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野球ボールが跳ねていった。俺は走り出す。が、すぐ脇を素早い影が追い抜いていく。転がるボールを拾い上げたのは細い目と体が印象的な青年だった。
「ごめんなさ〜い」
高い声に振り返る。遠くの方で若い女性が野球グローブをはめた左手を伸ばしていた。
「投げるよー」
青年が声を張る。俺は数歩右にズレた。青年は肩を回す。投げられたボールは女性が構えるグローブに吸い込まれていった。青年は白い歯を見せながら駆けてきて、俺とすれ違いざま軽く肩をぶつけた。
「すみません」
「いえいえ」
会釈した時にはすでに青年は女性のそばにいた。
「俺にもあんな時期があったなぁ」
ため息をつき、踵を返して一歩踏み出そうとした、次の瞬間。
「うおっ」
けたたましいクラクションに硬直する。胸を押さえながら目線を上げた。横断歩道の信号は赤に変わっていた。
「危なかった」
俺は身震いした。嫌な妄想が頭によぎる。若い頃に遭った交通事故のせいだった。自分が運転する車とトラックとの接触事故だった。その時俺は幸いにも軽症ですんだ。が、その幸運と引き換えに妻と一人娘を失ったのだった。
「トラウマはそう簡単には消えないな」
寒気を感じた。コートのポケットに手を突っ込むと、指先に何かが触れた。
「何だこれは?」
引き抜いた右手に目を落とす。そよ風に揺られる紙切れには『◯☓商店街福引券』と書かれていた。
「こんなのどこでもらったっけ?」
抽選期間を確認すると今日までだった。
「福引ねぇ……久しぶりにやってみるか」
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