第九章【思い上がり】大我

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第九章【思い上がり】大我

◆  大我は朔馬にいわれた通り、近くの適当な稲荷神社の境内へと身を寄せた。  顔を見て話せば雅火の心も動くだろうと思っていたし、自分の気持ちを受け入れてくれると思っていたが、とんだ思い上がりだったらしい。  雅火やセツがいった通り、大我は散々女遊びをした。  それでも大我は、雅火は特別だと思っていたし、雅火もそうであると思い込んでいた。許嫁であり、イトコ同士であり、幼なじみであるという事実が、絶対的な絆であると思い込んでいた。  しかしそれらはなに一つ、雅火を繋ぎ止める材料にはなってくれなかった。  それなのに自分は、それらの関係にあぐらをかいていたのだった。 「ずいぶん気落ちしておりますね」  その声に目を向けると、そこにはこの神社の神使(しんし)と思われるキツネがいた。 「失恋した」  大我はいった。 「それは辛いことです」  神使はそういった後で「おや?」といって、大我の匂いを嗅いだ。 「失礼。少し前にここに来ていた妖狐に似た匂いがしたので」 「そうか、それはきっと俺の失恋相手だな。雅火は人里にある稲荷神社が好きだったから」 「あの大木の下で、よく昼寝をしておりました」 「そうだったのか。俺はあいつが昼寝をしている姿なんて、もう何年も見ていない」  そういった後で、先ほど会った雅火のずいぶん痩せてしまった姿を思い出した。  なぜあんなになるまで、あそこに居たいのか大我は理解できなかった。しかし、好きな人がいるというその一言に尽きるのだろう。 「あの大木は饒舌です。聞けば、思い出話でもしてくれるでしょう。それがあなたの慰めになるのかは、私にはわかりませんが」 「俺の知らない雅火か。知りたいような気もするし、永遠に知りたくないような気もする」 「そうですね。真実は時に、ひどく残酷です。あの大木には嘘がありませんので、それについてはお気をつけ下さい。あなたの心が、一日も早く癒やされるよう、祈っております」  神使はそういうと、ふわりと消えてしまった。  大我は神使のいった大木に目をやった。  夏の日差しの中で涼むには、いい場所のように思える。ここで雅火が昼寝をする気持ちは、よくわかるように思える。  大我は誘われるように、その大木に近づいた。  そしておそらく雅火がそうしていたように、その木の下で丸くなって目を閉じた。  そうするうちに自分にはない記憶が、ぼんやりと流れてきた。 ◆  平吉と出会った時、雅火はキツネの姿だった。  雅火がここで居眠りをしていると、平吉が不安げな顔で「大丈夫か?」と声をかけて来た。そして手拭いで、雅火の身体を丁寧に拭いてくれた。  雅火の身体はなにかの果汁によって、赤く染まっていたようである。その辺の果実を取ってきて、大木でゆっくりとそれをついばむ鳥がいるのでそのせいだった。  平吉はそれをみて、雅火がケガをしていると勘違いしたらしい。  しかし平吉は雅火がケガをしていないことに気付いても、平吉は雅火の身体をきれいに拭いてくれた。 「よし。これできれいになったぞ。お前さん、とてもいい毛並みをしているな」  平吉はそういって微笑んだ。  くしゃっとした笑顔がかわいい男だった。  雅火は人前でキツネの姿になることは少ない。そのため人間に毛並みを褒められるのは初めてのことだった。だからこそ雅火はそれがうれしかった。たぶんもう、好きだった。  雅火はうっとりとした目で、平吉を見つめた。 「そんなに感謝されることはしていない。寝る場所には気をつけることだ」  平吉はそういって、雅火を撫でた。  翌日も雅火は大木の下で昼寝をした。  もしかしたら平吉がやってくるかも知れないと、思っていたからだった。  昼寝をしているうちに、昨日と同じく雅火の身体は果汁で赤く染まっていた。雅火がそれをぺろぺろと舐めていると、平吉が境内に顔を出した。 「今日も派手に汚れてるな。ここで眠るのが、そんなに気持ちいいのか?」  平吉はそういって昨日と同じく、手拭いで雅火の身体を拭いてくれた。 「俺も幼い頃は、その辺の取ってきた木の実なんかを幼なじみと神社で食ったもんだよ。この匂いを嗅いでいると、なんだか童心を思い出す」  雅火は平吉と会話をしようとは考えなかった。  人語を話せると知った途端に、無口になる人間は多い。さらには、妖狐を怖がる人間も一定数存在する。だからこそ雅火は口を開こうとはしなかった。  しかし平吉の声をもっと聞きたかった。雅火は話をせがむように、平吉に視線を向けた。 「なんだ。俺の昔話に付き合ってくれのか」  平吉はそういうと、ぽつぽつと思い出話をした。そのほとんどが、幼なじみとの思い出だった。  雅火はその時すでに平吉への恋心が芽生えていたが、嫉妬とか、そんな感情は少しも湧いてこなかった。  