悪夢

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悪夢

「おとっしゃん! おかっしゃん!」  轟轟(ごうごう)と店から炎が立ち上る。  煙と火に巻かれて泣いている七紬の手を取り、安全な場所に連れ出してくれる女の子。  七紬より二、三上に見える。 「七紬、七紬! おいで。こっちに逃げよう! 私が七紬を守るから! だからついて来て!」  泣き声を上げる七紬の手を引く、幼い少女。  七紬と年端の変わらないその幼い少女は、業火の中、泣かずに冷静に七紬を救い出した。  凛とした瞳を持つ少女が自分を見ている。とても悲しそうな瞳で。  また、この夢を見た。  もう幾度も繰り返し、この夢を見る。  あの悲しげな瞳をした少女は誰なのだろう。  夜半に目覚めた七紬は布団の上に起き上がった。  七紬の生まれた家は商家でたくさんの使用人が働いていた。  両親、親族、使用人など多くの者たちが焼け出され、亡くなった。天涯孤独となった七紬を迎えに来たのが、両親と懇意にしていた緒方源蔵だった。  源蔵に手を引かれ、泣きながらつれて行かれる自分を悲しげな表情で見送ってくれた少女は、一体誰なのか。  記憶は靄がかったように朧げだ。  喉の乾きを覚えて、水を飲もうと土間へ向かう。  途中にある兄の義臣の部屋の障子から灯りが差している。  物音を立てぬよう静かに歩を進めた七紬に、少しだけ障子を開けて義臣が声をかけた。 「眠れぬのか、七紬」  心配そうな兄に七紬は微笑む。 「このような時刻まで勉学に励んでいらしたのですか?兄上様」 「うむ。一人でも多くの者を救うためには、覚えなければならぬことが、山のようにあるからな。それよりも、眠れぬのは、夕刻の父上の話しからか? そなたは、嫌か?」  自分を真っ直ぐに見つめる義臣の瞳を見返す事ができず、七紬は義臣から視線を外した。  夕刻、源蔵から受けた話しは義臣との縁談だった。 「そなたが嫌なら、私から親父殿を説得するが……」  困ったように言う義臣に、七紬は頭を振る。 「私で良いものかと……。兄上様にはもっと良き女性(ひと)がいるのではないかと思案しておりました」  義臣は対面に座した七紬の手を取った。 「冷たく、小さい手だな。七紬が我が家にやって来た時も、冷たく小さい手だと思ったのを覚えている。私はその時から、そなたを生涯守ろうと心に誓った」 「兄上様……」  見上げる七紬に義臣が微笑む。 「私はそなたの兄だが、これからは兄ではないんだよ。七紬を必ず幸せにする。……約束を果たさねばならぬしな」  約束の意味を聞こうとした七紬に義臣が柔らかく、促した。 「七紬、もう遅い。安心してゆっくりお休み」  それ以上聞くことができずに、義臣に頭を下げて部屋を辞した。
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