手紙

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「往診を頼んだのに申し訳ないが、太夫が嫌がってねぇ。咳が止まらないのが心配で、本当は診てもらった方がいいのだけれど」  三浦屋の都久が診療所に往診の断りに来たのは、昼頃だった。  七紬は筆を手に取った。 『月はただ むかふばかりの眺めかな 心の内の あらぬ思ひに』 (月を眺めています。でも何も見えていない。私が見ているのは心の中の貴女です)  そしてたんきり飴と咳止め薬を包み、手紙と一緒に都久に手渡した。  確証は無かったが、太夫が自分の思っている通りの人であればきっと、返事があるだろう。  七紬はずっと考え続けていた。   朧げな記憶が蘇る。  火事の後、親が亡くなり身寄りもない自分の手を引く女の子が、誰かに連れて行かれる姿。女の子は、振り返り、振り返り、心配そうに自分を見つめていた。 「七紬は必ず私が守るから。だから幸せになって」  泣きながらそんな事を言っていた。  都久は七紬から話を聞いて、本来であれば太夫に手紙を届けることはできないけれど、あっちが知らなければ構わない、と飴や薬と共に太夫に届ける事を約束した。  源蔵と義臣にも太夫と手紙について話した七紬は、二人から本当の事を聞いた。  七紬の家が大火で焼けた後、器量の良い姉の(ゆかり)は三浦屋に引き取られることになった。  七紬の両親と懇意にしていた源蔵が二人を引き取ろうとしたところ、源蔵に金銭的にも迷惑がかかると考えた姉の紫は、自分は三浦屋に行くので七紬をお願いします、と頼んだのだった。  紫の決意に涙した源蔵だったが、当時は二人を養うこともできず、幼い七紬だけを引き取ることになった。  七紬を引き取り数年が経った頃からは、源蔵の家には年に一度、紙に包まれたいくらかの貨幣が届けられるようになったのだと言う。  緒方源蔵様と宛名はあるものの、差出人は書いておらず、紫からではないかと思っていたと源蔵が七紬に伝える。 「もちろん、その金には手をつけておらぬ。太夫の気持ちだからな。いつか七紬に手渡そうと思うていた」  義臣も慎重に言葉を選びながら、七紬に話す。  七紬の両親と懇意にしていた源蔵は、義臣を連れて七紬の家を訪ね、紫と義臣はよく一緒に遊んでいた。末は夫婦にと話にも出ており本人たちも幼いながら互いを意識していたのだと義臣が話した時、七紬の胸はチクンと痛んだ。 「七紬を幸せにしてね」  別れの朝、見送りに行った義臣に(ゆかり)が言う。  涙ながらに約束を誓い、義臣は以来ずっと近くで七紬を見守って来た。 「だが、七紬と夫婦になったのは約束のせいだけではない」  最後にきっぱりと義臣が七紬に伝える。 「私は七紬が好きなんだ」    胸がときめくような義臣の言葉すら、悲しい。  どんな想いで五、六才の女の子が言ったのだろう。  幼かったとは言え、姉の紫を忘れていた自分にも怒りが募る。  今はただ、紫に会いたかった。  会いたくて会いたくて堪らない。  三浦屋へ押しかけたい気持ちが溢れるが、当の太夫はそれを望んでいない。  姉だから、と辛い思いを自分が一手に引き受けてくれた。    自分は姉に憎まれているのではないか、二度と会いたくないと思っているのではないか。  病はどうなのだろう。  長い間、自分を守り、思ってくれていた姉に自分が出来ることはなんだろう。  七紬の涙も止まらなかった。  空を見上げて、一番星を見つけた七紬は自分に出来ることをしようと誓った。
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