそ見当違いな返事をした。  雅火に悪気がないからこそ、私は彼女を止められなかったのかも知れない。もしその手を握って「やめて下さい」といったら、私が雅火を拒否したら、彼女は泣き出してしまうんじゃないかと心の隅で思っていた。  あの時の私にとっては、ワイシャツのボタンを開けられる以上に、雅火が泣き出してしまうことの方が、ずっと怖かったのかも知れない。  どうしてそう思ったのかは、上手く説明できない。しかし私はあの瞬間、そう思ったのだった。  二人は遊女の話を聞いてみたが、それらしき客はいないという感想であった。つまりは、大我が一番怪しいということに変化はなかった。  二人の話を聞いた後で、私は雅火との会話を連携した。 「大我から逃げるためというのは方便で、好きな人に会うために遊郭に。ですか」  蜜木は腑に落ちたような声でいった。  朔馬と銀幽の話では、蜜木は三年前に訓練生とのことだったので、私はなんとなく同じ年齢くらいの人物を想像していた。しかし蜜木はおそらく二十歳前後である。しかし朔馬にも私にも敬語を使ってくれるので、見た目の年齢以上に落ち着いた印象を受ける。 「蜜木はその平吉という男は、どんな人物か知ってる?」  朔馬はいった。 「顔を見ればわかるかも知れませんが、名前だけではわかりません。でも聞く限りでは、染物屋で働いている可能性は高いでしょうね。その辺を探れば、特定に時間はかからないと思います」 「それなら俺たちが槐山(さいかちやま)にいっている間、もし暇があれば平吉の話を聞いてみてくれないか。俺たちはとにかく、大我から話を聞いてみる」 「わかりました。槐山にいくなら、(よい)の家を訪ねてみて下さい。大我が槐山にいるなら、宵の家の近くにいるかも知れません」  蜜木はその場で簡単な地図を書いてくれた。 「宵を訪ねる際に、蜜木の名前を出してもいいのか? 今回の件で大我が絡んでいた場合、どういう結末になるのかわからないぞ」 「問題ありません」  蜜木はなんでもないことのようにいった。 「私は彼女の父親を殺しています。それ以上酷なことはないでしょう」  蜜木はそういって、苦笑した。  余計なお世話かと思ったが、私は「宵さんに、伝言とかありますか?」と聞いてみた。  雅火の話を聞いていたら、なんだか余計なことをしたくなったのである。蜜木は「そうですね」といった後で、私を見つめた。 「会いたい、と。それだけ、伝えて下さい」  蜜木はそういうと、恥ずかしそうに微笑んだ。  それは初めてみる彼の笑顔だった。
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