平吉の横で、平吉の声を聞いていることが幸せだった。 「今となっては、夢の中にいるような話だ。あの時はなんてことない日だと思ってたのに、もう二度と戻ってこないんだな」  平吉は懐かしむようで、それでいて自傷しているような、そんな言葉を吐いた。  それからほとんど毎日平吉は雅火に幼なじみとの思い出話を聞かせてくれた。  幼なじみを捨てて婿養子になる縁談を受け、現在に至るまでの話もしてくれた。 「ここで思い出話なんてしているせいか、ますます幼なじみが恋しくなっちまってね。最近じゃ遊郭に通って、寂しさを埋めてんだ。なんの意味もないとはわかってるがな」  平吉は懺悔するようにいった。 「俺はもう、ここには来ない。お前さんも、もっと涼しい場所で休んだ方が身体にいい。息災でな」  その日以来、平吉は神社に顔を出さなくなった。 ◆  その後雅火がどんな行動に出たのかは、想像に難くなかった。  婚約破棄を告げた後で、平吉に会うために遊郭で働き始めたのだろう。  雅火が誰かに恋をしていることには、自分から興味が薄れていることは、なんとなく気付いていた。それでも大我は、あまり深刻には考えなかった。そんな感情もいっときのことだと思っていた。  しかしそれからほどなく、雅火から婚約破棄の申し出があった。  ずいぶん大袈裟なことをするものだ。なんて冷静なふりをしてみても、胸の中は常にもやもやしていた。  そのもやもやがいつまでも晴れず、大我は雅火の元へと向かった。しかし雅火は見つからなかった。どこにもその姿はなかった。親族に雅火の所在を尋ねてみると、大我と婚約破棄をしたことと、しばらく遠くにいくことを言い残して山を去ったとのことだった。  大我はいよいよどうしようもなくなり、なりふり構わず雅火を探すことにした。  そしてようやく、遊郭にいることを突き止めたのだった。  雅火にとって、人間に幻術を見せることは容易なことである。遊郭での仕事は、雅火にとっては楽な仕事のはずだった。  しかし雅火はひどく痩せて、そして疲弊していた。  幻術を見せる際は、少なからず対象者の複雑な情念に触れてしまう。それを毎日続けているとすれば、雅火が疲弊していても当然といえば当然である。  だからこそ大我は、雅火を一刻も早くあの部屋から連れ出したかった。一緒に山へと帰りたかった。  それ以外にも、雅火の様子は妙だった。  自分が平常心でなかったことを差し引いても、どうにも雅火は普通ではなかったように思う。  強くそう感じた瞬間があった。  それはいつだったか? ――あの人のことしか考えられない  大我の胸を裂く言葉を吐いた時、雅火は紺色のお守りのようなものを持っていた。  あのお守りは、なんだかよくない気がする ――雅火のいる見世の周辺で鬼虚が現れる  朔馬たちは、宵の家でそういった。  鬼虚は幻術の養分になる。しかしそれを無意識に取り込んでいた場合、力の加減が不明瞭になり、幻術が暴走することもある。  もしかしたら雅火は、それが原因で疲弊しているのではないか。そんな生活を続けた場合、雅火自身も幻術に取り込まれてしまうのではないか。  そう直感すると同時に、大我は走り出していた。  雅火のいる部屋へと、走り出していた。 ◆ 「雅火!」  大我が人混みをかき分けて雅火の部屋に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。  雅火はぐったりとした様子で気を失っており、平吉と思われる男は自分自身でその首を絞めていた。  大我が予想した通り雅火の幻術は暴走し、それを制御できなくなっているようだった。 「雅火! この幻術を止めろ!」  大我はそういって、雅火の肩を揺すった。  雅火はうっすらと目を開けた。  そして目が合ってしまうと、大我もその幻術へと引き込まれた。  愛しくて、そして憎い人。  どうしても、許せない人。  そんなひやりと冷たい感情が、大我の中へと流れ込んできた。  幼い頃から将来を約束していたにも関わらず、互いに好いていたにも関わらず、どうして自分たちは一緒になれなかったのか。なにがいけなかったのか。  平吉に幻術を見せている時間が長かったせいか、もしくはあのお守りがよくない働きをしているせいか、雅火は自分を平吉の幼なじみであると錯覚しているようだった。  その一因は、雅火が平吉の幼なじみの気持ちに少なからず同調したせいなのだろう。  愛しさを上回る憎しみが、大我の中にも広がっていった。 「大我! やめろ!」  その声で我に返ると、大我は雅火の首に手を回していることに気がついた。  それから朔馬は、目に追えぬ速さで虚空を斬った。  瞬間、まばゆい光に包まれた。  そして大我の意識は遠のいていった。
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